2004-09-12[n年前へ]
■科学と理系とエトセトラ
物理学の本を素人が読みますと、香も音も色もただそれを感じる人間の感覚器官がちがっているだけでありまして、根はおんなじもののように思われます。科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。川端康成「抒情歌」
田中麗奈の「周りに『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたら ・・・そういう事を聞きました」という話も面白いかな。それが理系でも文系でも誰でも関係なく。ところで、「その答えは何処かに有る(と思いたい)」という世界が面白いかも、あるいはそうじゃないのかも。 from ぽいんつさんのブログ.
2004-09-13[n年前へ]
■「どの辺が未踏ですか?」に対する大人の対応
京都でIPA未踏ソフトウェアのキックオフミーティングがありました。 「それのどこが未踏なんですか?」という뿉떿쳤ꓤ죣좽꒬ꓞ꒹ꆣ 見てて痛々しい若者もいたりしたので、大人の対応を考えてみました。from textfile.org
(既存のモノは)恰好悪いので新しいモノを作ります、という論理 かなりの開き直り系ですが、ある意味、反論不能なので、かなり強力な戦略です。 …根っからの理系人間を自認する人には使えない技です。 定量的に評価不能じゃないですか、と突っ込まれて黙ってしまったら負けです。 評価不能と突っ込まれても、ぼくが恰好悪いと感じるだけで作る理由としては充分じゃないですか、と開き直ってください。
2004-10-27[n年前へ]
■物理の散歩道
「物理の散歩道」は、残念ながらしばらく前から品切れになっています。「第三 物理の散歩道」から後はあるみたいですけれど.「物理の散歩道」と「続 物理の散歩道」は品切れで、「新 物理の散歩道」シリーズも、ほぼ全滅だったと思います。というように教えて頂きました.それは,とても残念.
パラパラ読んでいても得るところが大きい本なのですが、それが絶版になってしまうのは、今の理系の…読まないととってももったいないですよね.彼らの本は.
2004-10-29[n年前へ]
■大都市における隣駅の法則
大都市では、拠点駅の隣駅にラブホテルが固まっている。例えば、梅田駅なら隣の十三。大阪駅は桜ノ宮、福岡駅は薬院、上野駅の隣の鶯谷もそう。なぜだ?という大都市における隣駅の法則.
2004-11-01[n年前へ]
■その一秒に何の意味がある?
私自身は、どんな媒体であれ、速報はメディアの生命線だと思っている。「新聞は速報性より、深く掘り下げた分析記事を載せてほしい」という意見もある。それは大切な指摘だが、起きた出来事を一人でも多くの人に、一秒でも速く届けるという役割を放棄していいことにはならない。 毎日新聞「理系白書」の記者が作るページ(私は決してそう思わないのだが)必ず「新聞」記者達は「一秒でも速く届けるという役割」といったような言葉を言う。もっとも、そう思わない心を持つ記者は「新聞」記者を続けていくことはできなくて、単にそう思うことができる記者だけが「ふるい」に残っているだけかもしれない。
その一秒に何の意味がある?と私は思う。「競技場で誰かと100m走でもしているのだろうか?」「単に特オチがコワイだけじゃないだろうか?」と感じる。速報がメディアの生命線であるというならば、ずいぶんと細く短い生命線なのだな、とも思う。メディアというのはそんなものを生命線にした、本当にそんなちっぽけなものなのか、私はとても疑問に思う。せめて、「新聞」メディアという世界の中にでも限っていて欲しい、そんな生命線は。
野次馬根性が通常より旺盛(それはこの種の仕事には必要なことだと思う)な新聞記者達は、自分の中の(通常からの)判断基準のズレを少しばかり意識し続けるべきだと思う。そして、速報の必要がある記事、速報の必要が無い記事、その記事がどういったものなのかを考える義務が記者にはあると私は思う。その義務を放棄していいことにはならない、と思う。
新聞記者は謝らない。プライドが高くて自分の非を絶対に認めない。自分の記事で人が死んで一人前、と思ってる。 「恨ミシュランの真実」 西原理恵子
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