2005-07-27[n年前へ]
■解決編「死刑か無罪」のクジを引く
まずは問題編「死刑か無罪」のクジを引くを読んでみてください。あなたはどの選択肢を選んだでしょうか?
今、手に持っているクジをそのまま引くべきだろうか?あなたの運命はどうやら「死刑」のようだ(そうなる確率が高い…)。
それとも、手に持っているクジから手を離し、残っているもう一本のクジを選ぶべきだろうか?あなたの運命はどうやら明るい「無罪」のようだ(そうなる確率が高い…)。
それとも、アセった被告人が存在しようがしまいが、残った二本の文字が書き換わるわけではないのだから、その二本のどちらを選ぼうがあなたの運命に大した違いがなく、あなたは1/2の確率で「死刑」か「無罪」かが決まるのだろうか?という人がもしいたら…、そんな人のための解説編はまた後ほど…。
2005-07-28[n年前へ]
■問題編 私はホントにAIDSなの…?という話
台風を迎えようとしていた月曜日、職場で昨日の話が出た後、話題は次の話に移っていきました。こちらも有名な話です。というわけで、今日もグラグラ揺れる新幹線こだまの中で書いてみます。
「最近は日本でも若年層の間にAIDS感染者が増えているって言うじゃない?日本人全体なら、一体どのくらいの感染率なんだろう?」「うーん、1000人に一人くらいじゃない?」
「じゃぁさ、AIDS検査が99%の確率で正しい診断結果を出すとしようか。もしもAIDS感染者100人がその検査を受けたら、99人は正しく-陽性-と診断されるけれど、残念なことに1人だけは間違って-陰性-と診断されるわけ」「逆に、AIDSに感染していない100人がその検査を受けたら、99人は正しく-陰性-と診断されるけれども、不幸なことに1人だけは間違って-陽性-という結果が出るわけだよね」
「そのADIS検査で-陽性-と診断された人たちがもちろんいるわけじゃない?その人たちが本当にAIDS陽性である確率ってどのくらいだと思う?」その場では0%〜99%まで色々な答えが出ました。ちなみに、0%の人は「自分には全然身に覚えがないから」と言った「極めて主観的に考えた」人です(なんか主題と話がかみあってないような?しかも、全然身に覚えがないっていうのも何だか…)。というわけで、その場の話題は「私はホントにAIDSなの…?という話」へ向かっていったわけです。話の発端は「画像圧縮の基礎知識」のハズが、いつの間にかそんな話に流れていったのです。
2005-09-06[n年前へ]
■地震ハザード・ステーション
全国を概観した地震動予測地図(確率論的地震動予測地図)を眺めれば、きっと気分をとてもブルーにすることができる「地震ハザード・ステーション」
ちなみに、真ん中の日本地図が「30年以内に震度6弱以上の地震が起こる可能性」…そして、一番右は「30年以内に震度5弱以上の地震が起こる可能性」震度5弱以上だと、日本は真っ赤。震度6弱以上でも、私の住んでいる辺りは真っ赤っか。
2006-08-27[n年前へ]
■「エンジニアのための経済学講座」西村和雄教授への質問を考える
次々回の「エンジニアのための経済学講座」の講師は、西村和雄 京都大学経済研究所教授です。複雑系経済学や経済非線形動学理論が専門である西村和雄さんへの質問事項を、先週、編集者と一緒に考えてきました。決めた質問事項のうち、一つは「自由に色んな人が参加する場で、みんなの意見は本当に案外正しいの?(分数ができない大学生でも?)」といったようなことです。そして、もう一つは「人やモノの値段はどのように決まるのか?」ということにしようと思ってます。ネット界隈の現象を眺めながら、色々訊いてみたいことがあるのです。…もう一つ二つ他にする質問事項は、今まだ考えているところです。
これまで、話を聞きに行く先生は「私が話を聞きに行きたい人」ということで選んできました。例えば、「自分たち自身がどんな風に未来を選択するのか」を聞きたくて、"確率的思考 "小島寛之・帝京大学経済学部助教授に話を聞きに行ったり、「自分たに何かの選択をさせる感情」のことを聞いてみたくて、"経済は「感情」で動いている"友野典男 明治大学教授に話を聞きに行ったりしました。今回の(記事上は次々回の)インタビューで西村和雄さんに、「複雑系での全体(みんな)の選択や自分の選択」について聞いてみたいな、と思っています。
将来を決める公式などありません。未来のあなたを決めるのは、過去のあなたではなく、今のあなたがどういう選択をするか、です。1+1を、3や4にしてくれるのは、個人の力に加えて、ネットワークが働き始めたときです。つまり、経済学でいう複雑系が見られるときなのです。これは、あなた自身をも変えてゆく力になるのです。 西村和雄 「満員御礼!経済学なんでもお悩み相談所」
■「心の狭さの法則」と「苦手なメール」
私は元から心が狭い。しかも、その「心の狭さ」は忙しさの三乗に比例して、さらに狭くなるようだ。「自分自身を客観的に眺めるのは難しい」ということも事実である。しかし、客観的に眺めなくとも「おぉ、(この瞬間の私は)なんて心が狭いんだぁ」と自分で思うくらいだから、「忙しさの三乗に比例して、心が狭くなる」ということも、また事実であるように思う。
忙しさに追われて心が狭くなっている時、一番苦手なのが「メール」だ。とくに、「何かの催促や要求をするメール」である。忙しい時にそういうメールが増えてくると、やる気が減衰し、作業の能率が低下してしまいさらに忙しくなる、という魔のスパイラルに陥ってしまうのだ。というわけで、最近では、「"再送"という文字が題名に入っているようなメールは、自動的に削除する」という仕分けルールを適用し始めてしまったくらいである。実に心に余裕がないダメダメ人間だ。
とはいえ、「何かの催促や要求をするメール」はとても苦手なのだけれど、「事務的に淡々と書かれている仕事の催促メール」は心から苦手というわけでもない。心から苦手なのが、特に苦手なのが、「個人としての送り手の事情を催促の理由として書いてある、催促・要求メール」で、そんなメールの送り手には、確率100%で「憎しみ」すら沸くほどだ。先日、リリー・フランキーとナンシー関の対談文を読んでいる時に、同じような内容が書かれていた。100%同意のココロだ。
この間も、若い女の編集者が延々とFAXで「こちらがどれだけ困っているか、おわかりのはずです」とか書くわけ。そういう攻撃されると、サラ金に毎日取り立てられてた頃思い出してブルーになる。「困っているんですけど」って言われても困る。 「リリー&ナンシーの小さなスナック」