2003-01-10[n年前へ]
■本当の声を聞かせておくれよ
「無責任と自由は違う。が、これを理解できてない人間が最近増えた」「ほんとに増えたんでしょうか?」という会話。さて、どうなんだろう。どうなんだろうか?
「無責任」は何なんだって言われたら少しは判るような気もするけれど、「自由」って何だと言われたら、やっぱり何だかよく判らないような気がする。「フリー」ライターだった頃の枡野浩一ではないけれど、「自由って一体何なんだ」とぼやきたくなるのである。カフェインフリーとかデューティーフリーとかフリーライターと言われても、やっぱりよく判らないのである。まるで、それでは「何かの反語としての自由」「何らかの規制の反語としての自由」という風に響いてしまうのである。
そういえば、私の高校は制服が無かったので私服だった。というわけで、私は制服フェチになったのである。自由な服に浸っていたくせに、そんな制服に憧れたりする(といっても男の制服なんか興味ないのである)のだから、何というか…。そしてまた、教え子と結婚した本田サミー先生に「自由が制限されているところに芸術が生まれる」と言われたのもこの頃だったなぁ。
そんなことを考えながら、ふと気づくと何故か口が"TRAIN-TRAIN"を口ずさんでいたのにはビックリなのである。そう、話のもとは「 2chがIPアドレスの記録実験を開始 」なのだった。
ここは天国じゃなんだ。かといって、地獄でもない。
いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもない。
嫌らしさも汚らしさも、むき出しにして走っていく。
見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる。
本当の声を聞かせておくれよ。
本当の声を聞かせておくれよ。
2003-07-19[n年前へ]
■相性マッチング技術
はてなアンテナの広告からこんな性格判断をやってみた。結婚相談所のやってるモノだけれど、なかなか結構面白い。こういう面白いノイズもあるから広告みたいなスペースも面白いかなぁ、と思うんだけど…。
2003-10-24[n年前へ]
■エントロピー・ゼロの恋
「エントロピーは乱雑さ・混沌さ・わからなさなどの程度を示す量であるから、好きな相手に告白をするということはエントロピーを減少させる」という「エントロピー零の恋」
友人はうちあけて振られたけれど、大学卒業して1年後には別な人と結婚してしまった。やはり、エントロピーを減少させるということは、勇気ある人の行なえることかも知れない。一方、若き私はエントロピーを零にしない生き方を好んだ。彼女にうちあけて返事を聞いてしまったら、不運にも振られたらもちろんであるが、幸運にも相手が自分を好きであったとしても、そこでせつない恋愛は終わりである。恋愛の本質はせつなさにあると考える私などは、エントロピー零の恋に情緒を感じない時代遅れの男だった。この他の「数学的思考(?)エッセイ」もオススメです。数学だって物理学だって経済学だってどんな学問もきっと楽しいんだろうなぁ、と思わせるこれらのコンテンツ、眠れぬ夜のお供にいかが?
2003-11-09[n年前へ]
■今日の「私には」とても哀しいけれど「本人のためには祝うしかない」ニュース
朝一に選挙に行った後、北千住にホッケーに行って帰ってくると、「私には」とても哀しいけれど「本人のためには祝うしかない」ニュースを知る。…「可愛い」顔も「こうるさい」性格もとても大好きな磯野貴理子が結婚してしまうなんて。 from 必ず大損する今日のひとりごと
2004-03-23[n年前へ]
■「男」と「女」
「ポジティブな自分」と「ネガティブな自分」から、「ノーマ・ジーンとマリリン」を読んでみた。
ポジティブな自分を否定するネガティブな自分は必ずいるように、そして自分の本当に願う幸せはこれじゃない、と言い続ける自分がいるように、彼女の心の葛藤はとどまることがない。薬と酒に頼るマリリンは”結婚”にゴールを見出そうとするが、それも夢と現実のギャップ、男と女の違いに阻まれて妥協点を取ることも出来ない。「夢」と「現実」の違い、を新明解で調べてみれば、「夢」が「睡眠中に生活経験のごとく生起して目覚めると同時にはかなく消える、一種の幻覚」で「現在当面していて、それを無視することができない事柄」となるらしい。なるほど、目を開けると同時にはかなく消えてしまうのが「夢」で、目を開けても消えずに目の前に居座り続けるのが「現実」というわけか【目をつぶりたいおれカネゴン】。
「夢」と「現実」の違いはなんだかわかるような気がするが【何をわかったカネゴン】、「男」と「女」の違い、というのはいったいどんなものなのだろう?新明解に聞いてみる前に、もう少し自分で考えてみることにしてみよう【自習でなにをおれカネゴン】。
文中で目をとめたのが、こんなフレーズ。
マリリンを一言で表現するのは難しいといったのは、3番目の夫アーサー・ミラーつまりは、カントやヴィトゲンシュタインでなくとも誰しも「語り得ぬもの」で世の中は満ち溢れていると思うのだろう。そして、「三番目」というくらい世の中には”結婚”も満ち溢れているらしい。一体、ギネス記録は何回なのだろうか。
結婚のギネス記録はどうでも良いが、アーサー・ミラーが「マリリンはマリリンだ」と言いたくとも、「マリリンはマリリン」なのかはたまた「マリリンはノーマ」なのか、そんな言葉の迷路に迷い込んでしまったりもするわけで、「語りえぬもの」ばかりの世の中というものもそれはそれで良いかも知れぬ。さすれば、何も語らずに黙っていたとしてもも、「沈黙は金」と誤解されつつあるがままに許されたりするのかもしれない【黙ってられずにおれカネゴン】。