hirax.net::Keywords::「西村肇」のブログ



2005-03-01[n年前へ]

独創的な仕事 

 「独創的な仕事とは、みんなで相談して出来るものではない」という。確かに、自分の中でアイデアがポコポコ湧いていれば、わざわざみんなで相談なんかしそうにないもの。というように思った、西村肇氏の言葉。 from d2005

2005-05-05[n年前へ]

「頭の中の妄想」と「証拠」 

 西村 肇氏の次の言葉を眺める。

本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。理科人間の議論は一回で論戦を決着できる物証の提示…
 時折、頭の中の理屈は妄想に過ぎない、と思うことがある。頭の中の妄想に対して、その「正しさへの近さ・確からしさ」を決めるのは、人間(の頭)ではなくて、(自然科学で言うならば「自然」というような)物証なのだろうと思う。それが、(あえて理系・文系と二つに強引に分けるならば)「理科系」の素晴らしさ(同時につまらなさ)かもしれない、と思うことがある。

「未来予想図の多数決」と「12人の怒れる男」 

西村 肇氏の言葉は次のように続く。

独創的な仕事とは、みんなで相談して出来るものではなく、傑出した個人がみんなを引っ張って出来るものという点です
12人の怒れる男特集naoyaのはてなダイアリー - 反対の中からイノベーションは生まれる「七割が賛成するプランは時すでに遅く、七割が反対するプランでやっと先手がとれる」という松下幸之助の言葉をひきつつ「周囲が - そんなのうまくいくわけない - と思っていることでもとにかくやってみて、他にないものを生み出していけたら…」と語る「反対の中からイノベーションは生まれる 」を読みつつ、確かに何か新しいことをするような場合には「(未来に)正しそうな考え」は必ず少数派になるものなのだろうなぁと想像する。多数決ではきっと未来予想図を描くことはできないだろう、と想像する(私には想像することしかできないけれど)。映画「12人の怒れる男」ではないが、多数の考えが「正しくなくて」の少数の考えが「正しい」ということは、決して稀ではないように見える。

 もちろん、その未来予想図が「正しい」かどうかは、西村 肇氏の先の言葉「理科人間の議論は一回で論戦を決着できる物証の提示」で決められるべきものだと思う。つまり、人間の頭の中の想像・妄想ではなくて「描いた未来を物証で示す」べきものなのだろう、と思う。つまり、結局のところ「未来を予測する最良の方法は、未来を創りだすことだ(The best way to predict future is to invent it.)」というアラン・ケイ(Alan Kay)の言葉に尽きる、のだろう。「未来の想像・妄想図」を現実のものとして作り出してしまえば、それは想像や妄想の未来ではなく「現実」になるのだろう、と思う。現実に生み出された未来を見れば、そしてそれが実際素晴らしくて受け入れられていくものであれば、その未来予想図は「正しい」ということになるのだろう、と想像する。

2006-03-01[n年前へ]

「ネットの広い世界」は「狭い世界」を作る 

 from n年前へ.

 広い世界はえてして狭い世界を作る。似たようなものを集めようとする力がある限りは、母集団が多い場の方が純粋に似たものが数多く集まってしまう。 とはいえ、もちろん狭い世界はやっぱり狭い世界なのである。ただ、さらに狭くなるのは難しい、というだけだ。
 つまらん!おまえの話はつまらん!

大滝秀治
 独創的な仕事とは、みんなで相談して出来るものではない。

西村 肇

2010-06-13[n年前へ]

「本当の理科人間」 

 「本当の理科人間」に限らず、「本当の文科人間」でも同じではなかろうか、とも想像する西村肇氏の言葉から。

 本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。
 理科人間の議論は一回で論戦を決着できる物証の提示、あるいはそれから反論の余地なく導かれる推論の提示です。
 理屈を聞いたり・言ったりするよりも、「動く」ものを作り出すことが好きだ。「こういうものがあったらいい」と思えば、実際に作ってみればいい。もしかしたら、そういうものも「物証」のひとつになるのだろうか。それは、「本当の理科人間」に限らず、「本当の文科人間」でも同じなのではないだろうか。



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