hirax.net::Keywords::「運命」のブログ



2004-05-22[n年前へ]

"幸せ"と"仕合わせ"を繋ぐ糸 

 "幸せ"をはかる定規

縦の糸はあなた 横の糸は私逢うべき糸に 出逢えることを人は 仕合わせと呼びます     中島みゆき 「糸」

 同じ音の言葉を並べ、音が同じなんだから意味も同じなんだ・似ているんだと繋いでみる。それは例えば草枕の冒頭の「人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」という繋ぎ方だ。それが例え論理的でなかったとしても、それでもそんな「繋ぐ」ということには意味がある。繋げて眺めた人がいる、ということにとても大きな意味がある。

 とはいえ、「意味がある」というならば、やはり辞書で一回その意味を調べてみた方が良いだろうか。そこで、新明解国語辞典で"幸せ"と"仕合わせ"の意味をひいてみよう。
仕合わせ 運命の巡り合わせ幸せ その人にとって・幸福であること 
 運命の巡り合わせがその人にとって幸福であるかどうかは判らない。仕合わせが幸せであるかどうかは判らない。しかし、「出逢うこと・巡り会うこと」が「仕合わせ」で「仕合わせ」が「幸せ」になる、と誰かが繋いだことには意味がある。結果がどうあれ、誰かが色んな糸を紡ごうとしていることには必ず意味がある、と思う。

 そうだ、過去に浮かんだ「巡り会う」と「幸せ」も同時に眺めてみよう。もしかしたら、自然に繋ぐことができるのだろうか。

2004-08-01[n年前へ]

マンガは哲学する 永井均 

 「マンガは哲学する」 永井均著。

 「(ドラえもんがのび太の運命を変えると、ドラえもんの自身の存在理由が無くなってしまうので)ドラえもんは何のためにいるのか」という話や、色んな話。

2005-02-11[n年前へ]

「四捨五入と五捨五入」 

あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんの気にし過ぎとや」日記kom’s log おれカネゴン「算数記」経由で「日記における四捨五入」を読んでみる。「自分の中の何かを四捨五入して、切り捨ててみたり・切り上げてみたり、そういう感覚はあるかもね」なんて考えながら、ふと、心に思い浮かぶのは四捨五入ではなくて、五捨五入(JIS Z 8401 特にiii項)(ISO31-0)

 自分の中の何かだったり、自分自身が、四捨五入される感覚というのはありがちなものだと思う。今時の季節であれば、もしかしたら受験生なんかはそんな感覚を持つことも多いかもしれない。四と五ではほんの一つしか違わないのに、四捨五入後には大違いになるのだから、自分の力が四以下にならないように、なんとか五以上までがんばって上げないと…なんて思ったりしたことがある人も多いかもしれない。捨てられるか捨てられないかの瀬戸際で、自分自身の桁の数値を大きくしてみようか、なんて思ったことがある人もいるかもしれない。

 四捨五入では、「どこかの桁」が切り捨てられるか切り上げられるかは、その桁自身の値の大小で決まる。ところが、五捨五入だと(もちろん、この方法を使う必然性があるわけだけれども)その桁を切り捨てるか・切り上げるかは、(その桁ではなくて)その上の桁が偶数か奇数かで決めてしまう。つまりは、自分が切り捨てられるか切り上げられるかの運命決定権は自分の上の桁が持っていて、その桁がサイコロを適当に振って自分の行く末を決めてしまう。「自分を四捨五入する」と「自分が五捨五入される」のと、どちらがありがちなのかはわからないけれど、どちらもよくありそうな話だ。
株式会社データアクション 油断ならない四捨五入
 「日記における四捨五入」の話に戻るなら、「四捨五入は必ずプラス側に誤差を生じる」という言葉を、この場合にはポジティブに眺めてみるのも、それはそれで良いのかもしれない。今回のような話題であれば、そういったこともあるかもしれないから。「四捨五入で必ずプラス側にシフトする」といったようなことが、少しはあるかもしれないから。

(ところで、こんな話題を書こうとする時、いつも「おれカネゴン文体」霊に憑依されそうになるのは一体何故なのだろう【人は誰しもおれカネゴン】)

2005-07-27[n年前へ]

解決編「死刑か無罪」のクジを引く 

 まずは問題編「死刑か無罪」のクジを引くを読んでみてください。あなたはどの選択肢を選んだでしょうか?

今、手に持っているクジをそのまま引くべきだろうか?
 あなたの運命はどうやら「死刑」のようだ(そうなる確率が高い…)。
それとも、手に持っているクジから手を離し、残っているもう一本のクジを選ぶべきだろうか?
 あなたの運命はどうやら明るい「無罪」のようだ(そうなる確率が高い…)。
それとも、アセった被告人が存在しようがしまいが、残った二本の文字が書き換わるわけではないのだから、その二本のどちらを選ぼうがあなたの運命に大した違いがなく、あなたは1/2の確率で「死刑」か「無罪」かが決まるのだろうか?
 という人がもしいたら…、そんな人のための解説編はまた後ほど…。

ヒント!?編「死刑か無罪」のクジを引く 

 実際にやってみると自然と納得してしまいそうですが、ポイントの一つが

 さて、この次の瞬間、あなたはどうすべきだろうか。
の「この次の瞬間」というところでしょうか。つまり、ここまでの物語が生じてしまった後に確率がどうなっているか、という辺りでしょうか。つまり、この物語は「この瞬間」から話が始まっていて、この物語にあてはまらない物語は別の世界の物語、ということになります。

 また、ツッコミされた方に感謝を込めつつ(ありがとうございます)、(実は今回の物語では神=ストーリーテラーの私が彼の運命を決めていて、彼は必ず死刑を選ぶのだ)という一文を挿入しておきました。なんと、その人の…恐ろしい運命なんでしょうね?というわけで、明日くらいまではどんどん文章が書き換わるかも?

 さてさて、というわけで
元の「全てを知ってる司会者」を「全てを知ってる私が動かすアセった被告人」にしたのは無理があったなぁ、とは思ってます。司会者の話だとちょっと興味を持たれにくいかなぁ、と思って変え始めたらちょっとはまってしまいました。
 今度、ハマった箇所などを解説編こんな実験編ここがマズった!!編などなどでまとめていきますね。



■Powered by yagm.net