hirax.net::Keywords::「鉄道」のブログ



2004-03-19[n年前へ]

「鉄道車内放送の旅」 

 以前リンクを張ったサイトとは違って、全て生で録音した列車や駅にまつわる音を聴くことができる「鉄道車内放送の旅」周りの音も入っているそんな音を聴いていると、周りの空気や歩いている人だって頭の中で見えてくるような気がする。ヘッドホンでもかけて、日本中を旅する気持ちになってみるのも、良いかも。

 いつも蒲田駅で聴く蒲田行進曲も、ホームが違うと違うメロディだった、なんていう発見も。

2004-10-20[n年前へ]

武蔵溝ノ口 

 雨の武蔵溝ノ口。あまりの豪雨に写真も撮れず。「台風には色んな名前があって面白い」なんて楽しんでいる余裕も、新幹線が止まっていることに気づいた途端に吹っ飛んでしまう。右往左往した結果、ギューギュー詰めの東海道本線でなんとか沼津へ辿り着く…。今年はこんなシチュエーションが多すぎる。
 だけど、そんな鉄道の旅ももしかしたらいい経験なのかも(次の日になったから、そんな気分になってるだけ)。

2004-11-26[n年前へ]

300系新幹線の悪夢 

.今日の必ずトクする一言 -- TODAY'S REMARK -- 新幹線に飛び乗り、東京に向かう。目覚ましにコーヒーを買って、隣の席のテーブルに置いて、ノートPCを開いて資料作成の続きを始めた。しばらくすると、トンネル(トンネル内はいつも恐怖を感じる)に入り、いつものようにガタピシグラグラ車両が揺れ始める(300系は本当に悪夢以外の何者でもない)。と、思ったらコーヒーの缶があまりの揺れで飛び上がりながら倒れ、周りにコーヒーをまき散らした。もちろん、作業中のPCの上にも…。砂糖無しのコーヒーだったのが不幸中の幸いだ。急いで乾かしつつ、作業を続ける。
 Wikipediaにも「300系の導入当初は、座席前のデスクに置いたコーヒーがこぼれたとか、サンドイッチが手も触れないのに丸ごと床に転落した、などの苦情が相次いだ」と書いてあるが、多少の改良をした今でもひどすぎだ。

IEEE History Center - Tokaido Shinkansen (Bullet Train) 1964 IEEEのマイルストーン賞も受賞した東海道新幹線だが、少なくともあんな300系を世に出してしまい、しかもそれを今でも使い続けている、という点において(かつてのJRではなく、少なくとも「今の」JRは)マイルストーン賞はスッパリキッパリ返上して欲しい。「高速鉄道に関して世界最高水準の技術と風洞を持つJRが300系の揺れ問題を長年放置していたのは実に情けない」という5年前から全然変わっていないところが、情けない。

2004-12-07[n年前へ]

想い出のマガジン タイムスリップグリコ 

思い出のマガジン | タイムスリップグリコ 「みんなが読んだあの雑誌、ファッション、音楽、アイドル、そんな思い出がいっぱい詰まったマガジンたちが、1冊まるごと、かわいいミニチュアサイズで復活しました」という想い出のマガジン タイムスリップグリコ

 「月刊平凡」「POPEYE」「少年画報」「CAR GRAPHIC」「花とゆめ」「Olive」「ARENA 37℃」「4年の学習」「鉄道ファン」が「小さなサイズにもかかわらず当時の記事の中身はもちろんのこと、広告や折込のポスターなども忠実に再現」ということで、このうちのどれか一つでもツボにハマる人であれば、これはぜひ買いかも。ちなみに、私は「花とゆめ」と「4年の学習」辺り。
花とゆめ | 思い出のマガジンオリーブ Olive | 思い出のマガジン4年の学習 | 思い出のマガジン

2004-12-23[n年前へ]

今日書いたメイル 「パンドラの鐘」 

今日書いたメイル 「パンドラの鐘」
> バンコックでも戦後の銀座みたいな
> (みたことは有りませんが)力強さを感じます。
> 80年代のアメリカに行った時は時化た感じがした
> 同じ場所に行っても今は再生(本当はずっと生きて
> いたのをこちらが見ていなかっただけでしょうが)
> している強さを感じたりします。

 積み残しの仕事に追われ、自由時間は半日だけでしたが、バンコクの秋葉原「パンティーププラザ」を駆け足で眺めてきました。かつての海賊ソフトの一大博覧会の状態の片鱗もなく、ハード主体に変わっていました。

 奥手の明るくも華やかでもないブースの中で、ブラウン管の駆動回路を修理している子供を見ながら、何だか感慨深い思いに浸ってしまいました。高架鉄道も地下鉄もできて、バンコクはずいぶん快適な街になってきていますが、それでもまだほのかに戦後の銀座という空気がありますね、確かに仰るとおり。

 ホテルの近くは塾がたくさんある一角で、(高校生向けの)応用物理専門塾とか、基礎物理専門の塾とか、驚くばかりのいろいろな専門塾がありました。そこには、チェラロンコン辺りを狙ってるだろう上流家庭の子供が通ってきていました。その塾の窓には"UnlimitedOpportunity"なんていう風に書いてありました。ずいぶんと"Limited"な"Unlimited"なんだろうな、と少し考えたりもしました。「無限の未来・可能性」への扉、この塾への扉はずいぶんと限られているんでしょう。

 私は"Limited"というものがキライです。確かに、世界は限られているけれど、それを受け入れていかなければならないことも確かだけれど、それでも「身の丈にあった」なんていう言葉はキライです。たくさんの「できること」があるのに、不自由な世界がもっと他にはあるのに、贅沢なばかりに色々なことができるのに、それを勝手に狭める人は好きではありません。狭い世界しか知らず、少ない経験しかなく、そんな狭い視野で世界を狭めて語ろうとする人も好きではありません。

 というわけで、公演パンフレットで「身の丈」「根性」「信じる」という言葉で解説されていた野田秀樹の「パンドラの鐘」、その「パンドラの鐘」が、今日、頭の中で鳴っています。


 賭けをしましょう。
 あなたの服に触れず、その乳房に触れた日のように。

 いつか未来が、この鐘に触れずに、あなたの魂に
 触れることができるかどうか。

 滅びる前の日に、古代の心が、
 ふわふわと立ち上る煙のように、
 いつか遠い日に向けて、届いていくのか。

 あなたは、古代の心は、どちらに賭けます?

 俺は、届くに賭けますよ。


jun hirabayashi




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