2005-11-30[n年前へ]
■「雲と青空や光」
一月近くの間、わきめもの「雲と青空や光」の話を、何だか不思議に眺めていました。
さて、「遠くかなたに浮かぶ雲。あの雲の下はどのあたりなのだろうか。それが異国の地だったりすれば話は少し美しいのだけど、ちょっと考えるとたぶん埼玉とかそこらへんなのである」の「遠くかなたに浮かぶ」って、どのくらい遠くなんでしょうね。「遠くかなた」といっても、きっと高度5kmとか10kmなんですよね…。だとすると、それに比べれば「埼玉とかそこらへん」でも十分遠いのかも…しれないですね。
そういえば、雲っていうと手の届かないもののように言われるけど、実は結構身近な存在だ。…しかし、青空となるとこれはちょっと自信がない。…だいたい夜になると消えてしまうところが怪しい。
2006-01-20[n年前へ]
2006-01-25[n年前へ]
■裾野
昼休みの箱根側の山。一月の終わりにしては、寒くない。目の前に立っている鉄塔に繋がれた送電線の先を眺めると、箱根の山の先まで続いている。箱根の山にはかすかに白い雪が残っていて、青い空には白い雲も浮いている。
携帯電話の液晶ごしに眺めた「今日見た景色」
2006-05-15[n年前へ]
■「おとなの小論文教室。」
私は「ほぼ日刊イトイ新聞」は読んでいない。単独の記事を、他からのリンクで読みに行くことはあるけれど、「ほぼ日刊イトイ新聞」を読みに行くことはない。レイアウトが読みにくい、ただそれだけの、けれど十分な理由があるからだ。レイアウトが読みにくいから読まないだけだから、書籍として読みやすく作り直されたものは、楽しんでいる。もしかしたら、書き手からしたら不十分な出来なのかもしれないが、それでもWEBサイトの読みにくさと比べれば雲泥の差だ。
昨日、山田ズーニー著「おとなの小論文教室。」を読んだ。これもまた、「いい」という感想は眺めつつも、WEBページ上では読む気にならず、これまで一度も読まなかったものだ。この本は本当に良かった。けれど、タイトルは、本当に良くない。少なくとも、この本のタイトルは、この本の内容の素晴らしさを表していない。私がこの本の中から読み取ったことは、「自分を見つけ出す」ということだ。
年齢によらず、「自分という一人称を主語にして、私は〜だ」と言うことができない人、自分が相手にしている若い人たちの中に「自分という一人称」が見えないと感じる人、そんな人は手に取ってみるといいと思う。本屋で手に取って読んでみるか、それができなければ、Amazonで買った方がいいと思う。この本のタイトルや「ほぼ日コラム」というキャッチフレーズだけで手に取る気を無くす人も多いだろうけれど、手に取った方がきっといいと思う。そうすれば、自分や他人を見つけ出し、それらを手に取ることもできるんだろう、と思う。
2007-07-19[n年前へ]
■自分らしさと世界の何処かのアイスクリーム
from n年前へ.
現代の私たちの日常生活には多種多様な「コピー」が満ち溢れています。 「コピーの時代」
おー、よう来たのぅワレまあ上がって行かんかいワレ 久しぶりやんけーワレ何しとったんどーワレ 「河内のオッサンの唄」
自信に満ちあふれているときには、「自分が生み出した結果」を書きたいと思いこそすれ、「自分のやり方」について書きたい、なんてこれっぽっちも思いません。 自分の中に、自分の立ち位置に対する「心の強さ」が十分にあれば、「(他)人は(他)人、自分は自分」とだけ鼻歌交じりに他人を眺めていたりします。
何処かでちょっと切なげなリフレインが聞こえた。聞き取れたのは「きっといつか溶けてなくなるアイスクリーム…」というところだけ。 だけど、世界の何処かにはきっとあるはず、と思ったらやっぱりあった。ぶらり旅の行く先はトルコにしようかな。「雲ひとつ無い青い空、不思議な景色、そしてアイスクリーム」だけを見に行くのも良いかも。
他の人の自信を支えるやり方を聞くと元気をもらえます。真似をしたいと思います。 元気な時に自分のやり方をメモしておいて、不安になった時にはそのメモを読んで自分のやり方を思い出しています。
違う時間の自分=「他人」に向かって、そんな助ける言葉を書いておくのも良さそうですね。私も早速真似してみようと思います。
「今回は、読者の範囲はかなり狭まり、読者数は減ると思いますが、狙った人にきちんと届くことを考えましょう」