2003-11-20[n年前へ]
■マシンルーム内のサーバコンピュータを移動するのですが、風水的な見地から移動方向配置にアドバイスを…
というはてなの質問。なかなかセンスがグッドです。
2004-01-23[n年前へ]
■「カミノサイコロ。」
かさねかさねに寺田寅彦の『Sugoroku no sai』をきっかけとして書かれた♪さいころの1は、なあに?が更新されている。重心位置のずれたサイコロの出目がどうなるだろうか、という話だ。
ずっと前に、私は重心位置のずれたサイコロで就職する会社を決めた。私が自分で決めたのはもう少し研究室にいるか、あるいは就職をするかだけだった。その判断をするだけでも十分疲れてしまった私は、研究室の先輩に「紙のサイコロ」を作ってもらって、それで就職(活動)する会社を決めたのだった。どうせ、自分の頭で考えてみてもどの会社が自分に合っているかどうかなんて判らないだろうから、考えてもしょうがないことはサイコロで決めちゃえー、と思ったわけである。といっても、その不器用な先輩が作ったサイコロはとてつもなく重心位置がずれていた。その一番重心に近い面に、今の勤務先を私が自分で鉛筆で書いたのだったから、サイコロに自分の道を決めてもらったような、あるいはそれでも少しは自分で決めたような、何とも私らしい中途半端な決め方だった。しかし、今のところ、そのサイコロの目のアドバイスはそう悪くない出目だったように見える。
そう言えば、昨日ちょうど職場でサイコロの話をしていた。「どんな少しの判断でもそれをするのが苦痛だから、どんな時でもサイコロで選択したくなる」なんて話をしていたのだった。「何かの選択をしたり、あるいは選択できなかったことをずっと後悔するのは辛いから、今はどんなことでも全てサイコロで決めたくなる」なんて相談をしかけていたのだった。仕事場で話す愚痴にしては、トンデモナイ話だと自分でも思う。
「紙のサイコロ」は大抵の場合重心位置もすごくずれていて、出目もずいぶんと偏っているかもしれないけれど、そのサイコロに未来を時折まかせてみたりするぼくらからすれば、そのサイコロはただの「紙のサイコロ」ではなくて、それはもう「神のサイコロ」だ。「神はサイコロを振らない」とかつてアインシュタインは言ったけれど、ぼくら自身は神じゃない。神じゃないぼくらだからこそ、折に触れて「カミノサイコロ」が欲しいと思ったりもする。
2004-01-24[n年前へ]
2004-01-25[n年前へ]
■カッコがつかない…?いやきっとつく。
『「強弱」の定義って、ナニ?』というツッコミをされた方の名前に、ふと必然を感じたので書いてみようと思います。
前に
弱者はなかなか強者にはなれないし、強者は弱者をほとんど例外無しに理解し得ない。と書きました。昔の文章を書き直すのもどうかと思うので、書き直しはしませんけれど、
「弱者」はなかなか「強者」にはなれないし、「強者」は「弱者」をほとんど例外無しに理解し得ない。と書き直しておけば良かったかな、とは思っています。「カッコ」を付けておけば良かったな、と思っています。文章で書くなら、…チョーさん風に言えば、「いわゆるひとつの」という感じです。「いわゆるひとつの」強者、「いわゆるひとつの」弱者という感じでしょうか。いくつもある言葉の意味の中の一つ、という感じかもしれません。あるいは、それだけでなくて、もっとシニカルな意味が入っているのかもしれません。
例えば、-アメリカという「正義の味方」-というニュアンスや、-あなたは誰にでも「いい人」でいたがるのね-とか、そんな感じかもしれません。その「正義の味方」や「いい人」というのは、本当に正義だったり良かったりするかどうかはちょっと疑問、ていうニュアンスがありますよね。そんな感じかもしれません。 …「かもしれません」なんて書いていると言うことは、つまりは書いてみたけれど、私自身よくわからないわけです。
結城さんのインタビューの中で、「強い人」「弱い人」とカッコ付きなのが、そんなニュアンスで書かれたのかどうかは判りません。編集者の方がつけたのかもしれませんし、あるいは結城さんが特にそういう意図でなく、カッコをつけてみただけかもしれません。ただ、そのインタビューを読んで、あぁやっぱりその「強い人」「弱い人」にはカッコがついているなぁと私は思ったのでした。
それでも、もしも『なにか「強い人」の定義があったらなぁ』と思うのでしたら、例えばこういうのはどうでしょう?例えば、結城さんの「強い人」へのアドバイス、『世の中には「正しければ良い」って思う人がいるんですよね。正しければ相手に何を言っても良い。相手の本当の姿なんだから、相手に突きつけても良い。正しいことがすべてだ、と』というアドバイスが必要な人が「強い人」だ、というちょっと逆向きな定義はどうでしょう?『「正しければ良い」って思いがちな人』が「強い人」だ、っていう定義はどうでしょう?あくまで「カッコつき」の「強い人」の定義になってしまいますけれど。
もちろん、気になされている定義というのは「カッコのつかない」ものに対する定義なのでしょう。ところが、実のところ、私は「カッコがつかない強い人」というものをその言葉の意味も含めてよく想像することができません。意味すら想像できないのですから、そんな人が実在するのかどうかなんて、全然わかりません。もしも、そんな強い人というものが実在するのなら、それは「人じゃない」んじゃないか、とすら思ってみたりします。つまり、もしも「カッコをつけなければ」人は全て弱いと思っているわけです。そして、それとは逆に「強い人」というのは、もしかしたら「自分にカッコをつけてしまっている」のかもしれない、とも思うわけです。
2004-04-26[n年前へ]
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Chicさんの
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