2004-12-23[n年前へ]
■今日書いたメイル 「パンドラの鐘」
今日書いたメイル 「パンドラの鐘」 | |
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2005-01-17[n年前へ]
■「パンドラの鐘」
高架鉄道も地下鉄もできて(その地下鉄で事故があったなんていうニュースもテレビではやっていますが…)、バンコクはずいぶん快適な街になってきていますが、それでもまだほのかに戦後の銀座という空気がありますね、確かに仰るとおりに。
積み残しの仕事に追われ、自由時間は半日だけでしたが、バンコクの秋葉原「パンティーププラザ」を駆け足で眺めてきました。かつての海賊ソフトバザールの片鱗もなく、ハード主体に変わっていました。ビル奥手の明るくも華やかでもないブースの中で、ブラウン管の駆動回路を修理している子供を見ながら、何だか感慨深い思いに浸ってしまいました。
ホテルの近くは塾がたくさんある一角で、(高校生向けの)応用物理専門塾?とか、基礎物理専門の塾?とか、驚くばかりのいろいろな専門塾がありました。そこには、チェラロンコン辺りを狙ってるだろう上流家庭の子供が通ってきていました。その塾の窓には"Unlimited Opportunity"なんていう風に書いてありました。ずいぶんと"Limited"な"Unlimited"なんだろうな、と少し考えたりもしました。「無限の未来・可能性」への扉、この塾への扉はずいぶんと限られているんでしょうか?
私は"Limited"というものがキライです。確かに、世界は限られているけれど、それを受け入れていかなければならないことも確かだけれど、それでも「身の丈にあった」なんていう言葉はキライです。たくさんの「できること」があるのに、不自由な世界がもっと他にはあるのに、贅沢なばかりに色々なことができるのに、それを勝手に狭めたりするのはあまり好きではありません。
というわけで、公演パンフレット中では「身の丈」「根性」「信じる」なんていう言葉で解説されていた野田秀樹の「パンドラの鐘」、そんな「パンドラの鐘」が、今日の頭の中でガランゴロンと打ち鳴らされています。
賭けをしましょう。
あなたの服に触れず、その乳房に触れた日のように。
いつか未来が、この鐘に触れずに、あなたの魂に
触れることができるかどうか。
滅びる前の日に、古代の心が、
ふわふわと立ち上る煙のように、
いつか遠い日に向けて、届いていくのか。
あなたは、古代の心は、どちらに賭けます?
俺は、届くに賭けますよ。
2006-01-17[n年前へ]
2010-08-01[n年前へ]
■「身の丈を知る」と「巨大な金型」
「型(かた)にハマらない(ハマれない)人」が好きです。そんな私の好きな人の言葉を聞きながら、アンゴルモワの恐怖の大王が訪れるはずだった1999年に、「パンドラの鐘」に野田秀樹が書いた言葉を思い出しました。
そこなのだ、ものをつくるってことは。
私はいまだに自分がつくる芝居がこの世で一番おもしろいと思っている。そう思ってつくっている。これはもはやカッコ悪いことなのかもしれない。
でもね、でもね、近頃つまらない芝居が増えてきたのは「身の丈を知る」なんていうコトバが横行しているからだ。身の丈知りたかったら舞台にあがるな、どっかそこら辺にいろと私は言いたい。金型に樹脂を流し込む巨大な装置を初めて見たとき、その横には条件出しをしている過程で作られた部品のようなものが山積みになっていました。巨大建築物のような装置と、横の樹脂の山を見ながら、「型にハマる」のも「型にハマらない」のも、どちらも大変なものだなぁ、と思ったものでした。