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2006-08-03[n年前へ]

「行動経済学」@ホワイトボード  share on Tumblr 

 夜、新橋で「行動経済学 経済は「感情」で動いている」の友野典男さんへのインタビューのテープ起こし文章(2時間分でトータル A4 30ページ!)を元に、「行動経済学」@ホワイトボードを描く。ホワイトボード中に大きく登場している「幸福の科学」は、もちろん実在の団体とは関係ありません…よね。
 ちなみに、記事公開は来月中旬予定です。原稿締め切りは来週だけど…。

「愛情はヒューリスティクスですか…」「そう」「愛情は経験則だったんですか」「愛情はね、経験則というか、 相手を決める手っ取り早い方法ですよ」
「ということは、明らかにメリットやデメリットが計算できるような人だったら、愛情の出番はないのかもしれないんでしょうか?」「そう。ないかもしれない」

「行動経済学」@ホワイトボード






2006-09-09[n年前へ]

ようやく納得「ヒューリスティクス」  share on Tumblr 

 「いかにして問題をとくか」を読んで、ようやく「ヒューリスティクス(発見的論法)」というものの意味がわかった気になりました。

 この本は、発見的(heuristic)と呼ばれる研究に基づくものである。
論証的論法: AならばBであるとき、Bでなかった  → Aは間違いである
発見的論法: AならばBであるとき、Bだった  →Aは正しいらしい
 "経済は「感情」で動いている"友野典男 明治大学教授にお話を聞いた時、「ヒューリスティクス」という言葉が頻出しました。けれど、原稿にする際には、「ヒューリスティクス」という言葉は出さないことにしました。なぜかというと、インタビュー時および記事作成時に「ヒューリスティクス」という言葉を他の言葉で言い換えることができなかったからです。意味をはっきりさせられない言葉を使うのはちょっと…と感じ、「ヒューリスティクス」を削ってしまいました。だから、今の時点でインタビューと記事書きをやり直せば違う感じの言葉&話になったかもしれない、と少し残念に思いました。

 ところで、次の「発見的(heuristic)」に関する60年前の言葉もなかなか面白いです。
 この種の研究は今日ではあまり流行らないが、その過去は長いものであり、幾分かの将来性があるものといえよう。

"How to Solve It" George Polya@1945

2007-09-09[n年前へ]

「ヒューリスティクス」と「焼き肉」と「ビール」  share on Tumblr 

 NTTがテレホンカードを導入した頃、20年くらい前、KORGのM1を抱えながら、武蔵野線に乗って初めて柏に行った。夏休みを迎える頃、「運河」近くで2,3日過ごしたような気がする。朝から晩まで技術工作をして、夜は運河へ蛍を見に行って、確か2,3日の時間を過ごしたような気がする。

 70年前の「いかにして問題をとくか」を読んで、ようやく「ヒューリスティクス(発見的論法)」の意味がわかった気になりました。
 その時のいつかの早朝に、ゴミ捨て場でFtbというカメラを拾った。1年もしない内に、そのカメラは永眠したけれど、そのカメラには色んな影響を受けた。少なくとも、その後の20年くらいは、そのカメラに影響を受け続けた。
 人はやがて いつかみんな 死んでしまうのですから
 それから何年も経ってから、繰り返し柏近くへ行くようになった。その近くで、1月半ほど過ごしていたこともある。午前の5分間の休憩と、45分間の昼休みと、午後の7分間の休みを経て、いつも夜には中華料理屋でビールを飲んだ。
 今年の初め、東京大学大学院 新領域創成科学研究科で話をしてきました。その夜は、基盤情報学専攻の某研究室の人たちと焼き肉屋で美味しいビールを飲んでいたわけです
 とても美味しかった焼き肉は、ふと思い返してみれば「牛鈴」だった気もする。 いや、違ったかもしれないけれど、茨城の県道沿いにある、焼き肉屋までテクテク歩いて行った気がする。…つまり、それをひとことで言うならば、つまりは「最高に美味しい焼き肉」だ。
  ヒューリスティクス(発見的論法) AならばBであるとき、Bだった→Aは正しいらしい

"How to Solve It" George Polya@1945
 確実なことも、100%正しいことも、きっと世の中には存在しない。そんな世界で、ポリア教授が書くヒューリスティクス(発見的論法)は、とても新鮮に響く。
 なにか心配事があってもだいじょうぶですよ
 それから、繰り返し柏に行くようになった。行く目的や、行く立場は変わっていったけれど、何度も何度も柏へ、あるいは、柏近くへ行くために柏を通り過ぎた。
「女性を感じさせないから(感じる前に終わるし)、体内を(女の子になるX精子が生き残りやすい)酸性のまま」にしておけるし、「ゴールから遙か遠くから、精子耐久レースを始めることができるから、酸性に弱い(男の子になる)Y精子を最後まで行かせない」ことができる…というような告白が「遺伝的アルゴリズム、遺伝的プログラミング、人工生命」というキーワードとともに語られたのです。
 「こんなものがあったらいいな」と思うことがある。けれど、そんな時「そんなものがあったらいいな」と思ってくれる人がいないことは多い。「そんなもの」が「どんなもの」なのかわかってくれる人はいないのが普通の当たり前だ。
だって、人には 限界があるのですから人にはできないことも あるのですからだから 一生懸命がんばったらあとは神様に おまかせすればいいのです
 そんな時、「そんなもの」が「どんなもの」なのかを実際に作り出すことになる。そのための長い時間が、一番楽しい時間だと私は思う。作り出した瞬間はほんの一瞬で、その峠を過ぎる一瞬が訪れたと同時に、その瞬間は過去の事象に変わる。だから、「そんなもの」が「どんなもの」なのかを作り出すための長い時間が、一番楽しい時間だと私は思う。
 だって、人はやがて いつかみんな 死んでしまうのですから

2010-08-03[n年前へ]

愛情はヒューリスティクス  share on Tumblr 

 数年前の今日を眺める、"n年前へ"から、行動経済学 友野典男先生に聞いた、こんな言葉。

Q:「愛情はヒューリスティクスですか…」
友野:「そう。愛情はね、経験則というか、相手を決める手っ取り早い方法ですよ」
Q:「ということは、明らかにメリットやデメリットが計算できるような人だったら、愛情の出番はないのかもしれないんでしょうか?」
友野:「そう。ないかもしれない」



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