2004-02-15[n年前へ]
■井の中の蛙大海を知らず、しかし空の蒼さを知る
井の中の蛙大海を知らず
秋水編 荘子
しかし空の蒼さを知る「新撰組」を観ていると、「井の中の蛙大海を知らず、されど空の高さを知る」というような一節が出ていた。荘子「秋水編」の有名な一節に誰かが「されど空の高さを知る」あるいは「されど天の高さを知る」という一節を付け足したもののようだ。
詠み人知らず
少し検索などをしてみると、「井の中の蛙大海を知らず、しかし空の蒼さを知る」というものもあった。この付け足された部分の原型がどういうものであるのか、あるいはどういう経緯で生まれてきたものなのかは判らないけれど、「井の中の蛙大海を知らず、しかし空の蒼さを知る」なら良いかもしれない。「天の高さ」でなくて、「空の蒼さ」ならもっと良いように思われる。
確かに、井の中の蛙には「天の高さ」は判らないに違いないことだろう。人の遙か上にある「天」の高さは確かに判らないかもしれない。その「天の蒼さ」だってきっと判らないに違いない。
けれど、井戸の「穴」を通じて自分の上に見える「空の青さ」ならよく知ることができることだろう。井戸の中から空を見上げれてみれば、昔なら昼間でも星を見ることができたように、井戸の中からだからこそ「空の蒼さ」を誰よりも知ることだってできるかもしれない。空しか見ることのできない井の中の蛙だからこそ、憧憬とともにその「空の蒼さ」を心に刻むことだってあるかもしれない。
2005-09-17[n年前へ]
■「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」
Tech総研ブログに「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」を書きました。
あなたなら、「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉をどんな時に思い浮かべるでしょう?そして、その言葉に「どんな一言」を続けたくなるでしょうか?
2005-09-18[n年前へ]
■続 「井の中の蛙(かわず)」
Tech総研ブログに続 「井の中の蛙(かわず)を書きました。
つまりは、昨日の「あなたなら、井の中の蛙、大海を知らずという言葉をどんな時に思い浮かべるでしょう?そして、その言葉にどんな一言を続けたくなるでしょうか?」という一節に対する感想の一つを書いてみました。
2005-12-31[n年前へ]
■今年書いた「12のこと」
今年一年12ヶ月、その中で書いたものを眺め直して、その中から「12のこと」を拾い直してみました。
1.『「四捨五入と五捨五入」』
2.『続「変わらないということは、変わるということ」』
3.『「マクルーハンから鴻上尚史」再び』
何かのための「スペース」を作ること、何かを指した「名前」をつけること、というのは似ています。もちろん、そういった要求があるから、でしょうけれど。
4.『紙と仕事や伝言の量』
5.『「狭い世界(せかい)」と「世間(せけん)が狭い」』
6.『自分の力と自分の個性』
7.『「過去」の長さと同じだけ先の「未来」が見える』
8.『「ルートを外して、色んなものを眺めてみたい」』
9.『「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」、続「井の中の蛙(かわず)」』
10.『「長い文章を書くということ」』
11.『「想像力」と「創造力」』
12.『「WEBコンテンツの変化」と「悪は滅びる」』
2007-09-18[n年前へ]
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