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2010-05-02[n年前へ]

川の底からこんにちは 

 映画「川の底からこんにちは」から。

上がる上がるよ、消費税。
金持ちの友達、一人もいない。
来るなら来てみろ、大不況。
その時ゃ、政府を倒すまで。
 夢や希望も持てない毎日を送る、まさしく現代の若者を象徴するかのような主人公の佐和子を含め、この映画に登場する様々な世代の人たちは閉塞感を抱えながら中途半端に生きてきた人ばかり。けれど人間らしくて、どこか私たちに似たところもある。
「人間のダメさや醜悪さ、ドロドロとしたものの向こう側にしか人間の魅力はないと思うんです。そこを通過していかないと、本当の幸福や愛は見えないと思う」

2010-05-17[n年前へ]

「ずっと」も「好き」も、どこにもないから 

西原理恵子原作の、映画「パーマネント野ばら」に対する、森山京子の言葉

 誰かを愛さずには生きていけない。愛しているという思いこみでも、かつて熱烈に愛したという記憶でもいい。心の傷に蓋をし、タフな明日を迎え撃つためにも、その熱の微かな残りを抱きしめていたい。

 テレビで、おそらく宣伝番組なのだろう、映画「パーマネント野ばら」を作り上げた女優三人が「女の嘘」というものについて話をしていた。誰だろう、菅野美穂でもなく、小池栄子でもなく、池脇千鶴だったろうか、女の嘘というモチーフに対して、「女が男につく嘘」の話をしていた。…「パーマネント野ばら」に描かれているのは、そういう味の嘘でなない、ように思う。

「ずっと好き」はどこにもないから、
私は毎日、小さな嘘をつく──。
 『私は、毎日、「嘘」をつく』…けれど、それは他の「誰か」につくのではない。その「嘘」という名の物語を語る相手は、「自分自身」である。騙(かた)る相手は他の誰かでなく自分自身だということにこそ、哀しさと切なさと真実がある、と私は思っている。誰かを信じさせる「嘘」ではなく、「自分」を信じさせる嘘だからこそ、切実で哀しくて、そしてリアルなのだと私は思う。
それから、王子さまとお姫さまはキスをして、
  二人はいつまでも幸せに暮らしました―。
         そんなお話は この世に ないけど―。
 好きやずっとなんて、ないことは、
とっくのむかしから知っている。

 だから、わたしは、
毎日、小さなウソばかりついている。

2010-07-04[n年前へ]

「人の意地悪な部分とか汚い部分をまず受け止めないと」 

 「#336 川の底からこんにちは ~石井裕也監督インタビュー その2~」から。

 「人の魅力を描こうとした時に、その人と会っていても、すぐには魅力ってわからないじゃないですか。その人の魅力を見つけるには、その人の意地悪な部分とか汚い部分をまず受け止めないと、美しい部分や愛おしいところも見つけられないと思うんです。だから、まずは汚い部分をちゃんと見ようということなんですよね」

 最後の瞬間の直前まで、とても強い主人公、そしていろんな女性と男性が、心から魅力的な映画だった。

2010-08-31[n年前へ]

どの年代の人々にとっても本当はいえること 

 万城目学 「ザ・万歩計」から。

 どの年代の人々にとっても本当はいえることを、たけしは若い二人に言わせたのではないか。...その証拠に、今も私はこの映画を見て、ラストの言葉に胸が熱くなる。これからがそうあってほしいと思う。

 「俺たち、もう終わっちゃったのかな」
 「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねえよ」

2011-12-26[n年前へ]

「おっぱい」と「愛」 

 「おっぱいとお月さま(La Teta y la Luna) 」という映画を見ました(ニコニコ動画へのリンク)。1994年に公開されたスペインの映画です。「おっぱいとお月さま」のあらすじ・概要を書くと、こんな具合です。

 カタロニアの少年、9歳のテテは、生まれたばかりの弟にママのおっぱいをとられてしまう。 じぶんだけのおっぱいを見つけようと決めたテテが眺める、周りの人たちの喜怒哀楽を、そして愛を、心地良い歌 声と音楽とともに写しだし…そして、テテはおっぱいを手に入れる。
 ところどころ「ん?」と思う言葉が入っているかもしれませんが、それは映画を見た私の視力と文章力が良くないせいです。 …とにもかくにも、こんなある決意をした男の子テテが、想像力・妄想力たくましく眺める「愛」が描かれた映画です。
ぼくだけのおっぱいがほしい。
ぼくだけのおっぱいを見つけることにした。
 「おっぱいとお月さま」という映画は人を選ぶ、いえむしろ人によっては「おっぱいとお月さま」という映画を選ばない、と言った方が良いかもしれませんが、この映画を大好きになる人は、私以外にもきっとたくさんいるだろうと思います。呆れたり、笑ったりしているうちに、何だか少し人が愛おしくなるように感じる、そんな映画です。

 この映画を見る前に、ある感想を読みました。その中の一文が、私にはとても新鮮に感じられました

 少年が、オトナの世界に触れて成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない、乳離れしない、というのが斬新。 いや、男のコってのは、永遠におっぱいがきっと好きなのだ。テテ(主人公)と同じくらいのおっぱい星人の息子を持つ私には、可笑しくてしかたなかった。

「おっぱいとお月さま」
新鮮に感じたのは「少年が成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない、乳離れしない、というのが斬新」という部分です。 「そうか、普通は”乳離れ”するというのが世間一般の常識だったのだな!」と目からウロコが落ちて、そんな発見に新鮮さを感じたのです。

 ところで、この「少年が、オトナの世界に触れて成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない」という一文を読んだとき、「男の子は皆バカでヘンで、そして、そのまま大きくなる」という、あるお母さんのこんな名言を思い出しました。

 男の子は皆バカでヘンです。ちなみにそのまま大きくなるので、オトコという生き物も基本的にバカでヘンだと思って間違いありません。ちなみに、女の子は意地悪。男女両方を育ててみての感想であり確信です。バカと意地悪が共に暮らす人間社会。いろいろあって当たり前ですね。

「男の子はバカでヘン」「女の子は意地悪」
 「バカと意地悪が共に暮らす人間社会、いろいろあって当たり前」…なるほど、それは確かにその通りに違いない、と思わされます。

 そしてまた同時に、こんな疑問も浮かびます。バカ(男)が意地悪(女)を好きになるのはわかるにしても、なぜその逆のこともあるのでしょうか? 意地悪(女)が、よりにもよってバカ(男)を好きになるなんて、これは一体どういうことなのでしょう。

 …愛って難しいな・何だか難しくてよくわからないな、と9歳のテテのように首をかしげつつ、「おっぱいとお月さま」中のあるシーンで、力強く・切なく・限りなく愛おしく響く歌声にただ聞き惚れるのでした。 

愛する人よ
こんなに愛せるなんて

叫びたいほど
こんなに愛したのは初めて

今日 愛の言葉を
愛の言葉を 繰り返す

別の人に 繰り返す
愛を込めた 言葉を

たくさんの 愛の言葉を
あり余るほどの 言葉を

…あふれる言葉を
愛の言葉を 繰り返す



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