hirax.net::inside out::2011年12月26日

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2011-12-26[n年前へ]

「おっぱい」と「愛」 

 「おっぱいとお月さま(La Teta y la Luna) 」という映画を見ました(ニコニコ動画へのリンク)。1994年に公開されたスペインの映画です。「おっぱいとお月さま」のあらすじ・概要を書くと、こんな具合です。

 カタロニアの少年、9歳のテテは、生まれたばかりの弟にママのおっぱいをとられてしまう。 じぶんだけのおっぱいを見つけようと決めたテテが眺める、周りの人たちの喜怒哀楽を、そして愛を、心地良い歌 声と音楽とともに写しだし…そして、テテはおっぱいを手に入れる。
 ところどころ「ん?」と思う言葉が入っているかもしれませんが、それは映画を見た私の視力と文章力が良くないせいです。 …とにもかくにも、こんなある決意をした男の子テテが、想像力・妄想力たくましく眺める「愛」が描かれた映画です。
ぼくだけのおっぱいがほしい。
ぼくだけのおっぱいを見つけることにした。
 「おっぱいとお月さま」という映画は人を選ぶ、いえむしろ人によっては「おっぱいとお月さま」という映画を選ばない、と言った方が良いかもしれませんが、この映画を大好きになる人は、私以外にもきっとたくさんいるだろうと思います。呆れたり、笑ったりしているうちに、何だか少し人が愛おしくなるように感じる、そんな映画です。

 この映画を見る前に、ある感想を読みました。その中の一文が、私にはとても新鮮に感じられました

 少年が、オトナの世界に触れて成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない、乳離れしない、というのが斬新。 いや、男のコってのは、永遠におっぱいがきっと好きなのだ。テテ(主人公)と同じくらいのおっぱい星人の息子を持つ私には、可笑しくてしかたなかった。

「おっぱいとお月さま」
新鮮に感じたのは「少年が成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない、乳離れしない、というのが斬新」という部分です。 「そうか、普通は”乳離れ”するというのが世間一般の常識だったのだな!」と目からウロコが落ちて、そんな発見に新鮮さを感じたのです。

 ところで、この「少年が、オトナの世界に触れて成長しつつも、おっぱいへの執着はまったく捨てない」という一文を読んだとき、「男の子は皆バカでヘンで、そして、そのまま大きくなる」という、あるお母さんのこんな名言を思い出しました。

 男の子は皆バカでヘンです。ちなみにそのまま大きくなるので、オトコという生き物も基本的にバカでヘンだと思って間違いありません。ちなみに、女の子は意地悪。男女両方を育ててみての感想であり確信です。バカと意地悪が共に暮らす人間社会。いろいろあって当たり前ですね。

「男の子はバカでヘン」「女の子は意地悪」
 「バカと意地悪が共に暮らす人間社会、いろいろあって当たり前」…なるほど、それは確かにその通りに違いない、と思わされます。

 そしてまた同時に、こんな疑問も浮かびます。バカ(男)が意地悪(女)を好きになるのはわかるにしても、なぜその逆のこともあるのでしょうか? 意地悪(女)が、よりにもよってバカ(男)を好きになるなんて、これは一体どういうことなのでしょう。

 …愛って難しいな・何だか難しくてよくわからないな、と9歳のテテのように首をかしげつつ、「おっぱいとお月さま」中のあるシーンで、力強く・切なく・限りなく愛おしく響く歌声にただ聞き惚れるのでした。 

愛する人よ
こんなに愛せるなんて

叫びたいほど
こんなに愛したのは初めて

今日 愛の言葉を
愛の言葉を 繰り返す

別の人に 繰り返す
愛を込めた 言葉を

たくさんの 愛の言葉を
あり余るほどの 言葉を

…あふれる言葉を
愛の言葉を 繰り返す