2009-04-14[n年前へ]
■「時に、無神経でいられること」
江國香織 「十五歳の残像 」から。
十五のころといまとで、いちばん変わったことはなんですか、と、最後に訊いた。宮本さんは少しだけ考えて、
「無神経でいようと思ったら、いられるようになったことかな」
とこたえた。丁寧な口調で。
「やわらかく強靭なひと――――宮本文昭さん」
2009-04-16[n年前へ]
■十五の頃と今と、なにが変わったと思いますか。
江國香織 「十五歳の残像 」から。
十五の頃といまと、なにが変わったと思いますか、と訊いた。
「大人になったんじゃない?自分をごまかす、とか、許す、とか、そういうことは長けてきたと思います。
「私はもどりたいもの。いまの心境でよ。いま会ってる人、いま好きな人の、若いころに会ってみたい」
と、ちょっと色っぽい声音で言うのだった。
「色とりどりに、話すひと――――おすぎさん」
2009-04-19[n年前へ]
■「聡明なひと」
江國香織 「十五歳の残像 」から。
長塚さんが聡明なひとなのはすぐにわかった。最初にした写真撮影で、カメラに向かう姿がとても美しかったから。
そうなのだ。私たちは今の長塚京三さんを見る。それが全部。聡明なひと、というのはつまり、絶望の認識のあるひと、ということなのだろう。
ただし、長塚さんの言葉にはとても肯定的な響きがあって、…私はちょっとほっとした。ほっとするのも変だけど。
「モノトーンのひと――――長塚京三さん」
2009-05-30[n年前へ]
■主体的に「選択する」という自由
坂口孝則 「営業と詐欺のあいだ (幻冬舎新書) 」から。
(江国香織 「冷静と情熱の間」で)理知的なあおいが、最後は非合理さに「賭ける」姿は印象的です。・・・あおいの選択は、間違っているかもしれないと思いながら、あえて選択したことに意味があった。そう私には感じられます。この主体性の存在が、非合理な選択を唯一救うものではないでしょうか。いつの間にか選ばされているのではなく、意識的に選ぶということのみが、自由を行使する条件だと私は思うからです。
(p.213)おわりに
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