hirax.net::Keywords::「角田光代」のブログ



2010-08-02[n年前へ]

「女の子のお母さん」と「男の子のお母さん」 

しばらく前に、 角田光代が話す言葉を読んだ。

 今日たまたま、『オレンジページ』のホームページで、山本ふみこさんという料理研究家の方が連載されているエッセイを読んだのですが、(中略)先生が「自分のお子さんの好きなところを一人ずつ言っていってください」と言ったんですって。
 そしたら、「全部が好きです」とか「すごく優しいところが好きです」とか肯定的に言うのは全部男の子の母親だったと書いていて、女の子をもっているお母さんたちは、もうちょっと娘のダメなところを話して、「それでも好きだ」と話したと。山本ふみこさん自身は「笑顔が好き」と答えたというエッセイだったんです。自分は子どもがいないんですけれども、なんとなくわかるなぁ、と。

2010-08-30[n年前へ]

「女値段」と「男値段」 

 角田光代 「しあわせのねだん 」から。

 世の中には、女値段と男値段がある。8万円の自転車なんかは完全な男値段だと思う。12万円の靴というのは女値段。…漫画みたいなキーホルダー3800円は女値段。それぞれ、財布を開けてもよし、とする値段がある。

2010-09-07[n年前へ]

「科学的でも論理的でもありません」 

 「12星座の恋物語 」から。

 「おはなし」は、科学的でも論理的でもありませんが、そのなかにたくさんの知恵や共感すべきエッセンスを含んでいることが多くあります。

 この一文を読み、江國香織の「泳ぐのに、安全でも適切でもありません 」を連想したので、このクリップは「科学的でも論理的でもありません」という題にしてみました。

2010-09-11[n年前へ]

「贈り物<贈られたもの」という不等式 

 角田光代・松尾たいこ 「Presents」から。

 贈りものってなんだろう。(中略)私たちが人からもらうものは、ぬいぐるみやアクセサリーばかりでなく、言葉や、ごちそうや、空気や笑顔、そうしたものも含まれているに違いなく、(中略)生まれてから死ぬまでに、私たちは、いったいどのくらいのものを人からもらうんだろう。そんなことを考えながら、毎回文章を書いていました。人はだれでも、贈るより贈られるほうがつねに多いんじゃないかなと思います。

2010-10-26[n年前へ]

「答え」は一体どんなものだろう!? 

 「ひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業」という言葉は、村上春樹が「小説とは何か」という疑問に対して「神の子どもたちはみな踊る 」の中で出した答えです。

 いくつかの疑問に対して、その答えが一体どういうものなのだろうかと考えていたときに、とりあえず思いついた答えが「次の手がかり(ポインタ)を何らかの形で与えるもの」というものでした。正しい・正しくない・・・そのどちらにたどり着くのかはわからないけれど、とにかく何かの手がかりがあるということが、少なくとも「答え」に関するとりあえずの必要条件なのではないだろうか、と考えたのです。そして、そんなことを考えながら、先の村上春樹の言葉を思い起こしたのでした。

 その逆を考えてみます。つまり、「次の手がかり(ポインタ)」を提示していない言葉を考えてみれると、たとえば、何らかの提案が含まれていない言葉や、あるいは、単なる堂々巡りの言葉といったものがあるように思います。とりあえずであっても、そういったものは何かに対する「答え」ではないような気がするのです。

 ところで、「小説とは何か」という疑問に対する答えと、「答えとは何か」という疑問に対する答えがとても似ているということは、もしかしたら、もしかしたら、小説とは何らかの答え・・・なのかもしれません。

 Aという小説で私なりにあることができたと思った時に、(その結果)Bという課題が生まれたとします。すると、次にBの課題を入れ込んだ小説を書くというふうに、「読み手に向けて」よりは、「自分の中にある課題を片付けていく」というのが近いですね。

角田光代@児玉清の「あの作家に会いたい」



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