2004-06-14[n年前へ]
■「コピーのコピーはオリジナル」
アナログの時代には、オリジナルのコピー、そして、そのコピーのコピーは新たなオリジナルを生むという図式があった。たとえば、写真においては、ネガの印画紙へのプリントは光の鉛筆による痕跡のコピーだが、それは、まさに、新たな創造だ。 いみじくも、ヨセミテの風景写真で知られるアメリカの写真家アンセル・アダムスは「ネガは楽譜、プリントは演奏」といったそうだが、まさにその通りだと思う。でも、デジタルの時代はちょっと違う。オリジナルとコピーの間には、1bitたりとも相違がないのだ。いや、それ以前に、コンピュータはコピーしか扱えないという宿命を背負っている。山田祥平のRe:config.sys.
2004-06-22[n年前へ]
■An Escher Grid
エッシャーの「ねじ曲がる世界」の格子点をコンピュータに取り込んだAn Escher Grid. PostScriptデータもあるので、これを加工してEscherスクリーンを作ってみるのも面白いかな。
2004-07-19[n年前へ]
■コピーの時代
昨日、四条河原町を歩いていると、古本屋のドアに貼られた「コピーの時代」と書かれたそのチラシにふと目を惹かれた。
「現代の私たちの日常生活には多種多様な『コピー』が満ち溢れています」という言葉は、新しくなくむしろ少し古くさい視点のようであるような、そんな風にも感じられるけれど、だけど、そのチラシが貼ってあるのが京都の古くさい古本屋のドアとなると、それは絶妙に素晴らしい。貼ってある場所に何だかとても似合っていて、それは何かを象徴しているようにすら感じられる。
そのコントラストがあまりに気に入ったので、琵琶湖近くにある滋賀県立近代美術館に行ってみた。ふと、(だけど強く)思ったことは、こんな「コピーの時代」という展示であれば、カメラ付き携帯も含めて、色んなカメラでの「写真撮り放題」を奨励しても良いのじゃないかな、ということ。撮影禁止ではなくて、禁「撮影禁止」であっても良いんじゃないのかな、ということ。
色んな人達の著作物の「コピー」をした著作物の価値を展示するのであれば、入館者達の「色んなコピー」を禁止するという行為は何だか自己否定のような感じがする。「色んなコピー」を逆に奨励したりした方が、そしてその「色んなコピー」と比較したりしてこそ、展示物の価値を再認識できるようにも、ふと感じてみたりする。
現代の私たちの日常生活には多種多様な「コピー」が満ち溢れています。昨今のめざましいコンピュータ技術の進歩により本物と寸分違わない精巧な写真や印刷物の複製が次々に生み出され、さらには遺伝子操作によりクローン羊が登場するなど、その勢いは今後ますます加速するように思われます。「コピーの時代」 滋賀県立近代美術館
2004-10-16[n年前へ]
■GoogleDesktopSearch 関連
ローカルPCの中身も検索してくれるGoogle Desktop Search. アレコレいじるとこれはとても面白いかも。
2004-10-18[n年前へ]
■「キャロライン洋子」が境界線!?
ちなみに「キャロライン洋子」を知っている人はなぜかほとんど例外なく1969年以前生まれなんです。という情報が。ちなみに、キャロライン洋子(本名カフ・C・ナーン)は上智大学卒業後、1981年にオレゴン州立大コンピューター学科・同大学院首席卒業し、現在はヒューレット・バッカード社のAI 開発指導部でソフトの研究開発のお偉いさん、という話も。というわけで、ヒューレット・バッカード関連とつきあいが深い場合には、老若男女「キャロライン洋子」を知っている可能性も?
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