2004-12-15[n年前へ]
■勘違いエトセトラ
そういえば、(何時くらいだったかはもう忘れたが)少し前まで「プログラマと呼ばれる人達は誰でも、少なくとも一度くらいは自分好みのプログラミング言語を作ったことがある」なんていう勘違いをしていた。身の回りにプログラマなんていう超人(だと思ってた)が皆無で、そのくせネットで目に付く人はみんな「プログラミング言語作成なんか朝飯前」という感じに見えることもあって、そんな風に勘違いしていたのである。冗談でなく、本当にそんな勘違いをしていたのである。今思うと、思い出すだけで恥ずかしい話だ。
もちろん、その後それが大いなる勘違いであることを知り愕然とした。で、その時にふとこんなことを思ったのである。目立ち、目に付く人だけを眺めていたら、「プログラミング言語作成なんか朝飯前の」超人ばかりの世の中に見えてしまうかもしれないが(そんな勘違いをするや輩もそうそういないかもしれないが)、逆に身の回りだけの狭い世界だけを眺めていたら、そんな「プログラミング言語を仕立ててしまう人」がちらほらと存在することを夢にも思わないかもしれない。とにもかくにも、自分の狭い視野で勝手に世間を想像するのは止めにしよう、勝手に狭い世界を想像するのは止めておこう、と(自分の勘違いのヒドさはさておき)誓ったわけである。で、その結果「単なる優柔不断野郎」になってしまう、というところが哀しいところ。 from 思い出したきっかけは「ぽいんつさんのブログ. residual」
2005-01-06[n年前へ]
■『グラフ計算機』の驚くべき開発秘話
現在販売されている全てのMacintoshに添付されている「グラフ計算機」は、失業中のプログラマ二人が、貯金で生活しながら、Apple社の警備をすり抜け、出勤してきた社員の後ろにぴったりついてApple社の敷地内に入り込み空き部屋で作業し、さらには自腹を切って下請けプログラマーを雇い、最後は、チェック担当と研究担当からなる開発チームに、自分のソフトウェアの改良を行なわせて開発したもの、 という話(オリジナルサイト)。
まるで「摩天楼はバラ色に(THE SECRET OF MY SUCCESS)」みたいな話。
2005-04-08[n年前へ]
■プログラマだった頃のふじいあきら
'67年生まれで'93にプログラマから転職してマジシャンになった、というふじいあきらは会社で仕事中にコインをパームしながらキーボードを叩いていたらしい!?
2005-11-02[n年前へ]
■苦情ポストイット・システム
今週の火曜日に、あるプログラマと御殿場の鄙びた食堂でこんな話をしていました。携帯電話GPSのシステムを眺めながら、そのプログラマが「近くにいる人たちに隠しメッセージを出せますよね」と言うわけです。「近くにいる人に苦情を投げたり、周りの人から自分に対する苦情を受け取ったりできますよね、それはとても良いものになるはずです」と力説するのです。つまりは、わきめもに書かれているような「苦情ポストイット・システム」をそのプログラマ氏は力説していたのです。さてさて、一体どうなんでしょうね。
周りの人間も注意する気配はない。(誰かに何かを注意したいときには)いろんな文句を書いたシールがあったらいいのだ。それをそおっと背中に貼るのだ。…しかし、そうなると私の背中にもいろいろなシールが貼られることだろう。 わきめも (05/11/2)
2006-05-07[n年前へ]
■「凡人と冴えた人たち」
「誰もスーパープログラマになんかなれやしない 」と「凡人が冴えた人たちを前に絶望しないために」と「何でもやればできる、という言葉」
思うに、たぶん、誰もスーパープログラマになんかなれやしない。
誰でも「何でもやればできる」わけではないよなぁ、と思ったりもする。
「人気マンガ」を描こうとする時、描き手は普通の人でなければならない