2002-04-22[n年前へ]
■扁桃腺炎
早朝会社へ行った後、やっぱりシンドイので休む。朝、ビックリするくらい膿が扁桃腺から噴出しビックリ。夕方、病院で「もっと早く来い」と怒られつつ、吸入器とマウスツーマウス・コースへ。で、その吸入器にはでっかく"MIDORI ANZEN"書いてある。ホントにこれ安全だろか?どうも大暴れしそうな名前なんだよなー。(リンク)
2002-06-23[n年前へ]
■あなたが描く私の木漏れ日
The your sun streaming through my fingers
「木もれ日プロジェクト」というものを見た。表参道のSPIRALの一角に展示されている木村崇人氏の作品である。色んな形の灯りを作ってやって、木漏れ日が色んな形になるのを楽しもう、という作品である。星形や三日月型の灯りが発する光に掌をかざすと、指の隙間からこぼれた光はキラキラとした星形になったり、幾重にも重なる三日月型になったりするのである。
太陽は丸いから、木漏れ日を見てもいつもは何の不思議にも感じない。だけど、こんな色んな形の木漏れ日を眺めると、重なり合う木々の葉がピンホールレンズになっていて、木漏れ日が刺す様子が大きなカメラオブキュラだったことに今さらながら気づくのである。そしてまた、重ねた掌の隙間からこぼれ出す光が星形を描くとき、とても不思議に気持ちよく感じる。
これを眺めた後に、私も色んなカタチの灯りを作って色んなカタチの木漏れ日を作ってみようか、と考え、それには何が必要かな、はさみと、ランプと、光を拡散させるためのトレーシングペーパーと、色んな色の木漏れ日を使いたいからカラーフィルターも…、と考え始めたときに気が付いた。そんなに色んなものがなくても大丈夫なのだった。考えてみれば、パソコンのディスプレイの画面はかなり明るいのだから。パソコンの画面に「色んな形」を描けば良いだけの話なのである。つまりは、パソコンでお絵かきしている画面を「太陽」の代わりにすれば良いのだ。そして、その画像だけを画面に表示させて、真っ暗な部屋でそのディスプレイの前に手をかざせば、壁に映し出される掌の影の隙間には「色んな形」の木漏れ日が幾重にも重なり見えてくるはずだ。
そこで、例えばこんな風にPhotoshopのフルスクリーンモードで星型を描いてみた。
そして、部屋を暗くして両手を重ねると、両手を重ねた隙間を抜ける光が「木漏れ日」を形作る。それはPCの画面に描いた星型をしている。重ねた両手の指の隙間から抜けた光が、幾重にも重なる星型になって光るのである。
もちろん、PCの画面に自分で「色んな形」を描かなくても良いだろう。誰かが楽しそうにお絵かきをする。マウスを動かして、色んな言葉を書き込んでみたり、ハートマークを書いてみたりする。私はディスプレイの前で手をかざしている。そうすれば、私の掌の影の中の木漏れ日は色んな言葉やハートマークをゆっくり描き出すだろう。それはとても気持ちよい景色に違いない。
そして、さらにはこんな風にも考えてみた。その他の誰かは必ずしも私のPCで「色んな形」を描く必要はない。例えば、ネットワークの何処かに繋がった他のPCを前にして、そんなお絵かきをしてみても良いはずだ。
- Photoshopをフルスクリーンモードで動かして、黒を背景にして好きなものを描く
- その画面をVNCのような「ネットワークを介してPCの画面を転送するソフト」でネットワーク上の他のPCに送る
- その送られた画面を(例えば)InternetExplorerをVNCビューアーにして、フルスクリーンモードで表示する
「三色のハートマーク」の姿をしている |
「あなたの木漏れ日・ストリーミング」はちょうどこんな感じだ。例えば、何処かで誰かが何かを描く。恋人が親があるいは誰かが、他の誰かへの気持ちを描く。例えば、何かの「キモチのカタチ」を描く。例えば、ハートマーク、あなたの名前ををゆっくり描く。あるいは、PCに繋がったCCDカメラに向かってポーズを手を振ってみる。
そこから離れた何処かの場所で、その恋人がその子供があるいは他の誰かが、PCのディスプレイが発する光に掌をかざしてみる。その掌の隙間から漏れた光は掌の下に木漏れ日となって何かを描く。ネットワークに繋がった遠く何処かで誰かが描いている気持ちが、誰かの名前を綴る文字が、あるいは手を振る姿が離れた場所のPCの前にかざす掌の下の木漏れ日になる。遠く何処かで描かれていく「キモチのカタチ」が、「笑いながら遠くで手を振る誰かの姿」が、木漏れ日となって、私達が重ねる掌の下で光り、映し出され、そして私達の目の前に浮かび上がってくる。
2002-08-08[n年前へ]
■Thinkpad T30
今のところ、Portrge3490とThinkpad T30の二本立て。Thinkpad T30のタッチパッドはなかなか役に立つ。といっても、単にボタン代わりに使ってるだけだけれど。
何しろ、東芝ノートのマウスボタンは上下に並ぶ、のが好きな私としてはThinkpadの左右に並ぶのは耐えられないのである。親指を変な風に曲げて、なんてちょっと不自然。
というわけで、単にタッチパッドで右クリックをする、と。タッチパッドさまさま、なのである。
で、今のところT30 on Windows 2000は「重い・不安定」なのだった。今のところは…。
2002-10-09[n年前へ]
■人生が変わるほどのマウス
ちょっと反応してみる。「人生が変わるほどのマウス」といえばもちろん、唇型マウス、別名マウス・トゥー・マウスだろう。キスが上手くないと上手く動かないと言う「大人のマウス」。上手く動かせないときには、好きな人と二人で練習しなけりゃならない、うれしはずかしマウスである。 同じアイデアが20年位前の年間AhSKI!(アスキーが四月号に掲載、別売りしていたパロディー誌)に載っていたなぁ。あれは、まだマウスがそんなにメジャーじゃない頃だったっけ。20年かー。(リンク)
2002-11-02[n年前へ]
■サムネイルWEB
Linuxで動くいいものが見つからなかったので、Windows上でWEBページのサムネイルを作成するプログラムを適当に作ってみた。そして、自宅の常時接続マシン上でそのソフトを動かし、定期的に作成したWEBサムネイルをサーバーにアップロードし、表示してみることにした。更新チャックのアンテナと連携させたりや、表示周りもzphotoなんかで派手に表示することを目指しているのだけれども、まずは動作試験中。まだまだ動作がおかしいし、デザイン的にもとりとめがないのはご容赦を…。
ところで、この作業中に思ったことがMac OS Xのドックはデザイン的によくできている、ということだった。何故なら、拡大中の写真は隣り合う写真の大きさの3倍より小さくなければ操作性が良くない。もし、それより大きいと隣の写真を隠してしまうからである。すると、操作性が非常に悪くなってしまう。例えば、zphotoのサンプル写真集を見ればそういう欠点が判りやすいと思う。
とはいえ、「拡大中のサムネイル」が「小さいサムネイル」のたかだか3倍程度の大きさでは見にくいし、逆に「小さいサムネイル」の大きくするとそもそも並んでいる「小さなサムネイル」の数を多くすることができないのである。というわけで、マウスからの距離に応じて、サムネイルの大きさを連続的に変えていくことは見栄え以上に操作性(隣の画像の見通しの点で)素晴らしいと思うのだった。