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1999-09-01[n年前へ]

画像に関する場の理論 

ポイントは画像形成の物理性だ!?

 今回は、
夏目漱石は温泉がお好き? - 文章構造を可視化するソフトをつくる- (1999.07.14)
の回と同じく、「可視化情報シンポジウム'99」から話は始まる。まずは、「可視化情報シンポジウム'99」の中の
ウェーブレット変換法と微積分方程式によるカラー画像の圧縮および再現性について
という予稿の冒頭部分を抜き出してみる。「コンピュータグラフィックスを構成する画素データをスカラーポテンシャルあるいはベクトルポテンシャルの1成分とみなし、ベクトルの概念を導入することで古典物理学の集大成である場の理論が適用可能であることを提案している」というフレーズがある。

 着目点は面白いし、この文章自体もファンタジーで私のツボに近い。しかしながら、肝心の内容が私の趣向とは少し違った。何しろ「以上により本研究では、古典物理学の場の理論で用いられるラプラシアン演算を用いることで、画像のエッジ抽出が行えることがわかった。」というようなフレーズが出てくるのである。うーん。
 私と同様の印象を受けた人も他にいたようで(当然いると思うが)、「エッジ強調・抽出のために画像のラプラシアンをとるのはごく普通に行われていることだと思うのですが、何か新しい事項などあるのでしょうか?」という質問をしていた人もいた。

 また、話の後半では、画像圧縮のために、ラプラシアンをかけたデータに積分方程式や有限要素法などを用いて解くことにより、画像圧縮復元をしようと試みていたが、これも精度、圧縮率、計算コストを考えるといま一つであると思う(私としては)。

 画像とポテンシャルを結びつけて考えることは多い。例えば、「できるかな?」の中からでも抜き出してみると、

などは画像とポテンシャルということを結びつけて考えているものである。(計算コストをかけて)物理学的な処理をわざわざ行うのであるから、物理学的な現象の生じる画像を対象として考察しなければもったいない、と思うのである。

 現実問題として、実世界において画像形成をを行うには物理学的な現象を介して行う以外にはありえない。「いや、そんなことはない。心理学的に、誰かがオレの脳みそに画像を飛ばしてくる。」というブラックなことを仰る方もいるだろうが、それはちょっと別にしておきたい。

 「できるかな?」に登場している画像を形成装置には、
コピー機と微分演算子-電子写真プロセスを分数階微分で解いてみよう-(1999.06.10)
ゼロックス写真とセンチメンタルな写真- コピー機による画像表現について考える - (99.06.06)
で扱ったコピー機などの電子写真装置や、
宇宙人はどこにいる? - 画像復元を勉強してみたいその1-(1999.01.10)
で扱ったカメラ。望遠鏡などの光学系や、
ヒトは電磁波の振動方向を見ることができるか?- はい。ハイディンガーのブラシをご覧下さい - (1999.02.26)
で扱った液晶ディスプレイなどがある。そのいずれもが、純物理学的な現象を用いた画像形成の装置である。

 例えば、プラズマディスプレイなどはプラズマアドレス部分に放電を生じさせて、電荷を液晶背面に付着させて、その電荷により発生する電界によって液晶の配向方向を変化させて、透過率を変化させることにより、画像を形成するのである。

プラズマアドレスディスプレイ(PALC)の構造
(画像のリンク先はhttp://www.strl.nhk.or.jp/publica/dayori/dayori97.05/doukou2-j.htmlより)
 これなどは、電荷がつくる電位とその電界が画像を形成するわけであるから、場の理論そのものである。従って、物理的な意味を持ってラプラシアンなどを導入することができるだろう。そうすれば、単なる輪郭強調などだけでなく、新たな知見も得られると思う。
 また、逆問題のようであるが電界・電荷分布測定などを目的として液晶のボッケルス効果を用いることも多い。液晶を用いて得られる画像から、電界分布や電荷分布を計測するわけである。これなども画像と場の理論が直に結びついている一例である。

 参考に、SHARPのプラズマアドレスディスプレイを示しておく。

SHARPのプラズマアドレスディスプレイ(PALC)
(画像のリンク先はhhttp://ns3.sharp.co.jp/sc/event/events/ele97/text/palc.htmより)

 また、電子写真装置などは感光体表面に電荷分布を形成し、その電位像をトナーという電荷粒子で可視化するのであるから、電磁場を用いて画像形成をしているわけである。だから、場の理論を持ちこむのは至極当然であり、有用性も非常に高いだろう。そういった視点で考察してみたのが、

である。

 同様に、画像圧縮に関しても、画像形成の物理性に着目することで実現できる場合も多いと思うのであるが、それは次回にしておく。

2000-09-29[n年前へ]

恋は稲妻のように 

恋のパッション方程式


 暑かった夏も終わり、もうすっかり秋になった。秋になったせいなのか、それとも他の理由なのかは判らないけれど、胸の辺りが何故かチクチクと痛む。それどころか指の先までチクチクするような気がする。

 胸の痛みの方は何故だか判らないけれど、指先のチクチクの理由は判っている。静電気のせいだ。指先から放電して火花がバチバチと散るのである。私が普段着ている服のせいか、それとも私のサンダルと職場の床の相性が悪いのか、私の体には静電気が貯まりまくってしまい、とにかく指先から火花が散ってチクチク痛くなるのである。胸はチクチク、そして指先もチクチクして、もうなんだかイヤになってしまう。
 

 私個人の理由はさておき、世間一般的には「秋の胸のチクチク」と言えば、それはもう「恋」ということになるだろう。物思いに耽る秋には、きっと恋に胸を痛める人も多いことと思う。「秋は食欲の秋に決まってるじゃないの、秋に痛むのは胸じゃなくて胃だよ」と言うような「花よりダンゴ状態の人」も世の中には多いのかもしれないが、少なくとも「秋は恋の季節かな」と言う人も結構いるハズである。
 

 そこで、今回は私の指先でチクチクする「静電気の火花 = 放電」になぞらえながら、「恋」について考えを巡らせてみたい、と思う。「って、何でいきなり放電= 恋やねん!」とツッコミを入れないで欲しい。何故なら、かのアンソニー・ホプキンスも「MEETJOE BLACK」の中で「恋は稲妻に打たれるようなものだ。」と言っているのだ。「恋は稲妻→放電」はハリウッドのお墨付きの事実なのである。日本の誇るザ・ピーナッツにも「恋の稲妻」という曲がある位だから、これはもう確実度120%と言って良い位だろう。
 

 さて、体に静電気が貯まったからと言って、すぐに私の指先から稲妻が飛びまくるわけでは決してない。そこには、「ある程度以上の静電気が貯まらないと稲妻が発生しませんよ」という法則がある。それが、パッシェンの法則と呼ばれる法則である。例えば、パッシェンの法則による標準的な空気中での「放電する領域」と「放電しない領域」を示してみよう。
 

パッシェンの法則による標準的な空気中での「放電する領域」と「放電しない領域」

 例えば、このグラフ中の横軸で200μmのところを見ると、1500Vより小さな電位差までは「放電しない領域」となっている。稲妻を飛ばすにはまだ電位差が足りないわけだ。しかし、電位差が1500Vを越える辺りからは、「放電する領域」に入っていることが判るだろう。つまり、ここまでくれば「稲妻」を飛ばすのに十分な電気エネルギーがある、ということになるわけだ。「稲妻」を飛ばすにはエネルギーが必要なのである。
 

 さて、それでは「恋」の場合はどうだろうか?「恋の稲妻」を飛ばすにはやはり何らかのエネルギーが必要なのだろうか?そしてまた、「電気の稲妻」におけるパッシェンの法則と同じようなものが「恋の稲妻」においても存在しているのだろうか?

 実は「恋の稲妻」においても同じような法則が存在しているのである。私が「恋のパッションの法則」と呼ぶ法則がそうである。「恋の稲妻」を飛ばすに十分なパッション(= 愛情,恋慕,色情,情欲,欲情)がどの程度であるか、を示すのが「恋のパッションの法則」なのである。これは、「恋の稲妻」を飛ばすには「恋のパッション」のエネルギーが必要であって、「これくらいのパッションがあれば恋の稲妻を飛ばせますよ」ということを説明したものなのである。

 試しにこの「恋のパッションの法則」による「恋の稲妻」とそうでない領域の一例を次に示してみよう。(実はこの「恋のパッションの法則」は縦軸・横軸(すなわち、距離とパッション=Love-Power)共に任意単位なのであるが、ここでは適当にkmとVという単位で示してみた。)
 

「恋のパッションの法則」による「恋の稲妻」とそうでない領域

 この図を見てみると、距離で10km位のところで「恋の稲妻」を飛ばすのが一番楽だということが判る。10km位の距離にいるような男女の場合、400ラブパワーもあれば「恋の稲妻」を飛ばし合うことができる。お手軽「恋の稲妻」コースである。

 しかし、男女の距離が増えたりすると、「恋の稲妻」をおこすためにはかなりのラブパワーが必要とされることが判る。例えば、500km位離れてしまうと、「恋の稲妻」を発生させるには3000ラブパワーくらいが必要とされるのである。つまり、東京と大阪ですくすくと育った男女が「恋の稲妻」を発生させるのは結構大変だ、ということがこの「恋のパッションの法則」から判るわけだ。

 そして、もうひとつ面白いことがある。この「恋のパッションの法則」の図を見てみると、近距離で「恋の稲妻」カーブが急に上昇していることがわかるだろう。その近距離の辺りを拡大してみると次の図のような感じになる。
 

「恋のパッションの法則」による「恋の稲妻」とそうでない領域 (近距離)

 男女の距離が5kmより小さくなるととたんに「恋の稲妻」に必要なラブパワーが大きくなっていることが判るだろうか?男女の距離があまりに近いと、何故か「恋の稲妻」はなかなか飛ばないのである。「恋」に落ちるためには少し距離が必要なのか、それとも、「恋」には落ちるけれども近すぎるせいで人目を気にして「恋の稲妻」を飛ばすことができないのか…色々理由は考えられるだろうが、とりあえず「恋のパッションの法則」は距離が小さすぎると「恋の稲妻」に必要なラブパワーが大きくなる、と言うのである。

 よく、マンガのありがちなシチュエーションで、「一つ屋根の下で暮らす男女や、お隣さん同士の男女の間のなかなか進まないラブコメディ」というようなものが多いが、それは単に男女間の距離が小さすぎたせいなのである。あれらのマンガは実はこの「恋のパッションの法則」に裏付けられた科学的な事実を淡々と描いた科学マンガだったのである(あと、ハリウッドとザ・ピーナッツのお墨付き)。確かにアンソニー・ホプキンスの言うとおり、「恋は稲妻に打たれるようなもの」であることがわかるだろう。
 

 さて、今回は「恋の稲妻」を考えるための便利な法則「恋のパッションの法則」を紹介してみた。次回以降では、この「恋のパッションの法則」を使いながら、「恋にまつわるエトセトラ」を考えてみたいと思う。例えば、先程「東京と大阪ですくすくと育った男女が「恋の稲妻」を発生させるのは結構大変だ」と書いたが、東京で生活している二人が遠く離れてしまう場合もそおうかというと実は違う。そこには結構面白い現象が生じる。題して「恋の稲妻」遠く離れる二人編 とか、「ガンコな人は実は恋の稲妻を飛ばしやすい」という、「恋の稲妻」ホントのオレ編とか、そんなことは次回以降で考えてみることにしたいと思う。
 



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