2005-12-09[n年前へ]
■「女は生きにくい」
女王様(私)はオヤジと呼ばれる抑圧的な男たちが大嫌いで、ずっと彼らを憎んでいたのだが、彼らを憎むと同時に己の女性性も憎んでおり、これでは敵であるオヤジどもと同類なのであった。女王様が和解すべきは、オヤジどもよりも先に…中村うさぎ 「女は生きにくい」 週刊文春
2006-01-17[n年前へ]
■ヒューザー小嶋社長の教典は梶原一騎の「巨人の星」
小嶋進 ヒューザー社長がテレビで「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」と言うシーンをテレビで放映していた。あぁ、梶原一騎は偉大なんだな、とつくづく思う。梶原一騎の世界にはまっている人がここにもいるんだな、と思う。
「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」という言葉は、「…死ぬときは、たとえどぶの中でも、前のめりに死んでいたい」という「巨人の星」の中のセリフに違いない。「巨人の星」の中で星一徹が飛馬に言う。「坂本竜馬はこういった。いつ死ぬかわからないが、いつも目的のため、坂道を登っていく。死ぬときは。たとえどぶの中でも前のめりに死んでいきたい…と」「つまり、かぎりなき目的への前進だ!たとえ、どぶの中で死んでも、なお、前向きで死んでいたいっ。…それが男だ!」…そして、星飛馬が大リーグボール3号を投げて左腕を壊すとき、やはりこのセリフを言う。「おれの青春を支配したこの坂本竜馬のことばにかけて、後退しての死よりも、前進しての死を選んだのだ」 しかし、この「坂本竜馬はこういった」というこの言葉の出典は、梶原一騎の「巨人の星」以前には遡れなかったという(堀井憲一郎『「巨人の星」に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。』)。「汗血千里駒」にも「竜馬がゆく」にも、…坂本竜馬を描いたどの本でもこの言葉は載っていないという。
ということは、梶原一騎がこの言葉をどこから引用した(作った)かはさておき、ヒューザー小嶋社長にとっての、「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」の原典は梶原一騎が描いた「巨人の星」なのだろう。もしかしたら、本人は「坂本竜馬」に影響を受けたと思っているかもしれないが、それは実は梶原一騎が描く「巨人の星」の中の星親子が語る「坂本竜馬」なのである。「巨人の星」の中で描かれた「坂本竜馬の言葉」がヒューザー小嶋社長の教典であるわけだ…。梶原一騎に影響を受けた「日本の男」はとても多いに違いない。
2006-03-20[n年前へ]
■「物語が作られる理由」と「虚無への供物」
今年1月までアレフ(旧 オウム真理教)の出家信者であったという松永英明氏が書かれたオウム・アレフ(アーレフ)の物語を、少しだけ読んだ。なぜ、「物語」と名付けつつ書くのだろうか、と不思議に思いつつ読んだ。なぜ、そんな風に不思議に感じたかというと、「物語」というのは結局のところ書き手のために書かれるものだ、という感覚が私にはあるからかもしれない。書き手自身、ないしは書き手と重なる何かを持つ人々に「物語」とが書かれて、そして届くことが多い、という単なる(あやふやな)経験則が私の心のどこかにあるからかもしれない。だから、「物語」と名付けられたこの文章が、誰に何のために書かれているかを、私は気にしてしまうのだろう。
この文章を少し読み、さらにまた他の方の感想を少し読んでいるとき、私はどうしても、中井英夫「虚無への供物」をさらっているような気分になってしまう。まるで、「虚無への供物」に登場する青少年たちの台詞を読み直しているような気分に襲われる。理不尽なできごとや物語の作り手や読み手や…、今回、あまりに似通った構図・言葉・文章をさらい直しているような気分になってしまうのは、一体なぜだろうか。
「物語」というのが我々の魂にとってどれほど強い治癒力をもち、また同時にどれほど危険なものであるかということを… 「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
2006-03-21[n年前へ]
■「物語」と「テクノロジー」
昨日分で、村上春樹と河合隼雄が「危険な物語」と言っているのは、「オウムの物語」ですね。
ただ、あの人たちの提示したイメージというか、物語は非常に稚拙なものですね。 ものすごく稚拙ですよ。それはなぜかというと… でもそれと同時に僕はこの事件に関して、やはり「稚拙なものの力」というものをひしひしと感じないわけにはいかないのです。 「人々は根本ではもっと稚拙な物語を求めていたのかもしれない」と言うところは、「稚拙」というより「素朴」と言った方がいいでしょうか。 私は「オウムの物語」の問題点は、素朴な物語に、現代のテクノロジーという、まったく異質のものを組み込んで物語を作ろうとしたことだと思っています。
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
2006-04-09[n年前へ]
■「春の海」と「春の京都」
京都駅で、JR東海・京都キャンペーンポスター10年分を一冊の本にした「そうだ 京都、行こう。」を買う。「『そうだ 京都、行こう。』のこの10年は、20世紀から21世紀への移行の時と重なっています。…嘆いたり、憤慨したり、笑いたかったり、力づけてもらいたかったり、といろいろな人の思いがありました」といった一節を新幹線の中で眺め、その後、春の海を眺める。
「がんばれ」「元気出せ」なんていうよりも……いま、励ましを必要とする人がいたら私なら、ここに連れてきてあげたい、と思います。
太田恵美 '00