2005-02-10[n年前へ]
■高天原に神留坐す
ふと息抜きに、最終回が(思ったよりも)あっさりしていた篠有紀子の「高天原に神留坐す」を手に取ってみる。春が近い日を描いた一話に出てくるのが、こんな言葉。
「だって人には限界があるのですから。人にはできないこともあるのですから」「だから一生懸命がんばったら、あとは神様におまかせすればいいのです」という言葉。
なにか心配事があってもだいじょうぶですよ一生懸命がんばったらあとは神様に おまかせすればいいのです人はやがて いつかみんな 死んでしまうのですから
2005-04-26[n年前へ]
■「悪の定義」
「悪の組織」を「絶対に失敗を許さない組織」とする定義は素晴らしい。
TV番組で見かける「悪の組織」には必ず1つの特徴がある。「失敗を決して許さない」ことである。たいていの場合死をもって償うことになる。悪の組織の目的や編成はそれぞれ異なるが、꒼꒫꒳엀꒪꒤꓆꓀꒱짔믗뗄냬쏗꒹ꓫ躡
LIMG http://www.imd-g.com/puz_04_2_22a.htm r /site_thumbnails/20050427001605s.jpg そういえば、数多くある「悪」自体の定義の中で、私が一番しっくりくるのが「悪は滅びる」という定義である。対偶で言うならば、「滅びなかったとしたら、それは悪ではない」という定義である。だから、「いつまでたっても滅びない必要悪」は悪ではないのである。「悪循環」だって、グルグルと循環しているうちは悪ではないのだ。テレビ番組に出てくる「悪の組織」は、最終回で正義の味方に倒されて滅びたからこそ、「悪の組織」と公式認定されるのである。
一方、「悪は滅びる」の裏命題に一見見える「正義は勝つ」という「正義」というものに対する定義もある。そして、その対偶は「勝たなかったとしたら、それは正義でない」というわけだ。勝ち続けなければ正義ではない、という定義で縛られる組織、つまりは「負け、というものが許されない正義という組織」 …その正義は「失敗を決して許さない」悪の組織とどう違うのだろうか?ベン図を描いて、正義と悪を眺めてみることにでもしようか。
2006-09-12[n年前へ]
■経済学インタビューの最終回は希望学
経済学インタビューの最終回は、東京大学社会科学研究所 「希望学プロジェクト」で知られる玄田有史 東大助教授にインタビューをさせて頂くことに決まりました。ありきたりかもしれませんが、経済学インタビューの最終回はつまり「希望」がテーマです。これまでの「満足」「価値」「魅力」「選択肢」「感情」「技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後はやはり、「希望」です。
キャリアとは、轍(わだち)のことだ。轍が繋がり、そこに道が出来る。ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。 「3つ」のヒント 玄田ラジオ
思うに希望とは、もともと、あるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと、地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 魯迅 竹内好 訳「故郷」
2007-09-12[n年前へ]
■「理系」と「希望」
『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたらずっと海を眺めている人の荷物に目がいく。ビニール袋と紙袋をまとめ、その荷物の近くで海を眺めてる。紙袋の一番上にはくまのぬいぐるみが入ってる。
最終回の仮題は「希望」です。これまで「満足・価値・魅力・選択肢・感情・技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後は、やはり「希望」です。希望という文字を見ると、いつも「希ガス…」という変な文末が目に浮かぶ。もう少し言い換えれば、いつも「希ガス…」という変な文末を連想するような「気がする」…。
ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。迷うの語源を検索すると、迷う=真酔うだと書いてある。そして、「迷える者は、道を訊かない」という言葉を読む。
科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。どんな道でも人は途中で必ず迷い、そして、迷える者は道を訊かないのだとしたら、道を聞こうとする人は道に迷っていない人で、地を聞かない人は迷っている人だということなのだろうか。それとも、単にその瞬間に迷っていない人だということなのだろうか。
大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。そんな論理を考えようとしても、わからないことばかりだ。迷える者は道を訊かないという論理と同じフレイズを繰り返すなら、わからない時には人は訊くことをしないのだろうか。
海辺には色んな人たちが住んでいる。松林の中に場所を作っている人もいるし、廃車を家にしている人もいる。この小さな町は、それでも人に優しい。雨をしのぐことができる「私有地でない場所」から人を排除することはない。人が日々を過ごす場所から、その人を移動させることもない。
どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。年が明けようとする頃、週末、一日二度見ていた人が亡くなった。何年も見つ続けた景色、何年もとり続けた景色、何年も「今日見た景色」として針続けた景色の中で人が亡くなった。
十五で世の中をわかっちまったようなヤツラから見れば 馬鹿げた話さ
それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。
2010-12-25[n年前へ]
■あだち充の「最終回」
あだち充の「最終回」ばかりを集めた「おあとがよろしいようで 」
「おあとがよろしいようで」は、あだち作品の最終回のみを収録した選集。「ナイン」「陽あたり良好!」「みゆき」「タッチ」「スローステップ」「ラフ」「虹色とうがらし」「じんべえ」「H2」「5×4P」「いつも美空」「KATSU!」「クロスゲーム」と、計13作品の最終回だけがずらり並ぶ。
最終回のページのほとんどが、 恋に敗れた敗者(脇役)たちの「旅立ち」で埋まっています。主役である真人と妹のみゆきは、2コマしか登場しません。
みゆき
「H2」は(今の時点での)あだち充の最高傑作だ。特に、コマに描かれる事柄から少し離れ、このマンガに描かれている人々を読み眺めてみると、本当にいい。最終回まで読んだとき、このマンガに出てくる登場人物は、全員が何らかの敗者で、だからこそ輝いている人物ばかりだ。
「H2」
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