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2007-12-08[n年前へ]

南風 

川川川海海蜜柑






2009-05-24[n年前へ]

「ウニの殻」で綺麗なライトを作ってみる 

 都会から離れた田舎の海にで泳ぐと、海の波の下、光が明るく届く程度の深さの海中の砂上には、綺麗なウニの殻や貝殻が転がっています。もちろん、美しい小さな魚の群れが塊となって、泳ぎ回っていたりします。

 泳いでいる時、ウニの殻が見えるのはまだ海底が明るく見える浅い場所です。だから、そんな綺麗な殻を見つけるたびに、いつも潜ってウニの殻を持って帰ってきてしまいます。ウニの殻は色がとても端正で、規則的に針の穴がたくさん空いていて、不思議なくらい魅力ある姿形をしているのです。

 そこで、今日は携帯用ライトの前部にウニの殻を付けてみました。携帯用ライトの直径と同じサイズのウニの殻を選び、(下図のように)ライトの前部に張り付けてみたのです。

 というわけで、「ウニの殻」で作った綺麗なライトを点滅させたようすを撮影してみたのが、下に張り付けた動画です。淡い白色の部分と、淡いみどり色の部分と、反射光で見る分にはほとんど同じように見えますが、光の透過量を眺めてみた時には全然違うように見えることがわかります。面白いものです。


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2009-08-16[n年前へ]

夏の海辺で本を読む 

 「ニッポン放浪宿ガイド200―人生を変える旅、運命を変える宿 」を手にとり、少しページをめくり、これは心から楽しめそうな本だと感じました。そして、そんな本であるからには、風に吹かれながら、心地よい場所で、気楽に読むのがふさわしいと、ふとなぜか思ったのです。

 そこで、海パンをはき、Tシャツを着て、自転車に乗って海辺に走りました。人が全然いなさそうな、けれど、水と景色が綺麗なところへと向かったのです。寝ころびながら本を読めるスペースがある、小さな岬の先にある、そんな海沿いの岩場に向かいました。

 そんな場所で、夏の日差しの下で、「ニッポン放浪宿ガイド200―人生を変える旅、運命を変える宿 」を読んでいると、とてつもなく気持が良くなります。風は心地良く吹いているし、夏の終わりの日差しはとても言葉では表現できないような感覚を与えてくれて、そして、本を読むのに飽きて海の中に入ったなら、海中には色鮮やかな魚たちがたくさん泳いでいるのです。

 人がいない秘境というのは、意外に近くにあったりします。秘境ですから、数多いあるわけではありませんが、こんな人それぞれの秘境に行って「放浪書」を読むというのは、何だかとても豊かな時間を感じさせてくれます。

 これが私の秘境の例ですが、あなただけが知っている「あなたの近くの秘境」はどんな場所でしょうか?

夏の海辺で本を読む夏の海辺で本を読む夏の海辺で本を読む






2010-06-03[n年前へ]

「選ばなかった人の物語」 

 「選ばなかった道

 選ばなかった人の物語は、成功者や失敗者の物語に比べれば華やかさに欠けるかもしれないけれど、実際に分かれ道に立って選んだ時の葛藤に思いを馳せれば、同じくらい劇的な人生であるはずなのだ。成功者のわかりやすい物語よりも、一見「平凡」な人生に隠された、そういったドラマをもっと知りたいと思う。

 成功者の視点から語られる物語は、たいていの場合、とても単純明快でわかりやすい。けれど、選ばなかった人の物語は螺旋階段のようにわかりにくい。「選ばなかった人」は「決断を容易にする人」を憧れと同時に冷めた目で眺め、決断を容易にする人は、「選べない人」を…じれったく情けなく思うのだろう。

 Appleが華やかだった時代、Apple][のコンパチ基板が秋葉原にあふれていた時代、月に数度、秋葉原に行った。その後、NeXTが消える寸前になり(少なくとも、当時はそう感じていた)、Appleの株券が「燃えるゴミ」同然になっていた時も、秋葉原に行っていた。今この瞬間は、Appleは調子がいいようだ。

 海辺の景色を眺めれば、毎日繰り返されてる「潮の満ち引き」が見える。テクノロジーとビジネスの世界も、たぶん、きっと同じなんだろう。

 ただ、そんな風に、一歩ひいて眺めていたら何かを選ぶことはできないはずだ、ということもわかる。

2010-07-31[n年前へ]

「その存在が外から見えないような場所」 

 比較的手軽に行けるのに、人がそれほどいなくて、けれど、水は綺麗で、そして、周りがすべて自然に包まれている感じの海辺があります。それは、たとえば、手軽に行ける距離にあるのに、その存在が外からは見えないような場所です。

 海岸沿いを走る道が、少し、海から離れ走るような場所を通る時、道から離れて小さな岬や入り江が道から離れて見えるとき、そんな、一見「存在が外から見えないような場所」が隠れていることが多いような気がします。たとえば、午後4時ごろに夕立が来ると、もうすぐ、この雨が上がれば虹が見える、とわかるように、海辺を走る道が妙にまっすぐに海辺から離れて走り始めた時には、その近くに気持ち良い海辺の存在を強く感じたりします。

 そういう場所を探して、道から外れることも多いのですが、道が途中で分かれていたりして、迷うことも多いような気がします。ただ、そうして、ようやく見つけることができた場所には、とても愛着が湧きます。

 そんな海辺で浮かんで山と空を見上げてみたり、対岸の小島の砂辺に座り込んで水面を眺めていると、不思議に満たされた感覚に陥ります。海中を泳ぐ魚の近くに行こうと水の中に潜ると、耳からはまったく音が聞こえなくなり、本当に「存在が外から見えないような場所」にいることを実感します。

「存在が外から見えないような場所」「存在が外から見えないような場所」








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