2011-02-27[n年前へ]
■「ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則
都会で感じる「気まずい時間」のひとつが、ビルのエレベータで過ごす時間です。エレベータという三畳一間以下の狭いスペース中で、たくさんの人が視線を合わせずに「進行階表示を眺めている」瞬間は、まさに「気まずい」という言葉を描いたような時間に思えます。そんな瞬間こそが好きだ…という人が決して多いとは思えませんから、「エレベータに乗る時間をいかに少なくするか」を考えている人はきっと多いことだろうと思います。
M階のビル(の一階)で、エレベータの前にN人が並んでいるならば(そのN人がエレベータに乗り込むならば)、平均的に、エレベータが停まる「階の数」は
M ( 1- ( (M-1)/M )^N )と表されます。…これはつまり、高いビルならば停まる階数が多い可能性が高く、エレベータに乗り込む人数が多ければ、やはり階数が多い可能性が高い、という単純な真実です。
それは、エレベータが停まる階数は、NとM次第で変わるけれど、ビルの階数とエレベータに並ぶ人の数を眺めてみれば、どれだけの「気まずい時間」を過ごすことになるのかを知ることができるという面白い真実、「ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則です。
明日、あなたがエレベータに乗り込んで気まずい時間を過ごそうとする時に、「ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」を数えて「何階に停まるか」予想してみるのも面白いかもしれません。エレベータの中で、「科学が予測する数」が真実と一致するかどうか、そんな賭けにワクワクしてみるのも楽しいはずです。・・・そうすれば、都会で感じる「気まずい時間」が少し減るのではないか、と思います。
2011-03-19[n年前へ]
■「USA産牛肉から狂牛病に感染する確率は…」の法則
原発の「想定リスク・対策」と「福島第一原発の現状」を整理した時に感じたのは、安全性を問われた時にするだろう「最後の砦(説明)」は、結局のところ「ベネフィットとリスクを天秤に乗せたもの」なんだろうと思います。「ベネフィットのためにこのリスクは受け入れざるを得なかった」という納得です。
それは、原発のリスクに限らずありとあらゆると同じく、一番最後に考えることでもあるかもしれないし、一番最初に考えることであるように思います。それは「ベネフィットのためにこのリスクは受け入れるという選択・判断」です。
端的な例を挙げてみれば、それはたとえば「アメリカ産の牛肉から(狂牛病に)感染する確率は、自動車事故で死ぬ確率より小さい」の法則です。「○×の確率は自動車事故で死ぬ確率より小さい」というのは、「安全」が話題になる時に、いつも出てくる定番のセリフです。絶対安全というものが存在しない以上、安全は「安全でない確率を比較する」ことでしか評価し得ないというロジックです。興味深いのは、「USA産牛肉から狂牛病に感染する確率は…」という論理が、時には受け入れられ、あるいは、時に拒否されることもある、ということです。
下のグラフは、さまざまなことにおける、そんな確率を並べたグラフです。ベネフィットとリスクを天秤乗せて・悩み続けていくのが私たちの毎日なんでしょうか。
2011-03-25[n年前へ]
■「カーテンを重ねるのは非効率」の法則
「窓とカーテンのサイズが合っていない」ということもあると思います。引っ越しをした時、以前買ったカーテンを使い続けていたりしようとすると、そういうことが頻繁に起きてしまいます。
「窓よりカーテンが大きい」「窓をカーテンがすべて覆うことができる」ような場合は、カーテンの余った部分を折りたたむだけですみます。しかし、「窓の方がカーテンより大きい」「カーテンが窓の全てを覆うことができない」場合、(外から部屋の中を見えないようにするという)不透過性や(外から差し込む太陽の光を遮るという)遮光性が低下することになります。
今朝、窓より小さな面積しかないカーテンの隙間から、朝の太陽の光が差し込んできました。その光で夢の世界から覚めつつ、『もしも一片の「布切れ」があるならば、窓のどの部分に配置すれば、一番部屋を暗くすることができるだろう?』と、ふと考えました。
「カーテンが覆っていない部分」を布で覆うと部屋を効果的に暗くすることができるわけです。しかし、時に「カーテンは光を100%遮ることができるわけではないので、カーテンの部分に(さらに)布で防御しても、やはり十分に暗くなるのではないか、という考え方もあるかもしれません。
その考え方は、もちろん間違っています。カーテンや布が光を50%減らすことができるとしたら「何かに覆われていない部分を布やカーテンで覆えば、光を100%から50%まで減らすことができる」(つまり窓から差し込む光の半分を減らすことができる)のに対して「すでにカーテンで遮られている部分を、さらに布で覆ったとしても、(すでに100%の半分にまで減っている)50%の光を25%にする」ことしかできません。窓から差し込もうとする光の4分の1しか減らすことができないわけです。カーテンを重ねるのは非効率なのです。
光を遮るときでも、花粉症緩和のために空気フィルタを取り付けるときでも、この「カーテンを重ねるのは非効率」の法則は成り立ちます。「○×%減らすことができる」というものがあれば、なるべく重ならないよう、それを言い換えるならば、覆われていない「穴」の部分をできるだけ覆うようにすれば、一番効率的に遮ることができます。
窓から差し込む太陽の光と、窓ガラスの表面で光る黄色い粉体を眺めつつ、寝ぼけた頭でそんなことをムニャムニャ考えたのでした…。
2011-03-28[n年前へ]
■「ビルの階数」と「エレベータが停まる回数」で「乗り込んだ人たちが”およそ”何人連れ」なのかがわかるの法則
「ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則 で登場したのが、こんな法則です。
M階のビル(の一階)で、エレベータの前にN人が並んでいるならば(そのN人がエレベータに乗り込むならば)、平均的に、エレベータが停まる「階の数」は
M ( 1- ( (M-1)/M )^N )
と表されます。
たとえば、お昼間近のデパートやオフィスビルのエレベータに実際に乗り込んで、「エレベータに乗り込んだ人数」と「エレベータが止まる階の数」を眺め・調査してみると、この法則よりも「エレベータが停まる階の数」はかなり少ないことに気づきます。それは、エレベータに乗り込んでいる人たちの中には「一緒に行動する”グループ”」がいるからです。たとえば、エレベータの中に10人いたとしても、それが5人家族×2組だったとしたら、この法則の「人数」Nには10でなく2を入れ込んでやらなければならないからです。
…ということは、ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則 は、「ビルの階数(M)」と「エレベータが停まる回数(F)」で「乗り込んだ人たちが”およそ”何人連れ(N)」なのかがわかるの法則、と見ることもできます。
つまり、M階建てのビルの一階でエレベータに乗り込んだら、素早く人数(N人)を数えた上で、(エレベータが止まることを示す)点灯したボタンの数(F)を眺めれば、
G=N / (log(F/M) / log( 1- ( (M-1)/M )))という式を使うことで「フムフム、この人たちは”およそ”G人連れなんだろうな」などと推理すれば良い、というわけです。
エレベータという密室中に乗り込んだ人たちが、連れ同士が言葉を一言も交わすことがなかったとしても、こんな「法則」のごとく統計・数学的な推理をすることができます。日常生活の中には、こんなミステリーが満ちあふれていて、開花を待つ桜の蕾(つぼみ)のように、解き明かされる瞬間を待ちわびているような気がします。