2004-05-18[n年前へ]
■シャノンのジャグリング定理
「お手玉芸」のジャグリング、それに情報理論の父シャノンが深く関わっていたという「シャノンのジャグリング定理」 「ジャグリング史の研究」も参考にするととても楽しめる。
2004-07-31[n年前へ]
■「書き変えたベクトル」を眺めたい
先日、大阪で「電子写真の極限画質を探る」というシンポジウムがあった。プログラムには「電子写真プロセスを理論的に考える」と記載されているリコー渡邉/門永氏の講演は「電子写真プロセスを物理的に考える」という題名だった。そこには、「理論」ではなく「物理」だ、という両氏の意志があるわけだ。その「理論」→「物理」という二文字の変化の方向・ベクトルに、彼らのベースにある考えがほんの少し映し出されているわけである。
森村泰昌がマネの「フォリー・ベルジェールの酒場」の登場人物を演じることにより、「美術史の娘/劇場A」「美術史の娘/劇場B」を作成したときに、森村泰昌は「マネの絵では酒場のカウンターに手を置いているが、実際にやってみると描かれた(マネが描いた)酒場の女性の腕は極端に長くデフォルメされていた」ことに気づく。マネが腕を極端に長く事により、「白い顔・白い胸・白い腕」で形作られる力強い三角形が酒場の女性を力強い主役へと変え「その女性の力強さをマネは描いていた」のである。
結局、森村泰昌は「長く太い腕を石膏でつくり、自分の腕と握り拳で女性の胸のふくらみを語る」ことにした。マネが描いた極端に「長い腕」を「石膏の腕」に変え、「白い胸のふくらみ」を「力強い握り拳」へと変えるのが、森村泰昌が書き換えたベクトルだったことになる。それは森村泰昌が示した強い意志に他ならない。
よく、更新があったWEB日記などを見に行くと、書かれている内容は増えていないのだけれど、言葉が少し書き換えられていることがよくある。それは文章を推敲したことにより変わったのかもしれないし、何かの事情で書き換えたのかもしれないが、「変更前」→「変更後」という言葉を書き変えるベクトル・意図が書き手にあるのは確かだろう。その書き手のベクトルを眺めてみたい、とよく思う。
更新チェックをするアンテナで、更新された履歴だけでなく、言葉が書き変えられた履歴を眺めてみたい。書き手がこだわって書き変えた小さな部分を知りたい、眺めてみたいと思う。何を意識して、「元の言葉」からそれとは違う「他の言葉」へと書き換えたかを知りたい。どう「書き方」を変えたかを知り、その書き手の中に流れる「何かを書き変えたベクトル」を眺めたい、と思う。そして、その先に示されている意志を想像してみたい。
2004-08-08[n年前へ]
■「理論」と「物理」
「理論と実際」と題したシンポジウムに関して、「理論」という言葉が「物理」というように題名が変わった講演に対して先日書いた内容に、
でも私(と好夫さん)の頭の中では、理論と物理は同じもの。こんなツッッコミが。そういえば、「しかし、ほんとにベクトルの変化があったのかどうかは謎です。単に間違えただけかも」と、いうツッコミもあった。
そこで、背中に汗をかきながらカタカタ返事を打ってみる。
なんと 理論 = 物理だったとは、うがちすぎでしたか…。よくあることかもしれませんが、そんな誤解が積み重なった方が面白いものが生まれるかもしれません、…と、自分を正当化しておくことにします。面白いものだ。私の頭の中では、「理論物理」と「実験物理」という言葉があるように、理論=物理でもないし、実験=物理でもない。実験はノイズが多すぎるし、理論はノイズが少なすぎる。理論+実験≒物理のような感じもするが、それだけでは不十分な気もする。少なくとも、私の頭の中では「理論 = 物理」ではない。そんな違いは面白い。
「理論と実際」と題したシンポジウムを開催した主催者も、理論=物理ではないに違いない。だからこそ、シンポジウムは「理論編(午前)」と「現実編(午後)」に別れているわけである。だから、午前の「理論編」の講演者の頭の中が「理論 = 物理」であるならば、それは素晴らしく講演の趣旨に合っていたことになるのだろう。「理論+現実≒物理」という式を、「理論=物理」と書き換えるベクトルが講演者たちの中にはあったのかもしれない。 もちろん、今回もまたうがちすぎかもしれないけれども。
2004-08-20[n年前へ]
2004-08-22[n年前へ]
■RE:理論と物理
先日書いた『「全部理論で説明できたら…」とたんに味気なく、つまらなく思えたりはしません…?』という言葉に、
理論ですべてを説明できたとしても、理論の説明をすることが難しいので大丈夫というツッコミ(完全な理論)が。そう言われてみれば、そうですね。そんな完全な「理論物理」を理解するなんて、(「つまらない」なんて心配するまでもなく)私には全然できないでしょうねぇ…。
そういえば、この一連の話題のキッカケになった最初の方のメールでは
> 今回のシンポジウム、社内で直前に発表練習したのですが、> ○×さんの話は社内でも難しいと評判で。。。 ○×さんの発表中に、(隣にいた)△さんに「このスピードでこの話を聞いて、落ちこぼれない利口の人達はすごいですね…」と思わず訊いてしまいました。なんていうことを私は書いていて、その時点で既に「理論物理」から落ちこぼれていたのでした。というわけで、『「全部理論で説明できたら…」とたんに味気なく、つまらなく思えたりはしません…?』という言葉は、「取らぬ狸の皮算用」だったようです。うぅ。