2004-05-18[n年前へ]
■「物差し」では計れない
先日、発表資料を作りながら業田良家の「自虐の詩」の一節を思い浮かべていた。頭の中で、その中の言葉を色んな言葉で入れ替えながら、その一節を思い浮かべてみた。善や悪、美しさや醜さ、賢さや愚かさ、あるいは強と弱、いろんな「物差し」をその一節に差し込んでみた。
色んなものを眺めると、色んな「物差し」をあてたくなる。自然と色んな基準で判断したり、色んな値踏みや値付けをしてみたくなる。けれども、ふとこの一節も思い出す。この一節の中の言葉を、「幸」や「不幸」や「人生」といった色んな言葉で入れ替えて、色んなことを考える。
そして、入れ替えたそれらの言葉を元の言葉に戻した後に、もう一度だけ元の文章を読んでみる。
私たちは泣き叫んだり立ちすくんだり…でもそれが幸や不幸ではかれるものでしょうかこの世には幸も不幸もないのかもしれません人生には意味があるだけですこの人生を二度と幸や不幸ではかりません「…幸や不幸はもういい」「どちらにも等しく価値がある」「人生には明らかに意味がある」 業田良家 「自虐の詩」
■「"幸せ"をはかる定規」なんてどこにも存在しない
「"幸せ"をはかる定規」なんてどこにも存在しない。失くしたのは、左手のクスリ指。そこは、目で見ることができる女のコの"幸せ"が象徴されている場所だ。
十一月の晴天の空の下、わたしは自分の指を踏んだ。その日から、もうすぐ十年になる。
■シャノンのジャグリング定理
「お手玉芸」のジャグリング、それに情報理論の父シャノンが深く関わっていたという「シャノンのジャグリング定理」 「ジャグリング史の研究」も参考にするととても楽しめる。
■たくさんのいるはずの、だけど数の少ない「のび太」たち
たくさんのいるはずの、だけど数の少ない「のび太」たち. from HaLのメモ