2007-11-13[n年前へ]
■「醤油マヨネーズ」と「星形口」を繋ぐ粘性の秘密
「美味しさ・料理の科学」と言えば、上田氏によるレオロジー講座中で聞いた、色々なマヨネーズの粘性違いに関する話も面白かった。 たとえば、キューピーのマヨネーズに比べて、以前の味の素のマヨネーズは醤油とマヨネーズが作りにくかったという。 マヨネーズと醤油を混ぜ合わせようとしてかき混ぜても、なかなか上手く混じり合わなかったらしい。
そこで、マヨネーズの粘度測定、つまりマヨネーズの「粘っこさ・流動しにくさ」を計り、「剪断応力(かき混ぜにくさ)の定常値の平方根」と「剪断速度(かき混ぜる速さ)の平方根」による散布図 "Casson Plot" (キャッソンプロット)にしてみると、その違いが切片、すなわち、降伏値(剪断速度を0にしたときの応力の平方根)の違いとして現れたという。味の素マヨネーズの方が、キューピーのものよりも、降伏値が大きく、剪断速度が遅い~停止状態の「流動しにくさ」が高かったらしい。なるほど、かき混ぜる速度が遅いときや、かき混ぜるのを止めたときの流動性が低ければ、確かに混ぜ合わすことは難しくなりそうだ。
この「かき混ぜる速さ」に対する「かき混ぜにくさ」の違い、味の素マヨネーズとキューピーマヨネーズの違い、を生む原因は「マヨネーズに白身が使われているかどうか」であったという。
現在と違って、かつては、
- キューピーマヨネーズ(黄身だけ)
- 味の素マヨネーズ(黄身+白身)
- 味の素マヨネーズ ピュアセレクト(黄身だけ)
味の素マヨネーズが「降伏値」が大きいために醤油マヨネーズが作りにくい一方で、「降伏値」≒「剪断速度を0にしたときの応力」が大きいということは、容器から出てきたマヨネーズの形がなかなか崩れない、ということでもある。 つまり、容器の口が星形になっている容器から出されたマヨネーズであれば、星形断面のチューブ構造(のような姿)をなかなか変えない。 その結果、綺麗に映えるデコレーションをかつての味の素マヨネーズなら作りやすい、ということになる。たとえば、色とりどりのサラダを優雅に結ぶマヨネーズによる星型紐も、そんな原料・粘性の違いから生じることになる(のかもしれない)。『使いこなしにくい「不揃い」は美味しい。』と同じように言うならば、『かき混ぜにくいマヨネーズは形が崩れにくい』というわけだ。となると、結局のところ、よくある「長所と短所は同じこと」の1例である。
醤油マヨネーズに向く「マヨネーズの粘性」や、サラダを綺麗に彩る「マヨネーズの粘性」など、食材物性や製造技術も勉強してみるととても面白く奥深いのだろう。 「醤油マヨネーズ」と「星形口」を繋ぐ味の素マヨネーズの粘性の秘密から、「長所と短所は同じこと」なんていうことも浮かび上がってくるように。
2008-04-19[n年前へ]
■「夜のコンビニ・デッサン」と「色々な世界を描くための秘密道具」
石膏のベートーヴェンや、皿の上の果物や、あるいは身近なモノをデッサンをしたことがある(あるいは、課題として与えられたことがある)人は多いと思う。芯が柔らかな4Bくらいの鉛筆や、パレットに載せた数色の絵具で、目の前に見えるものを描こうとした経験を持つ人は多いと思う。石膏のベートーヴェンを描くならともかく、色のついたモノを描かねばならない時には、いきなり悩んだりはしなかっただろうか。目の前に見えているモノを、手にした道具でどのように表現するか悩んだりはしなかっただろうか。
ケント紙のスケッチブックと4Bの鉛筆を手に持って、「目の前の赤いリンゴと、黄色いバナナはどちらが白いのだろう?どちらが黒いのだろう?」と悩んだりした経験はないだろうか? 色々な色をどんな風に限られたもので置き換えれば良いのか、全然わからないままに、適当に鉛筆を走らせた人もいるのではないだろうか? 夜のコンビニを、ケント紙に鉛筆で描いた「コンビニ#3」を眺めたとき、ふとそんな経験を思い出した。
描かれているのは、人通りの少なそうな道沿いに立つコンビニエンスストアで、青や赤といった色を白と黒の世界に置き換え描かれた世界は静謐で、まるで異次元の世界のようで、それでいて、とても「私たちの現実の世界」を忠実に描写しているように見える。
いつだったか、絵画の解説書を眺めていた時に、面白い描写と記述を見た。「面白い描写」というのは、絵の中に不思議な機械が描かれていたことで、「面白い記述」というのは、その道具が「目の前の景色をどのような色や明暗で表現すれば良いかを判断するために作られた光学機器である」という説明だった。その「連続色→離散色・明暗変換」の道具は、時代を考えればおそらく単純な色分解フィルタなのだろう。…ただ、残念なことに、その不思議道具(色分解フィルタ・ツール)が描かれていた絵が誰のどの絵だったかを忘れてしまった。時代背景を考えれば、17世紀後半から19世紀中盤くらいの絵だろうと思うのだけれど、誰のどの絵だったのかを全く思い出せないことが残念至極である。
人間の比視感度を考えると、(赤:緑:青=3:6:1くらいで)緑色の感度が高い人が多い。だから、少し赤味がかった緑色をしたサングラスでもかけながら景色を見れば、色の着いたリンゴやバナナや下履を簡単に黒鉛筆で「濃淡画像」として描くことができるのだろうか。
夜道、ふと横を見ると、「夜のコンビニを、ケント紙に鉛筆で描いた"コンビニ#3"」に瓜二つな景色が見えたので、ケータイでその景色を写してみた。そこには人も車も写っていて、そのまま私たちの現実の世界だ。けれど、それだけだ。"コンビニ#3"にある妙な存在感(あるいは不存在感)がそこにはない。それが、良いことか・悪いことかはわからないけれども。
2008-04-20[n年前へ]
■「サラリーマン工学に基づいたサラリーマン体操」と「サラリーウーマン工学に基づいたサラリーウーマン体操」
最先端のサラリーマン工学に基づいて開発された体操として、NHKが開発した有名な体操メソッドに「サラリーマン体操」というものがある。これは、「サラリーマン」に必要な、色々な動き・エクササイズを体系化したものであって、役に立つと同時に楽しくもなる不思議なエクササイズである。
しかし、世の中には「サラリーマン」だけでなく「サラリーウーマン」だって多い。そんなサラリーウーマンのための、つまり、サラリーウーマン工学に基づいているらしき「サラリーウーマン体操」を観察したことがある。
確か、大崎かどこかのビジネスビルだったと思う。ビルの中のレストランで昼食をとりながら通路を眺めていると、サラリーマンだけでなく、たくさんのサラリーウーマンが行き交っている。そんな多くのサラリーウーマンたちを眺めている内に、ある規則に気がついた。それは、こんな規則・法則である。
「サラリーウーマン体操」の法則
- 同期らしき(20代の)サラリーマン・ウーマンのグループが互いにすれ違う時には、(知り合いを見つけた)サラリーウーマンたちは互いに「両手を肩の高さまで上げて、掌を揺らすポーズ(バイバイのポーズ)をする」
- 30代のサラリーマンと20代のサラリーウーマンが、同期らしき(20代の)サラリーマン・ウーマンのグループとすれ違う時には、(知り合いを見つけた)サラリーウーマンたちは、互いに「両手をへそ辺りの高さで、掌を揺らすポーズ(バイバイのポーズ)をする」
- 40代のサラリーマンと20代のサラリーウーマンたちが、同期らしき(20代の)サラリーマン・ウーマンのグループとすれ違う時には、(知り合いを見つけた)サラリーウーマンは互いに「片手を腰辺りの高さで、掌を揺らすポーズ(バイバイのポーズ)をする」
長時間にわたる観察の結果、その挨拶のサラリーウーマンたちの仕方は、次のようなサラリーウーマン工学に基づいているように見えた。一緒にいる人(連れ)が同世代の場合、サラリーウーマンたちは(見つけた知り合い)に最大限の挨拶をする=両手を肩の高さまで上げて、掌を揺らす(バイバイの)ポーズをする。この時、両手を肩の高さ以上に上げないのは、それではあまりに「手を振る行為」が目立ち過ぎるために、自分にも相手にもメリット(パフォーマンス/コスト)が少ないからに見えた。
そして、連れ(一緒にいる人)が同世代でない場合、サラリーウーマンたちは「見つけた知り合い」に対する挨拶度合いと、連れ(一緒にいる人)への気遣い(目立たなさ)度合いのバランス(シーソー・ゲーム)にしたがって、手を振る高さが変化するように思われた。連れが30代のサラリーマン(ウーマン)ならば、両手をヘソ辺りの高さで振るのが「ちょうど知り合いと年長者への気遣いの拮抗点」であり、一緒の人が40代の年長者である場合には、片手を腰辺りの高さで(知り合いのサラリーウーマンに対して)振るだけというのが、「知り合いと年長者への気遣いの拮抗点」となるわけである。
連れが40代のサラリーマン(ウーマン)の場合、両手でなく片手だけを腰辺りの高さで振る理由は、その観察から明らかにすることはできなかった。それは、もしかしたら、(自分の、あるいは、相手の連れに気を使い)手を振る行為をさらに目立たせたくなかったせいかもしれない。……あるいは、もしかしたら、腰の高さで両手を振ったとしたら、ペナルティ・ワッキーの「芝刈り機」状態になってしまうかもしれない。
いつかまた観察する機会に恵まれたなら、今度はその秘密を探ってみたい、と思っている。
2008-04-25[n年前へ]
2008-07-16[n年前へ]
■「ミンティア」の秘密
ミンティア (MINTIA) という清涼菓子がある。似たようなタブレット菓子のフリスク(FRISK)に比べて半分ほどの値段であることと、甘くフルーティな味であることなどから、私の周りでも愛好者がとても多い。
このミンティアのケースには、実は、結構面白い秘密が隠されている。タブレットを出す部分・蓋内部の経常を眺めてみれば、少し不思議な形状であることに気づくはずだ。特に説明文などがケースに書かれているわけではないけれど、この蓋形状は、タブレットを「一回に一粒だけ取り出す」ためのものである。タブレット菓子をケースから出そうとすると、一度に何粒も出てしまい困ることがある。しかし、ミンティアの場合、そういったことは起きない。
その仕組みはこうだ。ミンティアのケースを軽く振ると、出口の蓋内側にタブレットが一個はまる。そして、蓋を開けると、蓋の回転に合わせてミンティアのタブレットが一個「ケース内部から差し出される」というわけだ。清涼菓子ひとつひとつに、こういった細かい気遣いがされた容器設計がされているのだろう。そんな差別化の積み重ねが商品棚に並んでいると想像すると、色んな清涼菓子を買いたくなる。