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2005-05-10[n年前へ]

「新たな道を歩き始める人へ」 

Untitled 現在発売中のUNIXマガジンに掲載されている山口英氏による「新たな道を歩き始める人へ」は必読。「これは新人のために書くのではない」という言葉で始まり、以下のような章が続く。「出る杭は伸びる」「毎日が勉強」「コミュニケータたれ」「本当にわかること、本当にできること」「自分の手足になる道具を持つ」「もうひとつの言葉=プログラミング言語」「Googleに頼らない、Googleに頼る」

2005-06-17[n年前へ]

スクロールバーに見る「未来の予感」 その1 

 このページのレイアウトは、左側に本文、右側にタイトル一覧や種々のメニュー類が配置されています。こういうレイアウト(を出力するモジュール)を選んだのは、「タイトル一覧や種々のメニュー類」はマウスで操作されることが多く、マウスが右手で使われることが多い以上、右側に配置されている方が自然だと考えたからです。もちろん、同様の発想で右側に配置されているスクロールバーの近くに配置されていることがその自然さを増している、とも考えてもいます。

NeXT Screen Shotsスライド・デザインにおける「上手と下手」 しかし、その一方で「スクロールバー」や「タイトル一覧や種々のメニュー類」が左側に配置されている方が自然だという考え方もあります。先日、NeXTのGUIの話をかつてNeXT内でNeXT STEPの日本語化作業をされていた方と、そんなGUIの話をしていました。ご存じの通り、NeXT STEPでは「スクロールバー」は左に配置されています。「全体の内のどの場所なのか」というアウトライン的な内容を示すものは「上手に配置すべき」という考え方も、やはりとても自然です。英語では上手は眺める側から言って「左側」ですから、左に「スクロールバー」や「タイトル一覧や種々のメニュー類」を配置すべきだ、と言うわけです。
 また、そんな「左手=上手」の言葉で書かれた文章を読む人は、左側から視点を移動させていきます。そして、文字を左から右に書く言語においては、文字はウィンドウの左端に偏って配置されています。ユーザの目は左側に注目しているのに、ウィンドウをスクロールするためだけにマウスポインタを(何も書かれていない空白地帯を越えた先にある)右端に移動させなければならないなんて不便だ、というのも至って自然な考え方です。

 「どういうものが自然か?」ということを考えるとき、対象物を広く一般化してしまうと、話が単純に見えやすくなることが多いようにも思います。「論じたいモノ以外のモノたち」にも視野を向けることで、とても単純にその「自然」が見えてくることがあります。(続く)

2005-06-19[n年前へ]

スクロールバーに見る「未来の予感」 その2 

Tablet PCTablet PC というわけで、「視線の移動」という視点からは、「スクロールバー」類はその言語の「上手」に位置するのが自然です。つまり、左から書き始める言語を表示している際には、本文などよりもスクロールバーが左側に位置する方が自然に思えます。
 その一方で、右手でマウスを操作する感覚からすると「スクロールバー」類は本文よりも右手に位置する方が自然に思えます。Tablet PCを操作し始めると、そんなことを実感します。

Personal Histories of the Desktop User Interface 液晶に(ペンで)触れることにより操作できるTablet PCは、WEBページをぼーっと眺めたり、メールをつらつら(書くのではなく)読んでみたりする分には、とても自然に気持ち良く使うことができます。「文中のリンクを選んで、そのリンクページに進む」というような作業をペン(=自分の指)で直接していると、「マウスで操作する」という作業はやはり「自分の腕や指を使う作業」のフェイク(偽物)であったんだなぁ、と思います。「モドキ」だったんだなぁ、と思います。ハッキリとした現実そのものというわけではない「モドキ」だったから、現実と違って「位置関係の効果」も曖昧に見えてしまうのかもしれない、と思ったりします。

 Tablet PCを使う際には、(右利の私には)「スクロールバーが右に位置」していないと、とてもじゃありませんが耐えられません。もしも「スクロールバーが左に位置」していたとすると、スクロール中に、「移動させているページ内容」が自分の腕に遮られて見えなくなってしまうからです。否応なしに、「どんな役割のものがどこに位置するか」ということの制限・効果を実感せざるを得ないのです。視線の移動や手の移動といった作業の自然さ・不自然さが、とてもわかりやすくなるような気がします。(続く)

2005-07-05[n年前へ]

スクロールバーに見る「未来の予感」 その3 

Google Arabic on IEGoogle Japan on IE スクロールバーに見る「未来の予感」 その2に書いたように、『スクロールバー類はその言語の「上手」に位置するのが自然である一方で、同時に「スクロールバー」類は本文よりも「利き手側」に位置する方が自然』に思えます。
 そんな「自然」を実感するのが、アラビア言語系のページをInternet Explorerで眺めているときの「不自然」さです。右の二つの画像はnakama yukie"をGoogle Japanで検索をかけた結果と、同じくGoogle Arabicで検索をかけた結果です。アラビア語表示のGoogleをInternet Explorerで眺めていると、スクロールバーが本文左側に位置してしまいます。その結果、不自然な操作感になります。もちろん、Tablet PCを使っていたりすると、スクロールバーを操作しているときには(右腕に遮られて)全く本文が見えなくなってしまいます。本文をスクロールしたいのに、その肝心の本文が見えなくなってしまうのです。まさに、本末転倒です。

Google Arabic on Fire foxGoogle Japan on Fire fox 一方、Fire foxではそんな風にはならないので(右の二枚のスクリーンショット参照)、アラビア語圏のページをTablet PCで眺めるときには、Fire foxを使うようになりました。アラビア語圏の右利きの人はTablet PC上でFire foxを使うと、とても気持ちよい操作感になりそうです。『スクロールバー類はその言語の「上手」に位置するのが自然である一方で、同時に「スクロールバー」類は本文よりも「利き手側」に位置する』わけですから。同じように、左利きの日本人がこんなテクニックでも使って、右側にスクロールバーを持って行ったInternet Explorerを使っていたりすると結構気持ちが良いのかもしれません。残念ながら私自身は右利きなので、その気持ち良さを実感することはできませんが…。

2005-07-13[n年前へ]

世界の言語の数体系 

 「フランス語は数を数えられない…?」なんていう話を聞くときに、とても役立ちそうな「世界の言語の数体系



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