hirax.net::Keywords::「偽物」のブログ



2000-01-23[n年前へ]

偽札作りのライセンス 

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 「殺しのライセンス」を持つのはジェイムズ・ボンドである。コードネームで言えば、007である。殺しのライセンスを持つ人が本当にいるのかどうかしらないが、「偽札作りのライセンス」を持つ人はきっといるに違いない。

 「そんなのは当たり前だ」という声も聞こえてきそうな気もするし、「まさか」という声も聞こえてきそうな気がする。そこで、そう思う理由を一応書いておく。

 紙幣を識別する装置というのはたくさんある。例えば、自動販売機などその最たるものである。こういう紙幣識別機というものの動作確認には偽札が必要である。本物の紙幣(や硬貨)を「本物である」と認識する試験は割に簡単にできる。しかし、「偽札」を偽物だと検出するかどうかの試験をするには偽札を作って、テストしてみなければならない。

 タヌキではあるまいし、「葉っぱ」を自動販売機に押し込んでみて、それを「千円札」とは違うと認識したところで何の意味もない。やはり本物とよく似ている「偽札」を使ってテストしなければならないだろう。そうなると、やはり「偽札」が必要になるわけである。

 そういう「偽札」が必要となるからには、「偽札」を作る人も必要とされるだろう。まさか、「紙幣識別機」開発のために法を犯せ、と言うわけにはいかない筈である。ならば、「偽札作りのライセンス」がきっとあるに違いない、というわけである。

 そんなわけで、きっと、「偽札作りのライセンス」は存在すると思うわけであるが、それでは「偽札を作って配る」ライセンスというのは存在するだろうか?紙幣(硬貨)識別装置の開発のためのテスト用に、「偽札」を作るのではない。「偽札」を配布するのが目的とするライセンスは存在するのだろうか?これが今回の問題である。

 私はきっとあると思うのだ。何故なら私の手元にはそれらしき「偽札」があるのだ。本物のような、偽物のような紙幣があるのだ。

 まずは、その「偽札」の画像を示してみる。以下に示す画像の内のどれが本物だか判るだろうか?あるいは、どこが違うか判るだろうか?
 

どれが本物?
(A)
(B)
(C)

 「一目瞭然だぁ。」という声も聞こえるが、結構よく出来ている「偽札」だとは思わないだろうか?よく出来すぎと言っても良いほどである。福沢諭吉の目の辺りの拡大写真を示してみる。
 

どれが本物?
(A)
(B)
(C)

 本物の(A)に対して(B)は実によく似ている。(C)の場合はハーフトーンパターンで細線などはつぶれてはいるが、それでもやはりよく似ている。(B)も(C)も明らかに本物の紙幣をスキャニングしてデザインを少し変えた後に印刷している。

 根拠無しにそんなことを言うのも何なので簡単なチェックをしてみた。下の写真はそのやり方を示す写真である。ここでは、例として(A)と(B)の違いをチェックしているところを示す。

 (A)の画像を「赤」チャンネルで表示し、その上に「緑」チャンネルで表示した(B)を重ねる。違いがあるところでは色ずれが生じるのですぐわかるのである。人間の目は色ずれには結構厳しいので、こうするとすぐに(A)と(B)の違いがわかるのである。もちろん、画像の差をとっても良いのだが、まず画像サイズや位置を合わせるまでは、今回のやり方の方が楽なのである。

 例えば、下の画像では(A)と(B)の画像の大きさをまだ正確に合わせてないため、福沢諭吉の辺りでは違いが見られないのに対して、その他の部分では色ずれが生じている。また、福沢諭吉の下の部分に「ケンコーチョコレート」という表示があるが、これなど(A)と(B)の違いがあるので色ずれが生じていることがわかる。
 

(A)と(B)の違いをチェックしているところ

 こういったテストをしてみた結果、本物の紙幣と「偽札」の間での簡単にわかる違いは、オリジナルの

  • (A) 日本銀行券、一万円、日本銀行、紙幣番号、印影、大蔵省印刷局製造
という部分に対して、
  • (B) 子供銀行券五万円子供銀行ケンコーチョコレート、印影、大蔵省印刷局製造
  • (C) 子供銀行券、一万円、子供銀行、紙幣番号、玩具印影印刷所表示なし
という風に異なる(異なる部分は赤字で表示)部分であった。きっと、こういった「偽札は明らかに異なる点が認識できれば、作っても良い」ということになっているのだろう。例えば、
見本
というような文字を印刷するならば作って配布しても良い、という所なのだろう。

 私が面白いと思うのは、「大蔵省印刷局製造」の表示である。紙幣中央部下の表示である。これは他のもの(例えば、子供銀行券の表示)等と違いあまり目立たない部分である。この「大蔵省印刷局製造」の部分の拡大写真を示してみよう。
 

どれが本物?
(A)
(B)
(C)

 (B)ではそのまま「大蔵省印刷局製造」と残っているが、(C)では文字部分は削除されている。

 これは、(まさかとは思うが)デザインをしている時に、「大蔵省印刷局製造」の表示に気づかなかった、あるいは気にしなかったのだが、後でクレームがついたのではないだろうか?あるいは、後になって「これはちょっとマズイだろう」という判断をしたのではないだろうか?
 そこらへんのことを想像すると、ちょっと面白い。

 さて、「偽札」事件のよくある動機は技術者が自分の技術力を誇示しようとして作ってみた、というのが多いと聞く。私も実は作ってみたくてたまらないのである。「偽札作りのライセンス」が欲しくてたまらないのである。
 
 

2000-06-12[n年前へ]

サングラス 

散歩(6時間超)の途中でいつの間にか落とす。偽物の水晶を売ってるバッタモン屋で、あのミラクル・グラスを使ってみたかったのに... 路地裏でカメラを取り出したときか?

2005-06-19[n年前へ]

スクロールバーに見る「未来の予感」 その2 

Tablet PCTablet PC というわけで、「視線の移動」という視点からは、「スクロールバー」類はその言語の「上手」に位置するのが自然です。つまり、左から書き始める言語を表示している際には、本文などよりもスクロールバーが左側に位置する方が自然に思えます。
 その一方で、右手でマウスを操作する感覚からすると「スクロールバー」類は本文よりも右手に位置する方が自然に思えます。Tablet PCを操作し始めると、そんなことを実感します。

Personal Histories of the Desktop User Interface 液晶に(ペンで)触れることにより操作できるTablet PCは、WEBページをぼーっと眺めたり、メールをつらつら(書くのではなく)読んでみたりする分には、とても自然に気持ち良く使うことができます。「文中のリンクを選んで、そのリンクページに進む」というような作業をペン(=自分の指)で直接していると、「マウスで操作する」という作業はやはり「自分の腕や指を使う作業」のフェイク(偽物)であったんだなぁ、と思います。「モドキ」だったんだなぁ、と思います。ハッキリとした現実そのものというわけではない「モドキ」だったから、現実と違って「位置関係の効果」も曖昧に見えてしまうのかもしれない、と思ったりします。

 Tablet PCを使う際には、(右利の私には)「スクロールバーが右に位置」していないと、とてもじゃありませんが耐えられません。もしも「スクロールバーが左に位置」していたとすると、スクロール中に、「移動させているページ内容」が自分の腕に遮られて見えなくなってしまうからです。否応なしに、「どんな役割のものがどこに位置するか」ということの制限・効果を実感せざるを得ないのです。視線の移動や手の移動といった作業の自然さ・不自然さが、とてもわかりやすくなるような気がします。(続く)

2005-07-01[n年前へ]

「瞳を開いて眺める」の3つのニュース 

リクナビNEXT/リクルートの転職サイト Tech総研で「瞳を開いて眺める」の3つのニュースが公開されています。
 そういえば、このTech総研のコーナーは一本のニュースにつき200文字くらい、という目安を言われていました。…しかし、ふと気づくと(意図的に?)、かなり長く書くようになっていました。今回の『みんなが笑顔の「ベストショット検出技術」』なんか800文字くらいありそうです…。それに、『実は3倍の大きさだった「アンドロメダ座大銀河」』なんか、原稿用に計算までしてしまいました…。ほとんど気分はミニミニ「できるかな?」です…。同じように、冒頭の「ひとこと」も全然一言でなくなっています。ちなみに、今回の「ひとこと」の送付原稿はこんな感じでした。

液晶画面をペンで操作することができる(もちろんキーボードでも操作することはできる)Tablet PCを使い始めた。すると、「マウスで操作する」という作業はやはり「ペンや自分の手を使う作業」のフェイク(偽物)に過ぎなかったんだなぁ、と今さらながらに気づかされた。未来のPCのインタフェースはどんな風に変化していくのだろうか?

 これでは、全然「ひとこと」ではないですよねぇ…。

2009-10-31[n年前へ]

自分で納得するまで考える。それが大事だと僕は思っている 

 結城浩「数学ガール 」の「相加相乗の平均の関係」から。

 「好きなことをしっかり追い求めていくと、本物と偽物を見分ける力も付いてくる。いつも大声を出している生徒や、賢いふりをする生徒がいる。きっとそういう人たちは、自己主張が好きで、プライドが大事なんだ。でも、自分の頭を使って考える習慣があって、本物の味わいを知っているなら、そんな自己主張は要らない。大声を出しても漸化式は解けない。賢いふりをしても方程式は解けない。誰からどう思われようと、誰から何と言われようと、自分で納得するまで考える。それが大事だと僕は思っている」



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