2003-03-27[n年前へ]
■錯覚アスキーアート
「錯覚するアスキーアート」と「Checker-shadow illusion」 あまりに制限のある手段のアスキーアートで色んなものを作るというその方向性はとても好きだ。
誰でも驚くに違いない「AとBの部分の濃度が同じ」というChecker-shadow illusionをグレースケールにしたものと、PDLSの鳥瞰図プラグインで疑似カラーにしたものを並べてみる。疑似カラーにしてしまうと、錯覚もいきなり消え失せてしまう。
2003-05-26[n年前へ]
■イベント・コンパニオンのヒミツ!?
ミニか否かはハイヒール次第
世の中には「知っている人は知っている。だけど、知らない人は全然といって良いほどに知らない」というコトが数限りなくある。例えば、「スクール水着のお腹部分には大きな穴が開いている」というスクール水着のヒミツもそんなコトの一つであるし、「ミニスカートの長さは32cmを境として見える見えないの境界線が決まっている」なんていうミニスカートのヒミツもその一つであった。
知っている人には「何でいまさらそんなことを…?」と感じられるコトであっても、そのコトを知らない他の人にとってはそのコトは衝撃的以外の何ものでもなかったりするコトがある。「知っている人は知っている。だけど、知らない人は全然といって良いほどに知らない」なんていうコトほど、知っている人と知らない人の間の受け取り方のギャップが大きくなるものはないのである。
そんな「知っている人は知っている」というコトの一つがsuchi today経由で知った右の写真から判る「イベント・コンパニオンの足下のヒミツ」に違いない。
画像はTECHSIDE ビジネスシヨウ2003への直接リンク |
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まずは、そのヒミツが隠されている右の写真をよく眺めてみよう。この写真を眺めてみてももしも何も感じなかったら、あるいはこんな写真や、こんな写真、あるいは、こんな写真を立て続けに見ると判りやすいだろうか。とにかく、どの写真を見ても「あぁこれは一点透視遠近法以外の何者でもないぞ」という感じを心の中で強く受けるハズなのである。見事なぐらいに画面の奥へ奥へと直線が伸びているようすを感じるハズなのだ。
その理由はもちろん、コンパニオン達のつま先の位置も、スカートの端の位置も、視線の位置も全員が全員同じであるからだ。それはまるで、コピーして何人も複製して並べたかのように手前から奥まで全員が全員みんな同じなのである。そのせいで、コンパニオン達のつま先の位置も、スカートの端の位置も、視線の位置も、その全部が全部一直線となって画面の奥へ伸びているように見えるのである。
もちろん、現実にこれらの写真の中のコンパニオン達がみんながみんなが身長であるわけも、足の長さも同じわけであるわけもなくて、そのコンパニオン達の足下をよくよく眺めてみれば、ハイヒールの高さを調節することで背の高さを調節していることが判るに違いない。もちろん、上に挙げた他のいくつかの写真をよく眺めてみても、やはり同じようにハイヒールの高さで調節していることが判るのである。それは知ってしまえば当たり前の話で、身長が低いからといって大きい服を着せてしまえばそれはとてもヘンであるし、身長が高いからといって短いスカートを履かせたりしたら、それはもっと大ヘンな事態に陥るに違いないのである。つまり、結局のところ
「各人それぞれの本当の身長」+「各人それぞれの身長調整用ハイヒール」 = 「みんな同じ身長」となっているわけで、つまりは「金正日(キムジョンイル) ナゾの9%」と同じ身長調整システムになっているのである。コンパニオン達の股下にあるけど足じゃない、コンパニオン達の膝下にあるけど何故か足じゃない、コンパニオン達には何かヘンな部分があるという「金正日と同じ身長調整システム」なのだ。
しかし、「金正日と同じ身長調整システム」と同じということは、そのシステムを使った場合にはやたらめったら股下長さが長くなってしまうという弊害が現れるハズなのである。例えば「女性の身長v.s.股下比率」を見てみても、女性の足の長さは(身長が高い場合には比較的身長に占める股下長さが長いとはいえ)身長の 42~47%程度、つまりは身長の半分以下に過ぎない。しかし、このコンパニオン達のように身長を足下で調整してしまったりすると、その「各人それぞれの身長調整用ハイヒール」の高さが「各人の足の長さ」の中に繰り込まれてしまうのである。ということは、やたらめったら股下長さが(一見)長く見えてしまうのだ。それを言い換えるならば、そのコンパニオンの「足の長さだけがミョーに長く見えてしまう」のである。その人の体に比べてやたらに足が長く見え、そのスカートから伸びる足がやたらに長く見えてしまうのである。例えばそのコンパニオンが本当の身長にジャストフィットするようなスカートを履いていたりしたならば、その足を隠すスカートの丈が少しばかり(足に比べて)短く見えたりすることになるのである。つまり、そのコンパニオンがミニスカートを履いているように錯覚してしまったりするのである。
とはいえ、コンパニオン達にとっては「足の長さが長くなってしまう」というのは別に弊害となるわけではない。足が長く見えるのは、それはとってもウレシイ話にしか思えないハズである。それを喜びこそすれ、悲しんだりするわけはないのだ。むしろ、その悲劇は一見無関係に思えるワタシ達傍観者の側に訪れるのだ。なぜなら、それらのコンパニオンに見とれるワタシ達は
- スカートから伸びる足がやたらに長く見え、スカートの丈が足の長さに比べて短いぞ、と気づく
- ということは、アレは結構なミニスカートだなと考えて(実は勘違い)、も・もしかして見えるかも… 、と期待をする
- しかし、実際にはそのスカートが短いわけではないので(それにワタシ達は気づくこともなく)、無駄な時間を過ごしてしまう…
しかし、「コンパニオン達が身長を足下で調整している」という簡単で「知っている人は知っている」事実を知っしまえば、実はコンパニオン達が「金正日と同じ身長調整システム」を採用しているという「イベント・コンパニオンの足下のヒミツ」を知りさえすれば、もう金輪際ワタシ達がこんな悲劇的なシチュエーションに陥ることはないのである。例えば、無垢なワタシ達がもしも何かのイベントに行ったとしても、まずは即座にコンパニオンの足下を確認し、「そのハイヒールがずいぶんと厚底である」と確認したならば、哀しげに首を振りながら「あのスカートは短く見えるけれどそれは目の錯覚で、本当は特に短くもないただのスカートなのだ」と自分を静かに納得させることができるようになるのである。そしてさらには、コンパニオン達の足下を見渡して、ハイヒールの「かさ上げ」がほとんどないコンパニオンを見つけたならば、「このコンパニオンのスカートは(短くは見えないけれど)本当は短いのだ」と心の中で喜びつつ、満足感と期待感とともにそのスカートに見とれることができるようになるのである。
というわけで、イベントに行ったならばコンパニオンの足下をまずは確認すべし、そして低いハイヒール(という言い方もヘンだが)のコンパニオンを見つけてそのスカートに見とれるべし、というのが今回の「必ずトクする今日の一言」なのである。いや、ホントのところはどうだか知らないのだけれど…。
2003-10-29[n年前へ]
2005-12-02[n年前へ]
■「ウェストを素晴らしく細くする」脳内トリック
Tech総研ブログに「ウェストを素晴らしく細くする」脳内トリックを書きました。「貧乏揺すり」ハンドパワーで彼氏の心に魔法をかけろ!? という?内容です。
「(腰回り)81cm の超ポッチャリ体型」が「58cm のスーパーモデル並み体型」に感じられた、ということになります。ビックリ仰天してしまうくらいの、恐ろしい!?錯覚です。
2007-07-16[n年前へ]
■創造性とミューズ
世界は限りなく広い。けれど、それと同時に、そんな世界はとても狭い、と感じる瞬間があるのも事実だ。どんなに長く生きていても、地球の上にいる99.999…%の人には一度も会うことはない。けれど、意外なところで、よく知っている名前や顔と再開することがある。
画像処理のプログラムを作るために古今東西の絵画のテキストを読んでいる時に、こんな一節に出会った。
以前クヌースというアメリカの数学者と話したとき、「絵を描くとき、自分の意志というより、頭の中に誰かがいて、わたしの感性を左右するらしく…」森鴎外も、なんだか自分を支配するものが頭の中にいて…などと書いていますが、それはこういうことだったか…」とわたしは言いました。クヌース「という」アメリカの数学者と話したとき、である。(理系であれば知らない人はいないだろう)「ドナルド・クヌースと話した時」ではなく、つまりは「読者はしらないだろうが、あるアメリカの数学者と話したとき」だ。
安野光雅 「絵の教室 」
画像処理アルゴリズムを考えるために、絵画の本を読む。そして、ドナルド・クヌースに出会う。こういった巨人を見ると、世界が実に小さなものに見える。それは、一種の錯覚のであるとも思う。けれど、こうした巨人が世界を繋ぐ高速道路の役割を果たしているのも、また一面の真実であるとも思う。
森鴎外や安野光雅や口にした「頭の中にいる誰か」「感性や自分を支配するもの」の名前を、クヌースというアメリカの数学者は口にする。
はじめ、原因不明のふとした着想から考えを進めるのだが、すると、ひとりでに論証の車がまわりはじめて、論文が楽にできあがる。…思うに背後にいるのは、ミューズだよ。クヌースが言葉にした「頭の中にいる誰か」は、ギリシャ神話で芸術を司る9人の女神"ミューズ"である。私たちの頭の中で9人のミューズたちが踊り、絵画や文芸や論文やプログラムを作らせる。何だか、とても面白い。
ドナルド・クヌース