hirax.net::Keywords::「集英社新書」のブログ



2003-02-02[n年前へ]

写真とことば 

 集英社新書の「写真とことば」飯沢耕太郎を買いました。その中には「リアリズムはカメラという名の四角く冷たい機械の中にあるのではなくて、写す人間そのものの世界観と表現方法の中にひそんでいるのである」という言葉がありました。
 わきさんが引用した「僕の写真もそこにあるものをそのまま撮ったというものではない。...そして結果的に出来上がった写真、つまり再現された写真というものは、その人間なりの主観によって認識された、その人間の世界ということができる」という台詞にもとてもとても惹かれます。
 ゴミ捨て場でカメラを拾って、それから写真を撮るようになって、そしてそのカメラメーカーに気づいたら入っていて、そして少しの(大きな?)勘違いで電子写真製品に携わるようになった私は色々考えてしまいます。あの運河沿いの街でカメラを拾っていなければ、今頃何をしていたのかな、と考えてみたりします。

2007-12-01[n年前へ]

直筆で読む「坊っちゃん」 

 直筆で読む「坊っちゃん」(集英社新書ヴィジュアル版)を読んだ。読んだと言っても、読んだと言えるのは、秋山豊氏による解説文と夏目房之介による書字の特徴を解説した文章だけで、夏目漱石の直筆文章の方は「書き直したり・消したり箇所」を眺めただけだ。

 夏目漱石が書こうと意図した言葉と印刷された文字の違いを解説する秋山豊氏による文章は面白かった。たとえば、 坊っちゃんの「山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目(まじめ)になって、君あまり学校の不平を云うと」の真面目(まじめ)が真顔(まがお)だろうということに頷いたり、「それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方(ひぐれがた)になったから」の「かなり(可成)」が実は「なるべく(可成)」なのだな、と納得したりした。

[書き直し前]だから清の墓は小石川の養源寺にある。
[書き直し後]だから清の墓は小日向の養源寺にある。

 直筆の文章は、私は、スムースには読めない。けれど、どんな言葉に朱を入れたかということを眺めると、その一つ一つがとても面白い。Typoを修正していたり、地名を変えていたり、語勢を整えていたり、そんな漱石の息づかいを感じることができるのは、素晴らしく新鮮だ。

2009-04-09[n年前へ]

源氏物語も政治の道具 

 「寂聴と磨く「源氏力」全五十四帖一気読み! (集英社新書)

 瀬戸内寂聴: (紫式部は)面白い物語を書くと評判になって、当時の最高権力者、藤原道長に召し抱えられて、道長の娘の中宮彰子の女房になりました。…その時の一条天皇は文学趣味があり、彰子より年上の定子という、清少納言が仕えていた方のお姫様とすごく仲が良かった。その天皇の興味を幼い彰子に向けさせるために、道長は紫式部を雇ったわけ。源氏物語も政治の道具だったということです。

2009-06-29[n年前へ]

「工科」と「理科」 

 松本哉の「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る (集英社新書) 」から。

 「工科」ほどすぐに何の役に立つということでもないし、腹の足しにも、金もうけにもならないが、こんなことを考えるのが「理科」だ。

2009-11-19[n年前へ]

「こころを喜ばす科学」 

 平林久・黒谷明美「星と生き物たちの宇宙―電波天文学/宇宙生物学の世界 (集英社新書) 」の「おわりに」から。

平林:最後のメッセージです。僕は、科学、技術と、一般の人々との遊離を憂います。一般の人々に、科学を率直にみて好きになって欲しいと思います。
 産業、経済、医療等々は僕等の生活を安全で豊かなものにしてくれますが、芸術、スポーツ等がこころを楽しませてくれます。科学は応用を通じて実生活に関わり、知的追求というこころの喜びにも関わる二面を持っています。科学、芸術を愛し、ちゃんと理解する社会は、いい社会だと思います。

黒谷:多くの人に、こころを喜ばす科学を楽しんでもらいたいですね。



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