2008-01-12[n年前へ]
■マギー司郎のコトバ
マギー司郎の「生きているだけでだいたいOK」という本の中で語られる言葉を読む。
コンプレックスのある人ほど、人の痛みとかに優しいし、相手の気づかいもよく見えるんだよね。でも、完璧に近い人には、そういうものが見えてないもんね。どこか欠けてる人の方が強いんだよ。弱さの強さだよね。だから、欠点はあっていいんだよ。
マギー司郎 「生きているだけでだいたいOK」
「弱者」のブログと「強者」のブログを読む。同じように、「弱い人」のブログと「強い人」のブログ も読む。一つのキーワードで繋がる日記から、たくさんのが見えてくる。色んなことを思い出す。
あの日描いた未来とは 何か少し違ってるけど
斉藤和義 「真夜中のプール」
2009-06-03[n年前へ]
■コンプレックスの使い方
週刊SPA! 6/9号 「真実のコースター」 第50回 椿姫彩菜 (文:松岡宏行 厚生:岩岸えりか )
セクシャルマイノリティは、お笑いで目立つ人が多いけど、私には人を笑わせる才能はありません。
コンプレックスを笑いに変えられるのは、強い人だと思うんです。でもそれができる人は、世の中のごく一部ですよね。
自分のコンプレックスを逃げ道にしている人もいると思うんです。悲劇のヒロインぶったりして。でも、生きている以上、どんな人でも悩みは絶対あるので。だから私は、自分を不幸だと言うつもりは全然ないんですよね。
2010-02-02[n年前へ]
■「深い後悔」や「苦い失敗」
本当に引用したい一文は、自分の手帳に書き写すだけ、ということが多いものです。
小山薫堂は、映画「おくりびと 」の脚本を書いた人です(それ以外のことも数えきれないくらいしている方ですが)。その「おくりびと」に関する一節を、小山薫堂の「もったいない主義―不景気だからアイデアが湧いてくる! (幻冬舎新書) 」から、1番ではないけれど、気になった言葉をここに書き写しておくことにします。
ある映画評論家の人からはこう言われました。「あの脚本は誰が撮っても面白くなったに違いないけれど、監督が滝田洋二朗だからこそ、さらに輝きを増した」
滝田監督はピンク映画の出身です。だから、職業差別を受けた経験がある。そのコンプレックスが、この映画に反映されているのではないか。(中略)差別される側の痛みを、滝田監督は実感としてよく理解していたのかもしれません。
最初に僕が石文というものの存在を知ったのは、向田邦子さんの「無口な手紙」というエッセイを読んだときでした。
2011-06-12[n年前へ]
■虚実の谷間にさまようのは「男心のコンプレックス」
グラビアアイドルの谷間の向こうを眺めれば、実の世界と虚の世界、そして、それらが複雑に混じり合う複雑怪奇な複素平面が見えてくる。その巨乳ならぬ虚乳の谷間、虚実の谷間にさまようのは「男心のコンプレックス」虚実の谷間にさまようのは「男心のコンプレックス」という的確な言葉。
RealとImaginaryの谷間で、男心のビジョンは常にComplexを抱えて、虚実の世界に揺れ動く。
明治から昭和の始めに生きた寺田寅彦も、もしかしたら、そんな男心の「コンプレックス」にさいなまされていたのだろうか…。
俳諧で「虚実」ということがしばしば論ぜられる。数学で、実数と虚数とをXとYとの軸にとって二次元の量の世界を組み立てる。虚数だけでも、実数だけでも、現わされるものはただ「線」の世界である。二つを結ぶ事によって、始めて無限な「面」の世界が広がる。
寺田寅彦 「無題六十四」
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