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2003-09-06[n年前へ]

ちゃろん日記(仮)とバブルの逆襲の一人称 

 そういえば、確かにちゃろん日記(仮)capsctrldaysが書くとおり、「わし」で語られていたっけ。そして、バブルの逆襲は「ワシ」が結構使われていた。

 この二人はそういえば「家族」を強く意識させる文章だった。ちゃろん日記2000(仮)を読んだことのない人は、ぜひぜひ読んでみて下さいな。私の今でも一番のお気に入り。

2003-10-05[n年前へ]

サムネイル履歴バー突きのブラウザ iRider 

iRider。 from 朝顔日記。

2003-10-15[n年前へ]

やっぱり、愛がなくちゃね。 

 結城浩の日記から「Web日記というもの自体が、そうしたあげつらえによって成り立っているようにも思えてくる」という高木浩光@茨城県つくば市 の日記を読む。正確に言えば、高木さんのページは毎日の巡回先に入れているのだけれど、今回は結城さんのポインターからその文章に飛んだのである。

 「あげつらえ」という言葉も色んな意味があるけれど、ツッコミには愛を込めて、ね。という言葉にうまく表されているように、そこにはやっぱり愛がなくちゃね、と思う。そういえば、この高木さんの日記だって、鋭い文章ではあるけれど愛があるツッコミに読める。

 それはさておき、

日常の中から良いものを見つけ出すのは、とても大きな喜びを産み出し、知的なチャレンジでもある、と私は思っている。
というのはとても良い言葉だ。日常の謎ミステリーが大好きな私には思わず膝をうちたくなるような言葉だ。

2003-10-20[n年前へ]

今日の反応 

 ダイアリもアンテナも完全なプライベートモードじゃないですよ。> 好奇心のかたまり日記。

2003-10-21[n年前へ]

Web日記とWeblog 

 というわけで、「自分のサイトはWeb日記, or Weblog…」なんて自己参照はまず例外なく言動の落とし穴にはまってしまっている、と思うわけです。あるいは、「表出」や「表現」という言葉を使っても、それを自己に向かって言及しようとすると、それは単に色んな矛盾や勘違いを引き起こすだけのものだったりすると思うのです。
 他人のことはちゃんと見えても、自分のことはどうしても見えないものだと思うわけですね。 …というようなことが、ARTIFACTを読んで頭に浮かんできたのでした。



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