hirax.net::Keywords::「未来」のブログ



2011-06-22[n年前へ]

技術や科学は「目的」ではありません。けれど、それは有力な「道具」です。 

 技術や科学は「目的」ではありません。それは単なる道具に過ぎない…と書くと、多くの方々の意志を(一見)否定してしまうようですが、それは、少なくとも「目的」ではありません。それは、目的を実現できるかもしれない『有力な道具」に過ぎません。

 どんな状況だったか忘れてしまいましたが、何かの文化・技術に関する未来予想図をどこかの誰かに聴きに伺いました。

…その時、強く感じたことは、「技術や科学」を(これから形作られるだろう)歴史の中で「未来はこうあるべきだ」と位置づけ・考えることができる人は、これから人が進むべき未来、人の未来を幸せにする「文化」という「力」を備えている、ということでした。…そういうことを今更ながらに感じさせるほと、そういう「力」ならぬ「意識」を備えている人は少ないのです。

 技術や科学は「目的」ではありません。そんなことは、100人が100人知っています。本当の「目的」は人(やそれに付随するもの)が幸せになる未来です。そんな未来を実現するための「何らかの力」が目的を達するための道具です。

 技術や科学は「目的」ではありませんが、未来はこうあるべきだという目的、人が進むべき未来・人の未来」を幸せにすることができる有力な道具です。これから人が進むべき未来、人の未来を幸せにする「向き=ベクトル」を作るのは、「未来はこうあるべきだ」という意志と「何かを実現できる」道具の掛け合わせです。

 技術や科学は「目的」ではありません。けれど、人が進むべき未来・人の未来」を幸せにするという目的を作り出すことができる「有力な道具」は、人が作り上げたそんな技術や科学です。

2011-07-03[n年前へ]

「作れなければ、わかったとは言えないぜ」 

 アラン・ケイ(Alan Kay)が、ダイナミック・メディア(メタメディア)機能を備えた「本」のようなデバイスということからダイナブック (Dynabook) と名付けた理想のパーソナル・コンピュータ(デバイス)を提案したのは、1972年、“A Personal Computer for Children of All Ages”という文章の中でした。

 文章冒頭に、Cesare Paveseのこんな一文が掲げられています。

“To know the world one must construct it.“

 「世界ってのは、おまえが実際に作ってみないとわかんないもんだぜ」というチェーザレ・パヴェーゼの「世界」に関する言葉は、アラン・ケイの有名な「未来」に関する言葉、未来を「どうなる・こうなる」なんて予想することに時間を使うくらいなら、「作っちまえ!」という啖呵(たんか)を思い起こさせます。

“The best way to predict the future is to invent it.”

 「作ってみなけりゃ、わかったとは言えないぜ」「わからないなら、作っちまえよ」…ノートPCを買うたび、そんな一文を白いマジックペンでノートPCの天板に走り書きするのです。そんな魔法使いの呪文を書き込んだ途端、その呪文が手に持つノートPCを理想のノートPC・ダイナブックへと変えてくれるように感じます。

 ”作ることもできない=わかっていない”コメンテーターばかりが増えるこの時代、そんなコメンテーターなんか足先で蹴飛ばしちまえ、実際に何かを作り出すことができない自分なんて蹴飛ばされちまえ、そんなことをいつも思います。

 そして、ずっと走り続ける人(たち)を思い起こし、心から恋しく・愛しく・尊敬するのです。

2011-08-24[n年前へ]

「視野を狭くせず、さらに、総合的に捉える視点」 

 加藤陽子さんに話を聞く「池上彰の「学問のススメ」」”なぜ現場任せで、トップマネジメントが機能しなくなるのか?”を読みました。

 なぜ戦争に負けたのか、なぜ原発は事故を起こしたのか、という点について、「庶民」とは反対側、「トップマネジメント」に焦点をあてて考えていきたいと思います。
 加藤陽子先生の歴史を「その時の状況に沿って考え・整理し直す」やり方は、とてもわかりやすく・新鮮で・面白い。池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

 対談中に登場する「戦時中のロジスティクス」という言葉で連想した、日本における日露戦争時の「ロジスティクス」や「経済・外貨問題」に関する言葉を、今日もう一度書き留め直しておきます。

 秋山真之と児玉源太郎に共通する特徴として、戦場の戦闘行為だけに目を奪われないということがあります。秋山は、ロジスティックス、つまり戦争の支援業務が重要だと言っていますが、児玉はもっと広くて、戦争を総合的にとらえる視点を持っていました。たとえば、戦費調達のための外債公募が上手く行くようにと、日露戦争の緒戦(初めの頃の戦い)で目立つ戦果を上げるべく作戦を考えている…。

秋山真之と児玉源太郎

 そう、後ろを支える大動脈・大静脈であるロジスティクスはとても重要で・欠かすことができない、そして、実はもっとも大切な黒子です。

 池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

2011-09-02[n年前へ]

明日は明日の風が吹く - Tomorrow is another day. 

 今日、30分ほどの話をする機会がありました。話す内容を何も考えていなかったので、早朝起きて話のアウトラインを描き・PowerPointスライドをテキトーに作り、実に情けない突貫工事状態で話をしてしまいました。

 話した内容のうち「終盤(クロージング)」部分を、話した流れを自分で忘れてしまわないよう(話しつつ見せたデモなどは割愛しましたが)ここにメモしておこうと思います。


 …こういったこと、「キャラクター」「シナリオ」「数打つ」と3つのことが、(先ほどまでの例とはまったく違うジャンルではありますが)新しい技術を見つけ・選び出し・生み出すということを考える上でも、やはり大切なのだろう、と私は考えます。 自分たちの”違い”・個性・特徴・ポジションを生かさなければ、「他の人たちでなく自分たちこそができる」という状況にはなりえないでしょう。 また、「道筋・ストーリー・ゴールへの台本」なくしては、長いこと・大きなものを作り出すことは不可能だと思います。 そんな台本なんてない、という人もいるかもしれませんが、そんな人の頭の中には、それがたとえ無意識下にせよ「台本・予想図」があるはずだ、と私は確信します。 そして、数打つこと、つまり、「たくさん手にする」ことが不可欠です。 数打たなければ、アタらないのです。

 未来は、未来になってみないと「どうなるか」なんてわかりません。 不確実なものが未来です。 予想的中の明日で (^_^)v ということもあれば、予想した通りの残念な明日でやっぱり (>_<) ということもあると思います。 あるいは、考えもしなかった落とし穴が待ち受けていて (T_T) となるかもしれないし、はたまた、思いもしなかったプレゼントがあり (^o^) となっているのかもしれません。

 未来は、予想の「アタリ」と「ハズレ」をかき混ぜたカクテルです。 しかも、その「アタリ」がほんの少しの時間を経ただけで、いつの間にやら「ハズレ」に姿を変えてしまったりもします。 その逆に、「ハズレ」馬券だったはずの紙切れが、気づくと「万馬券」に変身していたりもするのです。 つまり、「アタリ」と「ハズレ」は時に互いを入れ替え合う存在で、それらが入り交じっているのが未来だと思います。

 だから、そんな未来への「宝くじ」はたくさんたくさん集めるべきだ、数打つべきだ、と強く言いたいのです。 たくさん集めさえすれば、その中には「アタリになるもの」が必ず混じっているものです。 そのアタリがいつまでアタリであり続けるかはわからないけれど、少なくともある一瞬にはアタリになるはずのものが、掌(てのひら)の中に確かに入っているはずです。 だから、「キャラクター」や「シナリオ」を見つけ出しながら「数打つ」ことをしていさえすれば「いつかはアタる」と安心して良いに違いない、と信じています。

 さて、冒頭で引いた(5,6年前にオープンソースマガジンのために書いた)記事の続きには、こんな文章が書かれていました。

 「自分のための勉強ノート」ですから、いつでも私は「自分がやりたい」勉強をしていました、と言いたいところですが、そういうわけではありませんでした。 なぜかと言うと、それは「自分のやりたいこと(勉強したいこと)」はこれだ、と自分でハッキリわかっていなかったからです。 だから、その瞬間その瞬間の、好奇心の赴くままに、目の前の謎・パズルを(その秘密を解き明かすことができそうな科学技術を勉強しつつ)、楽しみながら考える、ということをやっていただけです。 そんなことを長く続けているうちに、自分のやりたいこと、「何だかおもしろく楽しくなる科学技術」という方向性がようやく見えてきたというのが本当のところです。

 私のように、「自分のしたいこと」を自分自身でもよくわからないという方も多いと思います。 そんな人(時)は、とりあえず何でもいいから続けてみるのもコツだったりするのかもしれません。 そうすれば、「将来長い時間をかけて自分がやりたいこと」も浮かび上がってくるだろうし、そういった「将来・現在やりたいこと」が「これまでにやったこと」と繋がってくることも多いと思うのです。
 数字がバラバラに並んでいて、1から2へ線を結び、2から3へ線を引き、さらに次の数字へと鉛筆の芯を走らせていると次第に「一枚の絵」が浮かび上がってくる、というパズルがあります。 "Connecting the Dot"と呼ばれるこのパズルと同じようなことが、新しい技術を追いかける人たちにとってもある、つまり、新しい技術を追いかけ続ける日々も、そんな"Connecting the Dot"な毎日なのかもしれません。

 何をしたら良いかを見つけ出すのが難しい、選んだものが何か形になりうるのかどうか悩む、…きっとそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。

 てんでバラバラに見えても、さまい続けているように思えても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりするかもしれない、そういうことがあるものだということを、自分自身の経験から私は信じています。 たくさんの「点・ドット」を通過し線を引いていくうちに、いつの間にやら、”偶然"か"必然"かよくわからないままに、それらが繋がり・何かが浮かび上がってきたりするのです。


 今日、お話したかったことは2つありました。 (冒頭で冗談交じりに話した)1番目は本の宣伝でしたが、2番目はこんな感じのおぼろげなことです。 閉塞感がある、先が見えない、風通しが悪い…そんなことに悩む研究開発を続ける人たちに向け30分程度の話をして欲しいと言われた時、「引き受けたは良いけれど、何を話せば良いかわからなかった」というのが正直なところです。 そこで、どんなことをとりとめのない話をしても矛盾しなさそうな「題目」を、とりあえず、メールで送信してしまいました。 それが、今日の題目、
「明日は明日の風が吹く」 "Tomorrow is another day."
です。予想もしなかったことですが、意外にこの言葉が何かの答えだったのかもしれない、と今は思います。

 ガラクタのような話の中から何かの役に立つところを見つけ出して下されば、心から幸いです。 ありがとうございました。

2011-09-12[n年前へ]

「1%の才能」と「99%の努力」 

 9月12日の「n年前へ」から。「1%の才能と99%の努力」という言葉を、さまざまな方向から眺めてみたくなる、こんな言葉。

 …1%の才能と99%の努力から成る、といわれる。その、1%の才能こそが、99%の努力を支えるのであって、ベルモット抜きのドライマティーニがありえないように、ほんの微(かす)かな才能の香りすら見いだせなかったら、努力のきっかけもまた得られないではないか。1%が重要なのだ。



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