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2009-02-12[n年前へ]

「豊かさって何ですか?」って聞かれても……困るよね。 

 以前、「豊かってどういうことでしょうか?どうしたら手に入るのでしょうか?」と、ある経済学者に聞いたことがある。あることをきっかけに、経済学に興味を持ち、まだプチバブルが続いていたように感じたその頃に、その経済学者に「豊か」って何でしょうか?と、知りたかったことを聞いてみたのだった。

 中村達也氏が書いた「読む―時代の風景342冊 」を読んだ。その中の、多辺田政弘氏の「コモンズの経済学 」に対する書評に目を惹かれた。

 あまりにまともな問いをあまりにも正面切って出されると、人は答えに窮してしまう。大概の経済学の辞典に「経済」とか「豊か」という項目がないのは、きっとそのせいかもしれない。
 そういえば、私が「豊か」って何でしょうか?と尋ねた経済学者、その先生も口を開くのにかなりの時間をかけて、つまりは、やはり少し答えることに窮していたように感じた。
 こういったまともな問いには、大概の経済学者は近寄らないというのが相場である。(中略)こういった問いには黙って目をつむり、自分自身の時間とエネルギーの効率化をはかるのが利口というものである。
 冒頭の問いを、私は(問うた相手の)経済学者の先生に、「個人の豊かさ」とか「グローバルな豊かさ」とか、さらには、「未来」といったことを、聞いてみたかったのである。今考えてみると、それは、あまりにまともな問いをあまりにも正面切って、聞いてしまったような気がする。

 私が冒頭の質問をした経済学者とは、この本の著者である、中村達也氏だったのである。

2009-02-15[n年前へ]

バブルと不況とフィードバック 

 一頃前は、本屋には株式の本が平積みされていた。そして、株で莫大な利益を出した人たちの本や、それに右へ倣(なら)えしたようなが並んでいた。

 そんな書店の話をしながら、「今、バブルですよね」「このバブル感・高景気感は異常だと思いませんか?」というようなことを、新橋で飲みながらよく話した。

 景気が良くなり、その高揚感がさらに消費や株への投資を増やしていく……そんな「バブル」な風景が、本屋に並んでいる書籍から見えていた。

 こういった現象、たとえば「景気が良くなると、消費が増えて、さらにもっと景気が良くなる」といった現象は、ポジティブ・フィードバックと呼ばれる。「ある方向に何かが動いたとき、さらにそれを強める方向に力が働く」ことをポジティブ・フィードバックというのである。

 ポジティブ・フィードバックと反対に、「ある方向に動いたとき、それと逆方向に力が働くこと」をネガティブ・フィードバックと呼ぶ。下に描いたように、谷底のボール(あるいは登山者)にはネガティブ・フィードバックが働くわけである。




 ポジティブ・フィードバックからは安定な状態は生まれない。上がり続けるか、下がり続けるかで、結局は「発散」してしまうことになる。

 次に平積みされる本が、もしも「節約ライフ」的な本だとしたら、景気にはまさにポジティブ・フィードバックが働いていることになる。それらの書籍は、不況への後押しをするポジティブ・フィードバックである。「ポジティブ」という名前が付けられた、しかし、それは同時に不況への案内図なのかもしれない。

バブルと不況とフィードバック






2009-03-03[n年前へ]

「バブルは繰り返す」と「学者の態度」 

 バブル崩壊以降の株価最安値更新だそうです。けれど、それは、なぜかずっと前からから見えていた確実に来る「未来」だったようにも思えます。

 少し前、とても曖昧な質問を経済学者の方々に投げかけたことがあります。(「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」)

「分数もできない大学生」のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?
 ここで、大事なのは、”みんな”には私も入っていれば、あなたも入っている。つまり、すべての人が入っているということです。そして、「コモン」といった言葉が踊る文章を見るたびに、少し不思議に浮かびあがる疑問を、上手く言葉にできないままに投げかけてしまった質問です。

 その後、思い返した時には、

 「合理的で明晰な経済人ではないだろう現実の人たち、そんな"分数もできない大学生"のような"みんな"が日日選択を繰り返すことで動いていく社会、そんなみんなが動かす社会が決める需要・供給・価格といったものの調整は、本当にみんなが幸せ・満足するものなのでしょうか?」
くらいには、限定した質問に変えておけば良かったかもしれない、とも思いましたが、とにかく最初は曖昧な質問を投げかけてしまったのです。

 その結果、前述の実に曖昧で不完全な質問に対して投げ返された言葉を読むことになりました。これが、不思議なことに、とても「納得感」がありました。

 たとえば、ある先生のこんな答、

 「すべてを疑ってかかるのが学者の思考方法ですが、最初から間違っていると思っているわけでもありません。あんまり最初から決めつけるということそのものをしないので。この質問には答えられません」
 あるいは、他のある先生のこういった言葉、
 「分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す」
という言葉、どの答も真摯かつ正確な答えに感じられたのです。たとえば、上の答えからは、真摯に「向き合う態度」が見えてきますし、下の言葉からは、今日、今現在の世界がそのまま映し出されているようにも思えます。

 他にも、「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」を本にする段階で投げたこの質問(設問)の他回答から、いくつも感じたことがあります。それはまた、いつか、言葉にしてみたいと思います。

2009-03-07[n年前へ]

静的・動的/連続・離散化、経済循環モデルの実装は難しい… 

 まだまだ、中谷巌 「入門マクロ経済学」のページをめくりつつ、その中にあるマクロ経済循環の図をなぞりつつ、Simulinkモデルを作っています。作っているSimulinkのmdlファイルは、ここ(今日時点での最新版はmacromodel_basic_20090307.mdl)に逐次置いてます。

 ラフスケッチ的なモデルであったとしても、全体像を形作ろうとすると色々な勘違いや、まったく理解できていない点にたくさん気づかされます。「入門マクロ経済学」のイントロダクションに書かれている

 経済学の難しさは、細部についてかなりの理解に到達したとしても、全体像がつかめないと、なかなか論理の一貫した議論ができないという点にあります。
という言葉だけがイヤというほどよくわかるようになります。しかも、よほど素早く物事を納得することができる人でないと、「細部についてかなりの理解」すら難しいのです。なんだか、全体像がつかめないと、「細部」すらわかないのではないだろうか…と頭を抱えたくなくるくらい、全然わかりません。

 教科書のページをめくりながら、Simulkinkでモデル実装しようとすると、まず読んでいる頁に書かれている事項が「静的(静学的)」なのか「動的(動学的)」なのか、ということが今ひとつわかりません。どうも静的・動的の区別がつかないと、モデル実装のしようがありません。

 さらに、動的な場合、連続的なものなのか離散化されたものなのか、という点についてもよくわからず悩みます。さらに、離散化されたものの場合には、その時間ステップについて、異なる時間ステップのものが混在していないか、どう切り分けるか…といった点について悩むわけです。また、何かの値を使うとき、その値をどういった微分・積分の階層で整理・実装するかなども、悩むところです。

 何だか「機械・制御システム」を作る時に感じるだろう課題が、この経済循環モデル実装作業には、てんこ盛りに詰まっているように思います。入っていないのは浮動小数点から固定小数点や整数処理に変える際の精度保証・オーバーフロー対策の苦労くらいではないか、と思うくらいです。逆に言えば、その難しさが魅力的だということも言えるかもしれません。

 Simulinkで今日作ってみたSinmulinkモデルが、下図になります。各市場部分の内部は(mdlファイルを眺めればわかるように)比較的単純な分配サブシステムになっています。そして、オレンジ色で囲んだ部分を見るとわかるように、これは計算時間ステップがほぼ1週間(Time=0.25)という動的離散化モデルで実装されています。そして、「Time=0~11(単位は月)=1年間」の計算終了時に、その1年間の国民総生産(GNP)などが計算される、というイメージで作ってみました。




 前回作ったモデルとサブシステム配置はよく似ていますが、信号線を流れている値は一階層”微分”されたもの、が流れているという具合にした「つもり」です。あくまで、「つもり」なので、間違っているところも多々ありそうです。

 それにしても、本当に「一部を説明した文章・式」を納得することはできても、そういった一部が組み合わさった全体の実装は、とても難しいということをつづく感じさせられます。

 なぜか、以前書いた「長い文章を書くと言うこと」を思い出したのです。

 一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものなのが普通です。だって、そのクローズアップされた狭い景色の中では特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通ですから。だから、短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。

経済循環モデル経済循環モデル






2009-03-14[n年前へ]

人の心理は悲観の誤謬を起こす 

 城山三郎の「打たれ強く生きる 」よりケインズの言葉。

 人間の心理として、不況のときなど、現実の打撃以上に悲観してしまう。悲観の誤謬(エラー・オブ・ペシミズム)が起こる。

J.M.ケインズ



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