2009-05-21[n年前へ]
■高学歴ワーキングプア
GRAPHICATION(グラフィケーション) 2009. No.162「特集:働き方を変えよう」
過去の時代に比べれば、自分の意志で道を選べる選択肢の多い社会が実現したかのように見えますが、しかしその実態は一方通行の専業型で、やり直しの効かないシステムがまだまだ支配的です。
人の働き方は、どんな仕事につくかというだけでなく、人の生き方、さらにはどんな社会を望むかという社会参加を含む選択の問題にもつながっています。資本主義社会の根幹をなす“賃労働”という、時間で労働力を売る働き方を変えられるかどうかなども大きな課題といえるでしょう。
真に多様な働き方が認められ、誰もが安心して暮らせる平穏な社会とはどのようなシステムが望ましいのか、今回の特集を通じて考察しました。
その中の連載記事、池内了「現代科学の見方・読み方 56」の「高学歴ワーキングプア」より。
市場原理を徹底させ、自由競争こそが活力のある社会を生むとの「新自由主義」経済は、未曽有の経済危機を招き、ますます格差が拡大して社会を披露させてしまった。
その中で高等教育を受け、博士号を取りながら、使い捨てられ、その日暮らしをしなければならない高学歴ワーキングプアが数多く存在することも忘れてはならない。
2009-10-05[n年前へ]
■無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか?
無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか?「GRAPHICATION」という「雑誌」を読み続けていたい自分自身のために、そして、「GRAPHICATION」をまだ無料定期購読するに至っていない人のために、今日いくばくかの文章を書いてみたいと思います。
人の活字離れが指摘されて久しく、一定の評価を得てきた老舗の雑誌なども商業的に行き詰まる例が目立っています。またインターネットに代表される電子メディアの台頭で、雑誌を取り巻く環境は大きく変わりつつあります。
GRAPHICATION 2009年9月号(164号) 「雑誌を考える」(詳細)
まず、結論を一言で書きましょう。結論は単純です。つまり、「無料で最高の雑誌を定期購読できるのだから、悩むことなく、GRAPHICATIONの定期購読申し込みを今すぐするべきだ」ということです。あなたが使うのは、ほんの数十秒の時間だけで、得られるものは「プライスレス」の豊かさ・厚み、です。そして、きっとその豊かさ・厚みはあなた一人の中に収まり続けるものでなく、さらに広がるものだと思います。
これまで、繰り返し「GRAPHICATION」の素晴らしさについて触れてきたように思います。
(GRAPHICATIONを)ひとことで言うなら、富士ゼロックスの企業広報誌ということになります。ただ、多分その一言で伝わるイメージは間違っていると思います。もし、この雑誌を手に取ったことがなければぜひ一読してみるべきだと思います。・・・もしかしたら、いえ、もしかしなくても、きっと気に入ると思います。
「雑誌を取り巻く環境は大きく変わりつつある」と雑誌であるGraphicationが呟く。この呟きは、真剣に受け止めたいと思います。
私は、「GRAPHICATION」は、数ある雑誌の中でも、商業誌・企業広報誌を問わずとても素晴らしい一冊だと思っています。「特集テーマ」もとに、実に優れた特集執筆陣・連載陣がそのテーマに合わせた内容をさまざまな視点から奥深く書き上げる雑誌です。
「雑誌を終える潮時」・・・という言葉を聞くことがあります。今という時代は、雑誌を作る側からそういった言葉が出ても実に自然に納得できてしまう時代になりました。いえ、なってしまいました。実際、ここ2,3年の間に、数多くの雑誌が休刊してしまいました。
しかし、その一方で、無責任な雑誌愛読者としては、たとえば、「GRAPHICATION」のような雑誌には「潮時」というものはないのではないか、とも信じています。この瞬間・刹那に消費され尽くされるようなものでない、価値あるものに対して「潮時」という言葉は当てはまらないのではないか、と思うのです。
もしも、こうした雑誌に「潮時」という言葉が仮に当てはめてしまうとしたら、それはこの時代=現代、あるいは、将来=未来に対し、絶望・諦めというものを当てはめてしまっているのではないか、と感じてしまうからです。
「モーレツからビューティフルへ」と、日本を動かしたコマーシャル、それを言いかえれば、企業広報映像がかつてありました。私は、その時代を知っているわけではありませんが、あのようなCMは決して時勢に迎合するのではなく、時代の先を予言していたものだと思います。私にとっての、GRAPHICATIONはそういう過去から現代そして未来までを見通そうとしているクロニクルです。
1960年代から1970年代へと時代が変化していく中で、企業を社会の中でどんな意味があるものとして位置付けるかがテーマだった。1960年代にひたすら成長路線を走る陰で切り捨てられてしまった人間らしさを表現するために、「モーレツ」に代わって「ビューティフル」をうたった。
すべての行動は、意識的であれ無意識であれ、現状をどう捉えているかがベースとなっている。ビューティフルキャンペーンも、「1970年代は時代の大きな曲がり角になる」という時代認識が出発点となっていた。「新しい時代を切り開く上で、われわれはこういう観点から社会に寄与したい」と表明したのだ。時代の転換に対する洞察がなければ、このキャンペーンはスタートしなかったであろう。
「ビューティフルキャンペーン」
この消費社会の中で、「豊かさとは何か」「人の繋がりとは何か」「人とは一体何なのか」と繰り返し問い続けるGRAPHICATIONは、そんな貴重なものだと思います。
無料の「ネット記事」を読むなら、GRAPHICATIONの「GRAPHICATION」も読みませんか? 無料で最高の雑誌を定期購読できるのなら、悩むことなく、GRAPHICATIONの定期購読申し込みを今すぐしてみませんか?
2009-10-07[n年前へ]
■「細切れの知識」や「あるあるネタ」と「腹持ちのする豊かな知恵」の違い
無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか? の続きです。
「GRAPHICATION」の良さは、時代を映す内容を(時には時代に先駆けて)、限りなく豊かな知恵を伝えながら、それでいて実に新鮮に面白く読むことができるところにあります。今月の執筆者を見ても、その充実度がわかると思います。しかも、驚くべきことに、エッセイ連載陣すら、特集テーマのもとに文章を書き下ろしているのです。
わたしがGRAPHICATIONが好きなのは、そこに詰まっているものが「細切れの知識」ではないからです。細切れの断片だけをクローズアップした知識であれば、週刊誌やテレビの「あるあるネタ」、あるいは、短いネット記事でも見れば十分です。
けれど、分厚く、食べる(消化する)のに時間がかかり、逆に言えばとても腹持ちのする「知恵」は、週刊誌やテレビ・ネット記事では提供できません。「細切れの知識」や「あるあるネタ」は次の日の会話や、その瞬間の疑似知識欲を満たすにはとても役立つように見えます。…けれど、長い時間を考えてみると、少しつまらないな、と感じられてしまいます。雑誌が、「知る喜び」という言葉の対象を、(一時の人気が出がちな)「細切れの知識」や「あるあるネタ」にフォーカスしてしまうなら、それなら、そんなことは「テレビ・ネット記事」で流し見すれば良いのではないか、と私は思います。「知識欲」と「知恵欲」は違うと思います。本当に長く役立つものは、断片的な「あるある・知っ得」的知識ではなく、知恵が指し示す先にあるものだと思います。記憶すれば・覚えれば良いであれば、(記憶量が決して多いとは言えない)人間にとって、そこに果たして一体何の価値があるのでしょうか。
GRAPHICATION(グラフィケーション)の良さは、「細切れの知識」を並べただけのものでない、すぐに役に立つかどうかはわからないけれども「確かに豊かな知恵」が詰まっているところにあります。腹持ちのする、胃袋に確かに居続ける、そんな時を経ても確かに残り続ける堅い知恵を、決して重くない言葉として綴っているところにあります。
さて、GRAPHICATIONの定期購読申し込みはされたでしょうか? 今では稀有といっても過言でない、密度の高い雑誌が無料で送付されてくるのですから、申し込まなければ「決して長くない人生もったいない」と思います。決してあなたに損はないと思います。無料の「ネット記事」を読むのであれば、無料の「GRAPHICATION」も読んでみませんか?損はさせない、と思います。
2009-10-08[n年前へ]
■「雑誌」について考える
無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか? を、さらに続けます。GRAPHICATION(グラフィケーション)の最新号である 2009 No.164 通巻353号 特集「雑誌を考える」から、気になった言葉を書き写してみることにします。これらの言葉は、すべて「雑誌」に向けられた言葉です。
雑誌の愉しみ方にはいろいろあるが、総じて雑誌が、知る喜び、読む楽しみにつながる知的訓練手段であることにも目を向けるべきではないだろうか。
巻頭言
雑誌というのは本来、それを始めた人の志が常に続いていくのが基本です。
池内 紀
歴史学者のE.H.カーは「歴史とは何か」と問われて、「それは現代の光を過去にあて、過去の光で現代をみることだ」と答えている。
佐野愼一
パラパラと紙を操るたびに似ても似つかぬ雑多なパラレルワオルドが目まぐるしく展開していくこの構造は、ネットサーフィン(もう死語かな)とは似て非なるものだ。関連記事のみに相互リンクが張られ、検索すべきキーワーすら思いつけない未知の世界には永遠にたどり着けそうにないウェブの構造に、そんな雑誌の構造的快楽を「移植」するのは、それほど簡単なことではないのだ。
山崎浩一
若い人は(書くのに慣れていない年寄りも)専門のことしか頭にないから、どうしても単調で硬い文章になってしまう。ありていに言えば、読んでいて楽しくないのである。
わかりやすく、深みのある文章にするためには時間をかけねばならないが、まだ片手間仕事の意識が強いから書き飛ばしになっていることもある。
また、専門の話だけでなく、もっと話題の幅を広げてくれればいいのだが、なかなかそうにはなっていない。科学は想像だけで書けるものではなく、事実の蒐集が不可欠なのだが、その余裕を持って執筆しないのだ。
池内 了
雑誌について本誌は1975年10月号で「雑誌考」という特集を組んでいる。「雑誌とは何か(PR誌というあり方を含めて)を読者と共に考えたい」と編集後記にあるので、今回とほぼ同じ主題を扱っている。30数年を経て、何が変わり、何が変わらないかを確認したいという思いと、雑誌を取り巻く環境の問題もあり、今回の特集号を組むことにした。
編集者 (T)
さて、GRAPHICATIONの定期購読申し込みはされたでしょうか? 読みたくなっては…きませんか?
2009-10-11[n年前へ]
■「雑誌」の寿命
編集者の姿が見える雑誌というものがある。そういう雑誌に寿命があるのは自然なことなのだろう、と思う。たとえば、少し変な例かもしれないが、「噂の真相」なんていう雑誌も、そんな雑誌のひとつだったのかもしれない。
堀井憲一郎「落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書) 」の一説を読んでいて、雑誌の寿命というものを連想した。
何が残ろうと、死んだらおしまい。そう送ってあげるのがいいんだよと、落語は教えてくれています。それは残ってる者がしっかり生きろというメッセージでもあるわけで、動物としてはそういう生き方が正しいと思う。
さて、これも、グラフィケーション(GRAPHICATION)に関して考えていた時に(無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか?)、ふと連想したことの「ひとつ」です。雑誌の作り手が消えても、その雑誌の読者が消えても、どちらにしても「その雑誌」はどこかに消えていきます。さらに、こういった話は雑誌だけに限らない話なのだろう、とも思います。