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2000-02-27[n年前へ]

「文学論」と光学系 

漱石の面白さ

 前回、

さて、モナリザと言うと、夏目漱石と「モナリサ」にも言及しなければならないだろう。
と書いた。何しろという具合に、「できるかな?」では漱石が結構レギュラー出演している(させている?)のである。当然、「モナリザ」ときたら漱石を出演させないわけがない。

 その漱石は「永日小品(リンク先は青空文庫)」(リンク先は青空文庫)の「モナリサ」中で

「モナリサの唇には女性(にょしょう)の謎(なぞ)がある。原始以降この謎を描き得たものはダ・ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」
と書いている。女性には興味がなかったとも言われ、ずっと付き添っていた男性との関係も噂されるダ・ヴィンチである。ここらへんは、果たしてどうか?とも思う。むしろ、新宿のホストクラブのホストの方が女性(にょしょう)の謎(なぞ)については詳しいのではないかとも私は考えたりもする。
 が、そんなことはどうでも良い。漱石はレオナルド・ダ・ビンチのモナリザに興味を持ち、小品を書き上げたのである。そこで、漱石とダ・ヴィンチの相似点を考えてみたい。

 レオナルド・ダ・ビンチの著作には「文学論」というものがある。漱石にも同じ名前の「文学論」がある。この「文学論」はこれまで読んだことがなかったのだが、

  • 「漱石の美術愛」推理ノート 新関公子 平凡社 ISBN4-582-82927-9
を読んで急に読みたくなった。それは、この本の中で
  • 遠近法
  • 漱石の文学論の「公式」
の関係について触れられていたからである。レオナルド・ダ・ビンチも遠近法についてはうるさかったが、漱石も何故か遠近法にうるさいとなれば、非常に面白い話である。そこで、図書館で漱石の「文学論」を借りてきて眺めてみた。

 これが、とても面白い。仮名遣いが古いため、なかなか目に入ってこないのであるが、とても面白い。これは絶対に文庫本にすべきである。眺めているだけでも面白い。

 まずは、冒頭のフレーズがいきなりこうである。

 およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。
 まるで、理系の教科書である。そして、目次(編)を大雑把にさらってみる。
  1. 文学的内容の分類
  2. 文学的内容の数量的変化
  3. 文学的内容の特質
  4. 文学的内容の相互関係
  5. 集合的F
 すごい。当時の文学論とは思えないような内容である。この「文学論」の中では先の公式(F+f)を軸として話が進んでいく。例えば、章のタイトルでいうと- 文学的Fと科学的Fとの比較一般 - といった感じである。
 また、「文学論」中では、例えば、浪漫派と写実派の違いについて数値的な比較を通じて述べられていたりする。実に「科学的」な思考による「文学論」である。いや本当に漱石は凄い。

 さて、中の文章を解説する力は私にはない。そこで、中の図表を示してみることにする。そこで適当に思うことなどを書いてみようと思う。

 次に示すのは、「文学論」の冒頭の方で「意識の焦点・波形」を説明した図である。
 

意識の焦点・波形

漱石全集第十一巻より

 この図は人間が何かを感じるときには焦点にピークがある、そして、その周りはぼやけたものが連続的に続いているということを示したものだ。これなど、

の時の「恋のインパルス応答」を彷彿とさせる。あの時の「恋のインパルス応答」を次に示してみる。
 
左:出会い(F)、右:それにより意識される恋心(f)

 この意識される恋心(f)は先の「意識の波形」と全く同じである。ある出来事(F)と、それに付着する情緒(f)を示したものとなるわけだ。付着する情緒(f)というのは中心が一番大きく、その周りにぼやけたものが繋がっているというわけである。人間の感じ方・情緒を光学系と結びつけているわけだ。
 いやはや、「恋のインパルス応答」と同じようなことを考える人はやはりいるものである。まさかそれが漱石だとは思いもしなかった。しかも時代を考えると凄まじい、としか言いようがない。

 そして、さらに次に示すのは

 およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。
ということを示す図である。先の - 「漱石の美術愛」推理ノート - ではこの図と遠近法の関連が述べられている。
 
「文学の焦点」

漱石全集第十一巻より

 ここで、縦軸は「時間」となっており、横軸は「色々な出来事」である。ある人が感じた「色々な出来事」を時間方向に収斂させていくと、そこには「作者自身の視点がある」というわけだ。これが漱石の言う「文学論」の中心である。

 この図などカメラや望遠鏡の光学系を彷彿とさせる。「光学系の一例」を以下に示す。
 

「光学系の一例」

 先の「文学の焦点」を示した図はレンズで光を焦点に集めるのと全く同じだ。いや、「焦点から光を投光する」のと同じと言った方が良いだろうか。以前、

で、
 景色に焦点を合わせて、フィルムに結像させるのがカメラだ。しかし、フィルムに写っているのは単なる景色ではない。カメラの光が集まる焦点にフィルムが位置していると思い込むとわからなくなる。逆から考えてみれば簡単に判るはずだ。カメラの視点にフィルムが位置しているのだ。フィルムに景色が写っているのではなく、フィルムが景色を選び、景色を切り取っているのである。

 写真に写っているのは、撮影者の視点なのである。写真を見れば、撮影者が、どこに立ち、何を見てるかが浮かび上がってくるはずである。フィルムに写っているのは撮影者自身なのだ。

と書いたのと全く同じである。その光学系には歪みもあるかもしれないし、色フィルターもかかっているかもしれない。しかし、とにかく焦点にはその人自身がいるのである。

 写真でも文章でもとにかく何であっても、色々感じたことを表現していく時、その焦点には表現者自身がいる。私の大好きなこの2000/2/25の日記なんか、実にそれを感じるのである。
 

2000-05-10[n年前へ]

「モナ・リザ」の背景と自己相似性 

フラクタル地形を作ろう

 以前、

で、
「モナリザ」の微笑はどうにも奥深く見えるから不思議である。その微笑の先に何があるのかを深く考えさせる。そして、その答えはなかなか見つけられない。「モナリザの微笑」を眺め考えると、その先には結局「モナリザ」しか見えてこない。答えが見えないのである
と書いた。そして、画像を読み込み、その画像をその画像自身の縮小画像(48x48個)で表現するjoconde.exeを作成し、自己相似形の「モナ・リザ」を描いてみた。それが、この下のjunhirabayashi 作 48x48の「モナリザ」である。
 
jun hirabayashi 作 48x48の「モナリザ」 部分 2000年

 ところで、本家のダ・ビンチの「モナ・リザ」と言えば、本当に奇妙な背景である。荒涼として、とても普通の景色とは思えない。地学の教科書に出てきそうな地形だ。グランド・キャニオンのような侵食地形のようである。
 

本家のダ・ビンチの「モナ・リザ」

 ダ・ビンチは治水に関して深く興味を持ち、大好きだったと聞く(いや、もちろん本当に聞いたわけじゃないけれど)。ダ・ビンチは治水に関してはプロフェッショナルだった。それを考えれば、この「モナ・リザ」の荒涼たる背景なども、ダ・ビンチの趣味そのままのようで面白く感じられる。しかし、見れば見るほどこの背景は不思議である。Bryce等の「自然っぽい地形」を描いてくれるソフトで作成した景色のようである。

 その手のソフトは想像上の地形を作成するのに大抵フラクタルを用いる。つまり、フラクタル地形である。フラクタル地形というのは、例えば山脈の一部分を拡大してみてもそこにはやはりその山脈自身と同じような高低があるということである。どんなに拡大してみてもそこにはやはり小さな山脈があるのだ。というよりは、どんなに拡大してみても、小さな山あり谷ありと言った方が良いだろうか。そういう自己相似性を利用してやれば「自然っぽい地形」を描けるわけだ。

 「モナ・リザ」の微笑の中はどこまで拡大しても「モナ・リザ」の微笑がある、つまり「モナ・リザ」の前景は感覚としてのフラクタル性を持っているように感じられる。そして、背景もまたフラクタル性を顕著に持つフラクタル地形っぽいのである。ダ・ビンチが自己相似性、フラクタルについて考えていたと想像してみると、とても面白いと思う。

 さて、フラクタル地形の説明を少しだけ書いたが、やはりここは自分でもそのフラクタル地形を作成してみなければマズイだろう。何しろ、私はフラクタル地形のことは良く知らない。とりあえず、自分で作成してみないことにはよくわからない。まずは実践あるのみだ(もちろん、トンデモナイ内容を実践するのは問題外だ)。

 そこで、まずは手っ取り早くMathematicaでフラクタル地形を作成してみた。次のアニメーションGIF画像はMathematicaでフラクタル地形を作成していく様子である。荒いスケールの凹凸を作成して、その後段段と細かいスケールの凹凸を作成していくようにしてみた。プログラム時間は10分である。ここらへんの手軽さがMathematicaのスゴイ所だ。
 

フラクタル地形を作成していく様子

 この計算は適当に作ってみただけなので色々と問題がある。例えば原点(0,0)から放射状に凹凸がある。これは計算上の問題である。しかし、今回は面倒なので深追いはしない(カッコつけて言う内容じゃないが…)。これを手直ししようとするととたんに面倒になってしまうのである。

 とりあえず、完成したフラクタル地形は次のようになる。hirax山脈とでも名づけておこう。
 

完成したフラクタル地形

 なかなか「自然な山脈」っぽくないだろうか?青い光に照らされた幻想的な山脈である。といっても、色がなんとも自然でなくて、「自然な山脈」には見えないという人も多いだろう。というわけで、色調を変えて、それっぽくしてみた。そこで、次が先の完成画像の色調を変えて、「自然っぽく」したフラクタル地形である。
 

先の完成画像の色調を変えて、「自然っぽく」したフラクタル地形

 これが、Mathematicaで作成した「山岳地形」だ。結構、それっぽく見えると思う。今回は、Mathematicaの内部でレンダリングしたそのままであるが、次回(といっても、いつになるかわからないのはいつものこと)には、Mathematicaで作成した「山岳地形」を元にきちんとレンダリングしてみたいと思う。さぞや、幻想的な景色が作成できるに違いない。

 さて、私はフラクタル図形を眺めているとなぜだか知らないが、水戸黄門の主題歌が頭の中で響いてくるのである。あの、「人生楽ありゃ苦もあるさ…」というヤツである。もう、流れ出したら止まらないのだ。それはもう水戸黄門の主題歌のフラクタルである。
 そして、ひどい時には「どんぐりころころ」と水戸黄門の主題歌の輪唱が頭の中で始まってしまったりするのだ。それを「カノン」と言えば聞こえは良いが、いやもうホントにたまらない状態である。
 

どんぐりころころ、どんぐりこ
人生楽ありゃ、苦もあるさ
お池にはまって、さぁ大変
くじけりゃ、誰かが先に行く…

 

あぁ、止めてくれぇ…
  

2005-02-15[n年前へ]

【おれカネゴン】文体誕生とロック音楽史と福音書 

おれカネゴン文体 - hirax.net おれカネゴン文体 Wiki が初出部分が書き足されていたりしてWikiのありがたさを実感していたりするわけです。それに加えて、なんと【おれカネゴン】文体誕生とロック音楽史と福音書なんていう項も書き足されています。

 【おれカネゴン】文体の誕生がロック音楽史と実は関係していて、さらにそれが実は聖書のマタイ伝・マルコ伝・ヨハネ伝の福音書にまで遡る謎に繋がっている…、というダ・ビンチコードもビックリの展開です。ご先祖さまは子孫に一体何を伝えようとしているのか…。一体、【おれカネゴン】文体の秘密はどんな未来をもたらすのか…。



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