2005-12-28[n年前へ]
■「自分の居場所とは、どこなのか」
電車に乗る前にはいつも本を買う。電車の中で景色を眺めつつ本を読んで、気に入った一節があればそのページを破りとってポケットに入れて、電車から降りると同時にその本をゴミ箱に捨てる。そして、ポケットに入れたページは後で何度も読み直す。
目が回るほど、けれど首は全然回らないくらいに忙しかったここ数週間の間に、破りとったページが何枚も溜まっていた。その何枚かのページを少し書き写してみることにしよう。まずは、「インターネットではリンクされない方が悲しい、と書くような人たち」をふと思い浮かべた中村うさぎの「オヤジどもよ!」から。
隣にオヤジの二人連れが座り、片方のオヤジがもう一方に説教こいてるのが聞こえてきた。「これからの時代はさー、英語とコンピュータだよ。…できないと、置いてかれちゃうよ〜」「置いてかれる?誰に?そして、どこに?」とこのオヤジたちにツッコミを入れる中村うさぎはさらに書く。
人々は「嫌われる」コトよりも「無視される」コトのほうを恐れるようになった。…(ネガティブな形で存在を認められる「嫌われること」よりも)恐ろしいのは、他人から「そこにいない者」として扱われるコト。時代に取り残され、人々に取り残され、どこにも居場所がなく、誰の目にも映らない。それこそが現代人のもっとも恐れる「自分像」なのである。こういう人たちはきっと「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだりするのだろう、と笑いながら「アホや。アホやがな。時代や社会に取り残されたからって、それが何やねん」と中村うさぎはさらにツッコミを入れる。そして、こう書く。
人を支えるのは、人間関係だ。人間関係の不得手な者は、たとえ英語ができてもコンピュータができても、自分の居場所のない殺伐とした人生を送るハメになる。ところが、我々は「時代や社会におけるポジション」を「自分の居場所」と勘違いして、技能や知識や情報ばかりを追い求めて奔走し……そろそろ、「社会でのポジション」と「自分の居場所」は違うのだ、というコトを、きちんと子どもたちに教えられる大人が現れてもいいはずだ。
2006-03-22[n年前へ]
■「自分の定義」
from n年前へ.
「何かである自分」がポジティブな提示による自分なら、「何かでない自分」はネガティブな提示による自分なのだろうか。そして、それが「何かになれる自分」や「何かになれない自分」などという提示なら、内容的にもポジティブさやネガティブさがさらに増すに違いない。
【何かになれないおれカネゴン】
そんな自分に少し迷ってしまうなら、いっそ「自分」を「他人でないもの」とネガティブな提示で表してしまうのも良いのだろう。そして、トートロジーの迷路の中で、果たして自分や他人が「語り得るもの」かどうか、右往左往しつつ迷ってみるのも一興かもしれない。
と、考えているうちに、カントもヴィトゲンシュタインもそんな自分を「バカ」と一言で言い表してしまうに違いない、と何故かポジティブに思い至る。
【たった二文字でおれカネゴン】
2008-12-05[n年前へ]
■受動歩行メカのネガティブ・フィードバック構造
動力を持つわけでもなく、何かのプログラムで動くわけでもなく、ただ坂道に置くだけで、トコトコと歩いていく受動歩行ロボットを見た。機械仕掛けというほど複雑でもなく、けれど驚くほど自然に歩くその物体に、不思議なくらい興味をかき立てられた。
さらに、受動歩行ロボットの歩行動作自体に、ネガティブ・フィードバック構造、つまりは歩行動作が不安定になりかけると、それを安定に直すような仕組みが内包されているという話を聞いた。その話はとても面白くて、メモを必死に取りながら色々なことを考えてしまった。
たとえば、義足を作るときにも、こういったメカニカルに安定歩行を実現するシステム(バランス)が考えて設計がされているのだろうか。私たちの体自体の「バランス」は一体どのようになっているのだろうか。
2009-05-26[n年前へ]
■「静電気体質」を「衣服生地と人体皮膚の摩擦帯電系列」から眺めてみよう
もうすぐ梅雨が始まります。私のような静電気体質の人は、湿気を感じる季節になると、ちょっと気楽になったりします。それは、湿度が高いと摩擦帯電しにくくなるからです。などと書くと、「静電気体質」って何だろう?という疑問が湧いてきます。
床や靴裏が摩擦され合うと、摩擦帯電が生じて、片方が+(プラス)にもう片方が-(マイナス)に帯電したりします(たとえば右上の写真は、そういったことを防止するための静電気帯電防止機能付きカジュアルシューズ です)。あるいは、来ている服と座っている椅子などの間でも摩擦帯電が起きたりします。「静電気体質」というのは、そういう靴や服選びによるものなのでしょうか?
「新しい衣服衛生 」の頁をめくると、「衣服生地と人体皮膚の摩擦帯電系列」のデータがありました。そこに書かれていた内容を大雑把に図・グラフにしたものが、下図になります。
意外なことに、人体皮膚は(人によっても違うようですが)およそ羊毛からテトロンの間に広く分布していることがわかります。それぞれの人の、その時の状態によるのかもしれませんが、ひとことで同じ「皮膚」といっても、帯電性には人それぞれ差があるようです。摩擦帯電系列上での、来ている服と皮膚との関係にもよりますが、服と皮膚間の摩擦帯電では、摩擦帯電しやすい人、しにくい人という「体質」がある、のかもしれません。
さて、とりあえずは、皮膚と衣服の摩擦帯電をさせたくない、と思う「静電気体質」の人は、自分の皮膚と衣服生地の摩擦帯電序列を合わせてみるのはどうでしょうか。つまり、ビニロン・やレーヨンや羊毛あたりと皮膚を擦り合わせてみて、静電気が発生しない組み合わせを探し、それを(摩擦帯電的に)自分にあった生地・繊維と覚えておくのです。そして、服を買いに行った際には、その生地や繊維で作られた下着や服を買うようにすることで、「静電気体質の人に優しいファッション」ができる、というわけです。
もちろん、服と服、あるいは服と他の生地、あるは靴裏と床・・・といった他の摩擦帯電の方が、あの痛い「静電気のバチッ」を作り出している、のでしょう。けれど、自分の皮膚と他の人の皮膚を触れ合わせてみた時に、片方がプラスに、もう片方がマイナスに摩擦帯電する、なんて考えてみると、何だかとても面白いような気がします。
2009-11-21[n年前へ]
■消費者物価指数とポジティブ・フィードバック
景気の変化をわかりやすく眺めてみたくなったので、 日本の消費者物価指数(CPI)のグラフを張り付けてみた。このグラフは、右下部にある小さなボタンを押すことで、表示する内容を切り換えることができるものである。
このグラフには、1ページ目に「主な消費者物価指数(前年同期比)の推移」が、2ページ目に「主な消費者物価指数の推移」が、3ページ目に「消費者物価指数と前年比の推移」が収録されています。
2ページ目や、3ページ目を眺めると、ここ2,3年は、実に単調に消費者物価指数が低下し続けていることがわかる。この消費者物価指数低下が続くことの要因は、一体どんなものがあるのだろうか。新聞記事をしっかり読んでいれば、その要因分析結果などが解析・解説されているのだろうか。
・・・それにしても、と思う。経済社会はどう考えても、制御工学的にはポジティブ・フィードバックの不安定極まりない世界に思えてならない。少しの外乱が、大きな変動を生み、その変動がさらに激しい波を生むようにみえる。もしかしたら、そこには結構長いムダ時間があったりして、意外にセンシティブではないのかもしれないが、やはりポジティブ・フィードバックの不安定な状態に見える。かといって、安定を実現するネガティブ・フィードバックでは、永遠に一定で変わらない世界になってしまう。おそらく、それでは何の発展もなく進化さえしない世界になってしまうかもしれない。
ポジティブ・フィードバックからは安定な状態は生まれない。上がり続けるか、下がり続けるかで、結局は「発散」してしまうことになる。
次に平積みされる本が、もしも「節約ライフ」的な本だとしたら、景気にはまさにポジティブ・フィードバックが働いていることになる。それらの書籍は、不況への後押しをするポジティブ・フィードバックである。「ポジティブ」という名前が付けられた、しかし、それは同時に不況への案内図なのかもしれない。
以前は途中で挫折したが、もう一度、経済学の教科書に書いてあることをMatlab/Simulinkで実装しつつ、学んでみよう。