2009-11-14[n年前へ]
■広告は人間そのものの映し絵だ
「広告批評 最終号(2009/04)」から。
広告の世界は、いま大きく変わろうとしています。が、広告がなくなることは決してありません。広告は、時代の映し絵というだけじゃない、いい面も悪い面も含めて、人間そのものの映し絵であるからです。
島森路子・天野祐吉
ずっと人間のことを、想ってきた。
RECRUIT
30年間 ありがとうございました。
広告批評
THERE IS NO FINISH LINE.
JUST Do IT. NIKE
2009-12-16[n年前へ]
■人間は論理・合理だけではうまくやっていけない
「阿川佐和子の会えばなるほど―この人に会いたい〈6〉 (文春文庫) 」中の、数学者というか、エッセイストの藤原正彦の言葉から。
藤原:人間は論理・合理だけではうまくやっていけないんだと。マルクスのような大天才が作った共産主義も論理的には非常に美しい。しかし、七十四年間、ソ連が実験して大失敗に帰した。それは人間と言う種には不適切だったからなんです。「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」の小島先生の2回分と合わせて読むと、とても面白く感じる。また、小川洋子の「博士の愛した数式 (新潮文庫) 」もさらに読んでみるのも面白いかもしれない。
2011-03-05[n年前へ]
■3Dバーチャルマネキンが立つ風景
展示ブースに3Dのコンピュータグラフィクスで映し出されたバーチャルマネキンがいて、まるでマジックのような素早さで「ブラジャーの生着替え」するさまに思わず見とれてしまいました。このマネキンの横にはスーツ姿のマネキンやトゥームレイダース姿のマネキン(右後ろには、何と坂本龍馬までいます…)がいて、どの3D CGマネキンにもなぜか目を惹かれてしまいます。
犬が犬に惹かれるように、街中を散歩する犬たちが互いを遠くからも見つけ出すように、やはり人も人に惹かれるものなのでしょうか。人の形をして人と同じように動くものが視界に入った瞬間は、誰しもその方向を意識してしまうのではないでしょうか。
道路を歩いているとき、工事をしていて片側一車線になっているような箇所には信号があったりしますし、時には、人が立って旗を振っていたりもします。
何年かの未来には、道路の工事現場には、3Dのコンピュータグラフィクスで描かれたバーチャルマネキンが立っていたりするのでしょうか。
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ…」と書いたのは、宮澤賢治です。未来の街に立つバーチャルマネキンを想像すると、なぜかそんな一節を思い出してしまいます。
雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ 雪ニモ、夏ノ暑サニモ負ケヌ 丈夫ナ体ヲ持チ 欲ハナク、決シテ怒ラズ イツモ静カニ笑ッテイル
この言葉の最後に、宮澤賢治は「ソウイウモノニ、私ハナリタイ」と書きました。バーチャルマネキンはそういう存在になることができそうに思えますが、人は果たして「そういうもの」になることができるものなのでしょうか。
そういうものになれない存在こそが人間で、そういうものに憧れるものこそが人間であるにも思われます。
2011-03-12[n年前へ]
■人がただ祈る姿
「自然の力」と「人間の力」 (初出:2005年09月02日)から。
洪水や地震や津波や噴火・・・といったさまざまを起こす自然の力が強いように、弱い人間もやはりそれでも強い、と私は思います。だから、少し時間が経てばニューオーリンズの街も活気を取り戻していくのだろうと信じます。
そう願いながら、酷い状況の景色だけでなく、とても綺麗だったニューオーリンズの写真を眺めたくなりました。だから、今日はこんな写真を飾ってみました。
一番最後に置いた、右の写真はニューオーリンズの中心、そのフレンチ・クオーターのさらに中心にあるセント・ルイス大聖堂の中で見た景色です。人がただ祈る、そんな姿です。
ハリケーン「カトリーナ」がニューオーリンズを襲った直後の"Google Maps"が矢継ぎ早に見せる姿には、開発陣の悲しみとも怒りとも何とも表現しがたたい、けれど、何かに立ち向かおうとする意志を感じたような気がします。
そんな人の意志もまた、活気を取り戻していくための力になる、と今でも信じています。
2011-04-06[n年前へ]
■「自然の力」と「忘れる力」
- 水平線のムコウ(2001-06-09)
- 「忘れる」という原動力(2005-01-04)
- 「自然の力」と「人間の力」 (2005-09-02)
- 「時に、無神経でいられること」(「十五歳の残像」から) (2009-04-14)
- "15-0”と「15才の君へ」 (2010-03-21)
- 人がただ祈る姿 (2011-03-12)
「ひとつ予想するとしたら、水平線の向こうには「悪いこと」はあるはずがない、と思います。それは、希望かもしれないし、夢かもしれないし、それとも愛かもしれません。何にしても、人が追いかけてきたものが、水平線の向こうにはあるように思います。」