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2011-11-23[n年前へ]

「現実は正解・事実」で「現実に向かえない奴を馬鹿」という。 

 立川談志の「ことば」から。

現実は正解なんだ。…現実は事実だ。現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因がある。現状を認識して把握したら、処理すりゃいい。その行動を起こせない奴を、俺の基準で馬鹿という。

立川談志
酒が人間を駄目にするんじゃない。「人間はもともと駄目だ」ということを教えてくれるものだ。

立川談志

2012-05-16[n年前へ]

最近のつぶやきから:「好きなこと」や「流行るもの」や「正しいもの」など 

 「Google 辞めました」を読んで、ふと思い出した格言(?)は「好きなこと(趣味)は”仕事”にしないほうがいい」

4:07 PM - 12 May 12
 「好きなことは仕事にしないほうがいい」…けれど、好きなこと・実現したいことに向けて起業し・時に人を雇い、そして、また(自分とは違う人の)「好きなことは仕事にしないほうがいい」の振り出しに戻るんだろうか。

8:21 PM - 12 May 12
 日経BPデザインの「見えないデザイン」記事ではないが、「それっぽい(あたかも)論理であるかのように見える(人に感じさせる)理由」と「人の感情に(何かしら)訴える物語のようなロマン」が足されたものは流行(はや)る。

8:09 AM - 11 May 12
 「見えないもの」を「目に見えるようにする/具現化する」こと無しに書く記事は、「物語」「オカルト」だよね。

9:23 AM - 19 May 12
 もしも「流行る」ものを「修正する」というシステムを作ろうとするなら、自分なら、どんな風に考えるだろう? 流行る・修正するをイコールPosi/Nega フィードバックと考えると、それらは(感覚的には)とても両立しそうにない。修正する=Negative FBでなく「正しいものを面白く・流行らせる」Positiveフィード・フォワード・システムを作ることを目的にするべきだろうか?

 いや、それでは、狭くて上手くない…。そんなPositiveフィード・フォワード・システムがフィードするものよりも、広い世界には、もっとずっと自然に・強く流行るだろうもの・人の心を惹きつけるものがある…。

10 May
 「間違った情報が修正されるシステム」を作るなら「こういうものは正しい」とか「こういう人たちの言葉は参考になる」というモデル/知識を、観測器が適時修正するというシステムで、(この短文ですら何度も登場する)”正しさ”は、結局のところ、人それぞれ/各自が独立に持つというものにしようか。

9:28 AM - 19 May 12
 多数の人が共有する、「こういうものは正しい」とか「こういう人たちの言葉は参考になる」というモデル/知識を観測器が適時修正するというシステムを作ろうとしても、それは「現状(ありとあらゆる現状技術のメディア)そのまま」だろう。

9:35 AM - 19 May 12
 各自が独立に判断をして、あるいは行動モデルを作り、その取捨選択が生存(拡大)確率を決めた結果、「正しさ」の精度が高められていくのだろうか。…だとしたら、「保証・サポート」が充実している世界・システム下では、(それらが無くならない限り)「正しさ」は手に入らないのかもしれない。

9:39 AM - 19 May 12
 不安に飲み込まれないためには・負けないためにはどうすればいい?…「不安は(を)人間で解消しちゃいけない。それは避けた方がいい。それは逃げ道だ」…モノは人にいつも答えてくれるけれど、人間は違うから、自分の不安を解消する術を他人(ひと)に向けてはいけない ・・・という名言。

 …大高洋夫をゲストに迎えた「鴻上尚史と里田まいのサンデーオトナラボ(2011年08月07日)」の25 分前後から。

8:18 PM - 10 May 12

2012-10-30[n年前へ]

未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」 

 お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。

 たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。

 自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。

グライダー能力

 今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。

 「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。

 そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。

 自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

広義のプログラミング
「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。

 ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。

 近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック

2012-11-28[n年前へ]

「人が生み出す知恵」と「人が生み出す誤解」とか 

 「n年前へ」から。

 15世紀の(現在のオランダの)フランドル地方で油絵が生まれた。…(その)絵画技法はフランドル技法と呼ばれている。
 この「フランドル」は「フランダースの犬」の「フランダース」だ。フランス語読みすれば、フランドルになるし、英語読みすればフランダースになる。

「油絵のフランドル技法」と「フランダースの犬」

 「連続した奇数の合計は、常に次の完全平方になる」という事実を使い、Bill AtkinsonはQuick Drawの円描画を速くした。

ビル・アトキンソンの円描画の高速化 

 興味深いのが、古そうな版に描かれた内容と新しく描かれただろう版の内容の違いだ。かつて「顧客に納入したもの"AS INSTALLED AT THE USER SITE"」より現在の「実装された運用」の方がなぜか悲惨だったり、「営業」や「サポート」が増えることでさらに誤解が増えていたりもする。一体、どうしたら人は上手く理解し合うことができるのだろうか?

NEWS今昔物語「人と言葉」編 (初出2004年4月00日)

2013-05-02[n年前へ]

「勝ち」≒「価値」という方程式 

 「将棋電王戦」の憂鬱を読んで思い出した、8年前にサンノゼで書いた記事(「プロ棋士と将棋ソフトの対局許可」と「競技(スポーツ)の本質」)。

 こういったゲームの世界で、(人間が作り出したはずの)コンピュータに人間が太刀打ちできないということが増えていくのかもしれません。
 しかし、「相手に勝てないから(そんな勝負が)つまらない」かというと、それは違うように思います。今年、コンピュータと戦ったチェスチャンピオンのカジムダノフが「人間とコンピュータの対決」に関して、かつてこう語っています。
 ”Sports are not about reaching a result. Sport is about developing your inner qualities.”(競技(スポーツ)は記録や勝ちを手に入れるためのものではない。それは、私たちが自分の中にある価値を成長させるためのものだ。)

 もちろん、…その勝負に負け続けるだけであれば、それはつまらく面白くない気持ちにもなるの確かでしょう。けれど、(強いコンピュータに鍛えられて)自分の将棋の腕が強くなることも、またひとつの事実であるかもしれません。

 「たいていのスポーツは、勝った試合より負けた試合から多くを学ぶもんだろ」



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