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1999-11-28[n年前へ]

奇説・シェイクスピア=北斗神拳説 

ケンシロウ進数とベーコンの関係



 「ケンシロウ進数」というものがある。「北斗の拳」で有名な「ケンシロウ」の「あたっ、あたたたたっ」という叫びが実は「2進数」と考えることができるのではないか、と提唱しているものである。「イチ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロッ」という長い言葉が、「あたたたたっ」ですんでいるのだ(1=あ、0=た)、という「ケンシロウ進数=情報圧縮説」である。
 なるほど、暴力が支配する世界では一瞬の勝負が生死を分ける。瞬時に情報を伝えることは、必要不可欠といって良いだろう。目からウロコである。

 この考えをさらに進めて、「ケンシロウ」のような武闘派の人々は実は互いに「認証」を行っている、と考える「ケンシロウ進数=認証方式」説も提唱されるに至っている。

 確かに、戦いの場において認証を行うというのは実に素直な考え方である。敵か味方かを瞬時に見極めなければならない戦場において、認証は命の支えと言っても良いだろう。力が支配する世界では、「敵か味方か」という命題は非常に重要となるのだ。

 ところが、未だ「ケンシロウ進数」により一体何が表現されているのか、に関しては誰も言及していない。 「ケンシロウ」は果たして数字を早く表現するためだけに、「ケンシロウ進数」を生み出したのであろうか? 戦場で、数字を何故早く伝える必要があるのだ? 別に暗算選手権をしているわけではないのだ。TVチャンピオンとは違うのである。
  あるいは、「あたた」が認証だとしても、その認証においてどのような内容が込められているのだろうか? 無意味な言葉では認証は実現できない。 必ず、何らかの意味が込められているはずである。
 一体、「ケンシロウ進数」には、何が表現されているのだろうか? まったくわからない。これでは、「ケンシロウ進数」とは暗号のようである。何なのだ? 北斗神拳とは一体何を伝えようとしているのだ?

 そう、「ケンシロウ進数」は暗号なのである。実は、そこに謎を解く鍵がある。「ケンシロウ進数」が暗号である、という仮定に基づくと、面白い想像ができるのである。まずは、「ケンシロウ進数」が二進数に基づくという事実から、二進数に基づいた暗号系を探してみるのだ。そこに、北斗神拳の謎は隠されているハズである。

 暗号の歴史を振り返ると、その条件に大いに当てはまるものがある。それは、フランシス・ベーコン(FrancisBacon 1561-1626 英国の哲学・法学・文学者)が「学問の進歩」において提唱した2記号(バイリテラル)暗号である。

 ベーコンは著作「学問の進歩」の中では、「二値のデータが五個あれば、暗号を作成できる」と喝破している。現代風に言い換えれば、「5bitあれば、32個までの文字列を表現できる。すなわち、30文字弱の英文字は表現できる」と言っているのである。ベーコンが持つ先見性には素晴らしいものがある。

 そして、これをさらに言い換えれば、

の二音が組合わされば、多くの文字を表現できる、ということだ。英文字であれば、「あたたたた」の五音で十分なのだ。そう、ケンシロウ進数の謎の鍵が見えてきた。ケンシロウ進数は二値記号暗号なのである。そう、北斗神拳が二値記号暗号を用いているならば、二値記号暗号の祖たるフランシス・ベーコンは北斗神拳の祖と考えるのが自然である。そう、北斗神拳はフランシス・ベーコンが開いたのである。

 それを念頭においてみると、

「知は力」
「自然は服従されることによってでなくては支配されない」
というベーコンの言葉は、北斗神拳のケンシロウの哲学と非常に近い何かを感じるのではないだろうか?そうなのだ、ケンシロウが継ぐ北斗神拳はフランシス・ベーコンが築き上げたものなのだ。

 そうであるならば、北斗神拳は二値記号暗号を用いて何を表現しようとしているのだ? ケンシロウに何を伝えさせようとしているのだ?フランシス・ベーコンは何を暗号化しようとしたのだ?

 その解明のためには二値記号暗号を考えたフランシス・ベーコンについて調べるのが妥当であろう。
 ならば、北斗神拳が伝えようとしていることは、フランシス・ベーコンを調べることにより解明できるのではないだろうか?

 エリザベス・ギャラップの「フランシス・ベーコンの二値記号暗号」では、シェークスピアの「第一・二折本」の二種のイタリック体を二値記号と解釈することで、「ウィリアム・シェークスピア=フランシス・ベーコン説」を提唱している。これだけでなく、イグナチウス・ドネリーの「偉大なる暗号・いわゆるシェイクスピア劇に秘めたフランシス・ベーコンの暗号」など、古来から「ウィリアム・シェークスピア=フランシス・ベーコン説」というのは広く伝えられている。

フランシス・ベーコンとウィリアム・シェークスピア
フランシス・ベーコン
ウィリアム・シェークスピア
(第一・二折本表紙)

 私はこれらの説を統合し、「シェークスピア=北斗神拳説」を提唱したいのだ。現代まで演劇のバイブルでもあるシェークスピア作品はフランシス・ベーコンが書いたものであり、ベーコンは実は北斗神拳の祖でもある、という考えである。北斗神拳が伝える「あたたた」が伝えようとしているもの、それは未公表のシェークスピア作品に違いない。

 振り返ると、本hirax.netにもシェークスピアは登場している。例えば、Scraps

合掌 - キレイはキタナイ、キタナイはキレイ- (1999.08.01)
の「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」である。これはシェークスピアの「マクベス」の冒頭の三人の魔女の台詞である。「良いは悪い。悪いは良い。」「正しいことは、間違っている。間違っていることは、正しい。」という奴だ。

 私は気づかないうちに、
フランシス・ベーコン -> ウィリアム・シェークスピア -> 北斗神拳 -> ケンシロウ
という流れを受け継いでいたのかもしれないのだ。一子相伝の北斗神拳はフランシス・ベーコンに始まり、ケンシロウなどを通して、私にまで至っていたのかもしれない。

 私はその事実解明をさらに進める予定である。まずは、そのために、「マンガ喫茶」に明日一日こもる予定である。「北斗の拳」全27巻を読み通すのだ。そして、文体解析、文脈解析、ありとあらゆる手段を用いて「シェークスピア=北斗神拳説」の証拠をデッチアゲル、いや、もとい探し出すつもりだ。あの数多い言葉、「あたたた」「ひでぶ」「あべし」などの言葉の中に潜む、シェークスピアの意図を見つけだしたいと思う。実は、私はすでに「あべし=abc」という鍵も握っているのである。必ずや...
 

2003-07-02[n年前へ]

浦戸の景色 

 「ぼくんち」の原風景である高知の「浦戸の景色」を眺めながら、「彼女の作品世界には英雄がいない。現れるのは、北斗の拳なんかで主人公に一撃で倒されるためだけにでてくる雑魚敵にいじめられる人々、のような人間達である」という 文章を面白く読む。

2004-05-04[n年前へ]

元祖!漫画診断。 

 あなたの好きであろう漫画を診断します、という「元祖!漫画診断」 「あなたは 成熟しみじみ型 です。 …『ぼくんち』をはじめとする『感傷的漫画』がツボに来やすいでしょう」 好きな漫画に関しては当たりかな。

 最近、「勝ち」とか「負け」という文字をよく見かける。色々なニュースを見て、それを論評する色んな意見を眺めながら、ふと「あの会社(朝日新聞)は世間的にはやはり『勝ち組』であって」と書く文章を思い浮かべる。それは朝日に限らないのだろうなと思いをはせつつ、ふと四年前に書かれた西原理恵子「ぼくんち」に関する文章をもう一度眺めてみる。

 現代において語られる人間のあるべき姿は、小中高大学と勉強して社会に出て会社に勤め、勝利し、人生の勝ち組たれとでも言うものだと思う。しかし、それ以外の生き方も存在するということをこの物語は教えてくれる。どうしようもなくても、人間のクズですら、人は生きていてよい。 彼女の作品世界には、英雄がいない。現れるのは「北斗の拳なんかで、主人公に一撃で倒されるためだけに出てくる雑魚キャラに虐げられる人々」のような人間である。

2006-05-04[n年前へ]

「顔文字」や「勝ち・負け」や「地球転がし」 

 今日の「n年前へ」は「勝ちとか負けという言葉」「Thinkpadで地球転がしアプリ」「顔文字 ぼくんち 2」「あなたの心に残った言葉を教えてください」などです。

彼女の作品世界には、英雄がいない。現れるのは「北斗の拳なんかで、主人公に一撃で倒されるためだけに出てくる雑魚キャラに虐げられる人々」のような人間である。
船からはミカンの花みたいにちいさい手がぴらぴらするのが見えて、みんな自分の一番好きな人と間違えているだろうと思う。 (^_^)/~~ (^-^)/~~~ (/_;)/



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