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2008-05-28[n年前へ]

『専門家11人に「経済学」を聞く! 』と『11人いる!』 

 私個人の感覚としては、『理系サラリーマン専門家11人に「経済学」を聞く!』の「11人に聞く!」というタイトルは、萩尾望都のSF漫画「11人いる!」の暗黙的なパロディです。

 小島寛之先生に、「10人の経済学者がいれば、11個の経済学説がある」という話を聞きました。その時、ふと「11人いる!」を思い出しました。あの話は「ロケットに乗ったのは10人のはずなのに、なぜか11人いる!」という話でした。「11人いる!」の結末は、「宇宙では思ってもいないことが起きる。必ず想定外のことが起きる。そんな時にどうするかが宇宙では重要だ」という感じだったように思います。

 宇宙大学への入学のための試験会場の宇宙船へ着いてみると、10人のハズが1人増えていた!

 そんなことを、玄田有史先生に話を聞いた時にも、感じました。上の言葉の「宇宙」を「人生」に置き直したら、玄田先生が語る言葉に近いように感じたのです。あえて書いてしまえば、それは、「人生では思ってもいないことが起きる。必ず想定外のことが人生では起きる。 そんな時にどうするかを知ることが、本来の人生教育だ」というような具合です。

 というわけで、経済学者が「11人いる!」と気づいた時に、何だかちょっと面白く・そして何故か当然のようにも感じたのです。

 宇宙はつねに変化に満ちている概念が通用しない場合もある常に異端の11人目が存在するようなものだ。

2008-06-13[n年前へ]

届け宇宙人への電子メール 25年前に送信、7年後にも返信来る!? 

 「届け宇宙人への電子メール 25年前に送信、7年後にも返信来る!?

2008-07-07[n年前へ]

「25年前に宇宙人へ送信した画像添付メール」の原画 

 今日は7月7日、七夕の日だ。そういえば、一月と少し前に、「25年前に電波送信した宇宙人へのメッセージ画像の原画が見つかった」というニュースを読んだ。6年前、「七夕の夜に願うこと」で書いた 「スタンフォードの46mのパラボラ・アンテナからアルタイルに向けて送り出された、13枚の画像添付メール」の原画だ。

 地球からアルタイルまでの距離は約16光年。メッセージを乗せた電波信号は99年に到着している。知的生命体が住む惑星が存在し、すぐに返事を送ったとすると、2015年に地球へ届くことになる。

 この原画だったか、あるいは、そのためのラフスケッチだったか、そんな画像を見たことがある。「少年ジャンプの企画中で、電波に載せて宇宙人へメッセージを送信してみるんだ」と、父が描いたラクガキを見せながら、父は愉快げな顔で話をしてくれたように思う。

 宇宙人から返事がくる可能性はほとんどない。
「でも、それでいい」
 宇宙人へのメッセージは、生物の進化を示す画像群は、なぜかエタノールの分子式で終わる。ビールか何かを飲みながらそんな「低解像度のエタノールの分子式」について語る送信者の話を聞いていた覚えがある。
 西暦2000年に送られた、アルタイルへの電波メールが宇宙空間をこの瞬間も秒速30万kmで伝播し続けている途中かもしれないと夢想してみるのも、とてつもなく楽しいことだと思う。

 これから続く夏の空を眺めつつ、ビールでも飲みながら、天の川とベガとアルタイルのことや、酔っぱらい二人が送ったそんなメールのことを思い浮かべてみるのも、きっと気持ちが良いと思う。星空が綺麗な高原で、あるいは、星も見えないビル屋上のビアガーデンで。

2008-07-30[n年前へ]

「道具」と「文化」 

「道具」は「文化」の要素の一つだ。しかも、それは比較的大きな要素である。「2001年宇宙の旅」で棒という道具を手にした猿が、その棒をついには宇宙ステーションという道具に変えたシーンが象徴的であるように、道具は人の生活スタイルに大きな影響を与え、そしてその生活スタイルは考え方・感じ方にさらに大きな影響を与える。つまり、道具は文化に影響を与える。

 「フレームワークと異文化論」が面白い。

「Railsって一本道のイメージなんでしょうか。これにそって作ればWebアプリケーションが不安定にならずに完成するんでしょうか」
「私にとって“レイルズ”のイメージはこれなんです」といいながら、東京近郊の複雑な路線図を大写しにすると、会場は大爆笑に包まれた。
この会場に来るためにどの路線を使ったら良いのかを考えたときに、さまざまな選択肢があったと思います。……そんなにレイルに縛られなくてもいいんじゃないでしょうか

 「線路」と「人生の方程式」ではないけれど、レール(線路)なんか一本じゃないし、だいたい設計した線路は実際の線路とは全然違ったりする。それが人生ではとても普通のよくあることで、それが大変さでもあるし、楽しさでもある。

 多少なりとも他の文化を知らないと、ひとつの文化の姿を実感することはできない。他のものとの差異を見て、初めて自身の特徴が見えてきたりするからだ。道具の特徴を知るためには他の道具を知ることが役立ち、道具が文化に強く影響を与えるのだとしたら、そして文化が人の生活そのものだとしたら、(一つの道具を使えるようになった上で)他の道具を眺めてみることは、人の生活に大きな影響・大きな広がりを与えるに違いない。

2008-09-07[n年前へ]

ミニチュア写真風な景色 

 丘に登り街を眺めると、そこにはミニチュア写真のようにしか見えない景色が広がっていました。そのままの素の景色を自分の目で眺めているだけでも、小さなミニチュア模型の世界のようにしか見えない、不思議な世界が広がっていました。

 あまりに、その不思議さが心地良かったので、ケータイを取り出して、ケータイのレンズをそのミニチュア風の景色に向けてみました。すると、一眼で覗き立体感が失われるせいか、ミニチュア模型の世界そのものになります。

 そんな景色を眺めているうちに、ミニチュア撮影をする映画監督のような気分になってきました。そこで、ケータイで動画を撮りながら丘を降りてみました。まるでミニチュア世界、小さな惑星に宇宙船で着陸するするような気分を感じながら、そんな動画を撮ってみました。それが、下に貼り付けた動画です。

ミニチュア写真風景色ミニチュア写真風景色ミニチュア写真風景色








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