2002-11-19[n年前へ]
■「幸福はさまざまだが、不幸は驚くほど一様である」
朝日新聞「天声人語」。最後の一説。「アンナ・カレーニナ」の書き出しと違い「現代ならば」こうだろう、という言葉。
2004-05-22[n年前へ]
■"幸せ"と"仕合わせ"を繋ぐ糸
縦の糸はあなた 横の糸は私逢うべき糸に 出逢えることを人は 仕合わせと呼びます 中島みゆき 「糸」
同じ音の言葉を並べ、音が同じなんだから意味も同じなんだ・似ているんだと繋いでみる。それは例えば草枕の冒頭の「人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」という繋ぎ方だ。それが例え論理的でなかったとしても、それでもそんな「繋ぐ」ということには意味がある。繋げて眺めた人がいる、ということにとても大きな意味がある。
とはいえ、「意味がある」というならば、やはり辞書で一回その意味を調べてみた方が良いだろうか。そこで、新明解国語辞典で"幸せ"と"仕合わせ"の意味をひいてみよう。
仕合わせ 運命の巡り合わせ幸せ その人にとって・幸福であること運命の巡り合わせがその人にとって幸福であるかどうかは判らない。仕合わせが幸せであるかどうかは判らない。しかし、「出逢うこと・巡り会うこと」が「仕合わせ」で「仕合わせ」が「幸せ」になる、と誰かが繋いだことには意味がある。結果がどうあれ、誰かが色んな糸を紡ごうとしていることには必ず意味がある、と思う。
そうだ、過去に浮かんだ「巡り会う」と「幸せ」も同時に眺めてみよう。もしかしたら、自然に繋ぐことができるのだろうか。
2004-07-26[n年前へ]
■超幸福論
「萌えの数学」を構築したと思ったら、さらに「幸福」について考えたという「超幸福論」幸福とは一体何か?を知りたい人は読んでみると面白いかも。何より、面白い結論は「悩みで無限ループに陥ったときには、何はともあれ - 繰り込み - で解決すべしー」かもしれない。
そこで、「都合の悪いことはいつもくりこむ。ほんとにそれでいいのかな」なんて考えてはイケナイ。「都合の悪いことはいつも繰り込んで、幸せを探す」なんて、ほら物理の世界が何だかずいぶん人間らしく思えてくるはず。だって、みんな人間なんだもの。
2004-08-05[n年前へ]
■幸福論の進化
「(自分がどれだけ幸福だと思っているかという)幸福」「(物質的、経済的、社会的(権力等)にどれだけ恵まれているかという)虚幸福」により、(超幸福)=(幸福)+k * (虚幸福)導入・提案した超幸福論は「幸福の繰り込み」テクニックを提唱した。それは、(物質的、経済的、社会的(権力等)にどれだけ恵まれているか)は気にせず、(自分がどれだけ幸福だと思っているか)ということだけを上手く考える知恵である。
そして、さらに超幸福の式を展開した幸福論の作者は、実は(幸福)=(虚幸福)だったのではないのか?、それはつまり「物質的欲求の強い人間はプラスの幸福を感じることができない」ということではないのか?、と気づく。実に、奥深い話だ。
個人的に興味があるのは、この「自分がどれだけ幸福だと思っているかが重要だ」という幸福論の作者が「ロリータ指向(×嗜好)プログラミング」を提唱する「萌え派」である、というところだ。「物質的にどれだけ恵まれているか、は重要でない」と説く作者の指向は、実は「微乳指向→ロリータ嗜好→萌え」という繋がりだったりはしないだろうか。いや、そんなことはないか。
2004-08-08[n年前へ]
■「成功確率」と「幸福度」軸上のデスマーチ
「ソフトウェア産業におけるデスマーチ現象を「成功の可能性」と「幸福度」という2軸でマッピングする」と…こんな四種類に。