2006-04-08[n年前へ]
■「幸福論」
小倉千加子・中村うさぎが書いた「幸福論」を読んだ。「なるほど」と頷くところは多いのだけれど、「モテ・非モテ論」と同じく、「興味を惹かない箱」に入れた。いや、少し違う。「そんなことは考えてもしょうがない、の箱」だ。頷くところはとても多いのだけれど、その結果を不毛に感じたからだ。そして、「未来はどうなっているんだろう?」という質問にムッっとしたアランケイの「未来を予測したい?なら未来を作ってしまえばいいだろ?」というセリフをふと連想した。
彼女らが持つ背景・環境・価値観を共有できる人たちは、とても興味深く読むに違いない。その背景・環境・価値観を実におぼろげに想像することしかできない私ですら、頷くところは多かったのだから。とはいえ、この本のどのページも破り撮り残すこともせず、そのままゴミ箱へ入れようと思う。そして、限られた時間を他のことに費やしたいと思う。この本には、(特に他者に対する意識が強かったり、物事に意味をつけたくなるタイプには)たくさん面白いことが詰まっている。しかし、「未来論」を語るくらいなら、ほんの少しでも「未来」を作った方が好みに合うのと同じく、この「幸福論」という本を長く読み返すくらいなら、他のことをしたい。
そういえば、「幸福」って何だっけ?と思い、新明解国語辞典をひいてみた。なるほど、「幸福」という状態は、「進化を続けてきたことで現在がある生物の世界」とは相反するものなのかもしれない。
「幸福」現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。 「新明解国語辞典」
外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。 「イラクと幕末」
2006-08-03[n年前へ]
■「行動経済学」@ホワイトボード
夜、新橋で「行動経済学 経済は「感情」で動いている」の友野典男さんへのインタビューのテープ起こし文章(2時間分でトータル A4 30ページ!)を元に、「行動経済学」@ホワイトボードを描く。ホワイトボード中に大きく登場している「幸福の科学」は、もちろん実在の団体とは関係ありません…よね。
ちなみに、記事公開は来月中旬予定です。原稿締め切りは来週だけど…。
「愛情はヒューリスティクスですか…」「そう」「愛情は経験則だったんですか」「愛情はね、経験則というか、 相手を決める手っ取り早い方法ですよ」
「ということは、明らかにメリットやデメリットが計算できるような人だったら、愛情の出番はないのかもしれないんでしょうか?」「そう。ないかもしれない」
2006-08-05[n年前へ]
■「幸福論の進化」
from n年前へ.
「幸福の繰り込み」テクニックは、物質的・経済的・社会的権力等にどれだけ恵まれているか)は気にせず、「自分がどれだけ幸福だと思っているか」ということだけを上手く考える知恵である。
2007-08-05[n年前へ]
■記事と勉強
from n年前へ.
記事を書かれるのも、書くのもどちらも人なんだよなぁ。
結局は「万事に王道無し」なんですよね。だって、この内容「勉強そのもの」ですもの。要約してしまうと、「勉強しないとダメだよん」と言っているという…。
「幸福の繰り込み」テクニックは、物質的・経済的・社会的権力等にどれだけ恵まれているか)は気にせず、「自分がどれだけ幸福だと思っているか」ということだけを上手く考える知恵である。
2008-05-23[n年前へ]
■『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』
「個性溢れる11人の経済学者の方々に話を聞く」という趣旨の本、『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』が発売されました。大竹文雄・玄田有史・友野典男・松原隆一郎・小島寛之・奥村宏・西村和雄・森永卓郎・中島隆信・栗田啓子・中村達也という、11人の経済に関わる方々が、ものわかりの悪い生徒に実に丁寧に教えてくれたこと、その内容が本になりました。
本書には、一般の方々や経済学者の方々のアンケートから、「経済学者」「一般のひと」がそっくりだけれど、ほんの少しだけ違う姿が浮かび上がり、「豊かになるために必要なもの」をクラスタ分析した結果から、「希望とか自由とか愛」といった見えないものの繋がりを眺めたりすることができるオマケもついています。また、産業・科学や芸術・宗教といった歴史背景と、経済学の世界地図の上に時系列で並べた「歴史年表」もついています。
豊かになるために、小島先生はたくさんのものを選び、(「若い頃は時間があるけれど金がなかった。今は時間だけが必要…つまりは年をとったということです」といった言葉とともに)大竹先生と友野先生は時間だけを必要とし、森永先生は「愛」だけを選びました……
一般の方々や経済学者の方々へのアンケート結果、そこに記された言葉を眺めていると、不思議なほど私たち自身(そして私たちの分身のような経済学者の方々)の姿が見えてきます。そんな私たち自身の姿・私たち自身が望むことを眺めつつ、経済学者の先生方が話すこと読むのも、一興かと思います。