hirax.net::Keywords::「広告批評」のブログ



2009-03-07[n年前へ]

自分が持たない・憧れを書く 

 私の広告術(広告批評) より。

 …結局自分が書くもの・作るものというのは、平たく言えば、憧れて書くんじゃないかと思うんです。自分にない者自分にできないこと、こうあったらいいけどなかなかできないね、と思っていることを書く。

岩崎俊一 p.137

2009-03-13[n年前へ]

井戸端会議・大多数の意見には… 

 広告批評の「私の広告術 」より

 井戸端会議の意見、大多数の人が言っていることには宿命的にものすごくウソが含まれている。

岩崎俊一

2009-11-13[n年前へ]

「特急つばめ」と「見えないもの」 

 「広告批評 最終号(2009/04)」を読んでいると、写真家の藤井保とアートディレクターの副田高行がしていた話が面白かった。話題に上がったのは、コピーライターの仲畑貴志が綴った「愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている」という言葉(1992年)と、薄暗闇の空間を突き進む列車の写真とともに有名になったJR九州のシリーズ公告の作成秘話である。

(藤井)僕らが最初に考えたのは、夜汽車って窓の灯りがロマンティックなので、その窓灯りから、乗客のことを想像できる写真が撮れたらいいなと思ってたんですけど、計算値違いだったのは(JR九州から)「特急つばめを撮ってください」と言われたんですよね?その列車は真っ黒の車体でガラスにスモークが貼ってあって、全然光が見えない。
 だから、「窓の灯り」は広告写真には(わかりやすい姿では)写っていない。そして、列車が乗せているはずの「たくさんの愛とか、勇気とか、見えないもの」も、薄暗い写真から直接見ることはできない、・・・ように見える。



 けれど、広告のコピーとして、「愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている」という言葉が添えられたなら、目では見えないけれどきっとあるはずのたくさんの乗客の姿を想像することができる。窓の灯りからは見えなくとも、そんな「見えないもの」を、薄暗闇の中を走る列車をなぞる写真の中に想像することができるようになる。たくさん列車が乗せている「目に見えないもの」を、私たちはようやく写真の中に見ることができるようになる。

2009-11-14[n年前へ]

広告は人間そのものの映し絵だ 

 「広告批評 最終号(2009/04)」から。

 広告の世界は、いま大きく変わろうとしています。が、広告がなくなることは決してありません。広告は、時代の映し絵というだけじゃない、いい面も悪い面も含めて、人間そのものの映し絵であるからです。

島森路子・天野祐吉
 ずっと人間のことを、想ってきた。

RECRUIT
 30年間 ありがとうございました。

広告批評
 THERE IS NO FINISH LINE.

JUST Do IT.  NIKE

2010-01-07[n年前へ]

本当の「等身大」の人の姿 

広告批評 編集「私の広告術 」から、一倉宏の言葉。

 今の広告が描く人間の姿は「等身大」と呼ばれて、だけど本当の人間たちよりもほんの少し小さく描かれているように僕は感じる。
 その、指一本が入るような隙間の中に詰まっているのが、愛とか夢とか希望とか志とか誇りとか、なんじゃないんだろうか。
 それがあって、本当の人間の大きさなんだと、僕は思う。



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