2009-02-03[n年前へ]
■リニアモーターカーの親が書いた「10センチの思考法」
「リニアモーターカーの生みの親」と称される京谷好泰の「10センチの思考法―ワクから飛び出せ!考え方を変えれば未来も変わる 」を読んだ。すでに熟成したような技術分野でなく、新しい技術分野で何か新しいものを生み出そうとする時には、その新しいものに挑む中に溢れ満ちてくる困難がある。そんな困難や問題を、この本を読めば解決する勇気を手に入れることができそうな気がする。
いつの間に日本人全員が「行き止まりの思考」に陥りやすい体質になったのだろう。 (前書き)と始まる本書は、新しいことを生み出していくときに抱える問題を解決するための手助けになるだけではない。「新しいことを生み出していく」というのは、結局私たちの人生における作業そのものだから、(特に私たち日本人の)人生における問題を解決することの役に立つような気がする。
・・・自分独自の思考法がなければ、ほかより先へ進むことができなくなってしまう。誰でもない自分らしさがなければ、この日本のなかで生きていくことすらできなくなる時代がすでに訪れているのだ。
行き詰まりの思考のままでは、人生までが行き詰まってしまう。(p.22)
愛国心と忠誠心は、一致するものではない。愛国心は国を誇りに思い、国を思って行動することである。ところが、忠誠心は二心を持たず、国ため働くことが求められる。間違ったことでもいいなりになる危険性をはらんでいる。 (p.51)また、上の愛「国」心という部分は、さまざまな語句に言い換えることができる。そして、その入れ替えた語句の場合でも、ほとんど多くの場合に上の文章は成り立つ。
最後に3つの文章を抜き出してみた。この3つのアドバイス、特に「1番目を経た2番目」と「3番目」の2つは、とても役に立つように思う。
「(学生が)我々がマンガを読むことについて、どうお考えですか?」
「どうせなら徹底的に読んで欲しい。できれば、自分の言いたいことをマンガで描けるくらいになってみなさい。そこまでできれば、多分おもしろいことになるよ」 (p.104)
図示や絵の大きな効用。それは、自分の頭の中にあるビジョンがもう一段階クリアになり、自分の意志がはっきりしてくることだ。論理的に整合性を欠く部分が自分で分かり、修正することが可能になる。 (p.106)
断言しよう。能力、才能、素質、これらは「やりたい」という欲求からしか生まれない。やりたいからやると楽しいし、楽しいから苦労を苦労と思わない。 (p.143)
2009-02-18[n年前へ]
■ウソで隠した迷い
高島俊夫の「メルヘン誕生―向田邦子をさがして 」より
この「手袋をさがす」のなかで向田邦子は自分のことを「十人並みの要望と才能」と言い、また「貧しい才能のひけ目」と言っている。これははっきりウソである。向田邦子は、自分に関して、そんなことはこれっぱかしも思ったことはなかろう。
彼女は、「自分には才能がある」と思っていた。平凡な家庭主婦になるのは宝のもちぐされである。どこかに自分の才能を発揮する場があるはずだ。ーこの考えが一貫して彼女の中にあった。
「潰れた鶴」
向田邦子の「あ・うん 」より
おとなは、大事なことは、ひとこともしゃべらないのだ。
「やじろべえ」
2009-07-27[n年前へ]
■「人材」と「人財」の違いって・・・?
この「材」という字は、中国語で「木」のようにまっすぐ才能を伸ばすという意味があります。一方、「財」のほうは、「木」ではなく、「貝」、すなわち元々は「お金」のことです。
同じ漢字でも、中国では全く違う意味ですね(^^; 人材は人才とも書いて、才能がある人と言う意味です。 人財は中国では、人とお金両方を言ってます。 だいたい、目的よくない人の事を指してます。
まっすぐに伸びる「木」のような才能、「人材」のほうが、人を大切に扱っているように思うのですが…如何でしょうか。日本では全く逆の考え方もあるようですね。「人は材料じゃないよ。豊かな暮らしを作り出す財産、宝物だよ」と。
2009-08-22[n年前へ]
■才能幻想や自己幻想にとらわれている不幸
右近勝吉「平凡な私が月300万円稼ぐ7つの理由 」から。
才能幻想や自己幻想にとらわれている凡人の不幸は、ふたつあります。この本は、タイトルに惑わされずに、すべての人が手にとって頁をめくってみる価値があると思う。
ひとつは、いつまでたっても届かない才能を追い求めて一度しかない人生を消耗してしまうことです。もうひとつは、自分が凡人だと気づいたとたんに「自分はダメだ」と思ってしまうことです。
やれることを精一杯やる。そういうシンプルな姿勢が凡人力の強さです。
2009-08-23[n年前へ]
■努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない
「パネルクイズアタック25」の司会者、児玉清が(これまた)25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から(25人の作家の人選もまた素晴らしい)。これは、夢枕獏の言葉と、それに対する児玉清の言葉。
自分に才能があるかどうかわからないため、努力して努力して、二十四時間をそのことだけのために使う。そうやってようやく神は自分に何を与えたかがわかるわけで、才能を競い合える場所まで行けるのは努力した人間だけです。
そこまで努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない話ですよね。
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