2009-09-12[n年前へ]
■「99%の努力」を支える「1%の才能」
「努力」と「才能」という文字を前にすると、特に、「99%の努力と1%の才能」というような言葉を目にすると、少し考え込んでしまいます。そういうわけで、下の「関連お勧め記事」にあるようなことを書き連ねているのだろう、と思います。
下に書き写した杉浦日向子の言葉を読んだとき、ふと「なるほど」と思わされました。( 「杉浦日向子の食・道・楽 (新潮文庫) 」中の「体に悪いスポ根」から)
秀でたスポーツ選手は、1%の才能と99%の努力から成る、といわれる。その、1%の才能こそが、99%の努力を支えるのであって、ベルモット抜きのドライマティーニがありえないように、ほんの微(かす)かな才能の香りすら見いだせなかったら、努力のきっかけもまた得られないではないか。1%が重要なのだ。
「努力」するか否かが大切だけれども、それでは「努力」をする意思・その意思の支えは何なのだろう?という問いに、あなたならどう答えるでしょうか。
ちなみに、この「体に悪いスポ根」は、杉浦日向子がスポーツ競技に対し、「運動神経に関し1%の才能もない側」から書いたエッセイです。
そして、自分は、運痴で良かった、とほっとする。
2009-11-28[n年前へ]
■「やる気になればやれる」という言葉
「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」中、「忍術らくだい生」の冒頭に掲げられた言葉から。
だれだって
どんなことだって
やる気になれば やれるさ
その気になれば できるさ
-先生も そういう
-お父さんも そういう
ほんとうだろうか?
「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」には、「宿題ひきうけ株式会社 」と「忍術らくだい生」が収録されている。いずれも、1960年代に書かれたものだ。
末尾には、『宿題ひきうけ株式会社』の勇気、と題した鴻上尚史による2ページほどの一文も入っている。
自分で考えること、自分が自分の意思で自立することの可能性を教えられたと思った。
この作品は、確かに、ある時代の、まだ希望と未来を堂々と語れた時代の風景にもとづいている。がしかし、そこに提出される『宿題ひきうけ株式会社』のコンセプトは、どんな時代になっても、リアルであり続ける。
僕は大学時代、小学生の家庭教師をしていた。最後の授業の日、僕はプレゼントとして、この『宿題ひきうけ株式会社』を渡した。
それは、どんな時代になっても、この作品の勇気を知ってもらいたかったからだ。
2009-12-11[n年前へ]
■一瞬の才能なんてだれでもあるんだよ。
「あぁ…」と感嘆させられる言葉を本の中で読むことがあります。そして、手帳に書き写します。そして、時折、ここにさらに書き写します。これは、渡辺淳一の「男と女のいる風景 」の中の言葉です。
一瞬の才能なんてだれでもあるんだよ。けれど、とても心に鋭く響く言葉は、ここには書けず、手帳にすら書き写すことができないことも多いものです。ただ、心の中に、その言葉が残るのです。
問題はそれを持続させるのがむずかしいんだよ。
この本も、そんなここに書き写さない言葉がたくさんある、そんな本でした。
2010-03-02[n年前へ]
■「やりたいこと」と「やれること」について
中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の安斎あゆ子脚本の「セーラー服通り」から。
「ご両親はあなたの進路について理解してくれていますか」と聞くことがある。多くの場合、「自分のやりたいことをやりなさいと言ってます」と答えす。そのうち、やれないとわかったときはどうするのだろう?そんな思いにふと駆られることがある。やれないとわかるのはいつだろうと思う。
未来(夢)ばかりを見つめると、「いま」が見えなくなる時がある。いまが見えなくて、自分のできることを見失うことがある。
もし、やりたいことが叶わなかったり、見つからなかったとしても、今の自分を否定する必要はない。才能のあるなしに関わらず、いま自分にできることを精一杯やってみる。そうすることで、何か自信のようなものができるのではないか。あの時以来、私はそんあふうに生きたいと思うようになった。
テレビドラマは現代を描き、そのテレビドラマの間に挟まる広告は、その現代からさらに未来を描く。
あの頃、あの時、…そんな時代を描きだしたテレビドラマの台詞や音楽の背景を、深く感じてみたい人(特に、R40世代)がこの本を手に取れば、掌の上にタイムマシンが登場すると思う。
このドラマのサブタイトルは、最終輪の「さよなら 欲しくない」を除いて、毎回「○○ 欲しい」となっていた。「男の子 欲しい」「お部屋 欲しい」…。彼女たちはいつも何かを欲しいと望んでいた。だけど、ただ貪欲に何かを手に入れていくわけではなかった。