2009-03-24[n年前へ]
■江國さんの凄みをひとことで言えば・・・
福田和也 「悪の読書術 」の「江國香織は天才である」から。
何と云っても、江國さんの凄みというのは、比類のない文章上の技巧、意識の確かさと、古来天才の症例分析でよく語られる境界症例的な精神の危うさが同居しているということでしょう。
福田和也 「悪の読書術 」
2009-04-12[n年前へ]
■読む人が真似をしたくなる江國香織の「作文術」
江國香織の文章は、本当に的確で、読んでいるととても気持ちが良くなる。文字をそのまま追っていくだけで、書いてあることが「すぅっと」頭の中に収まってくるし、それでいて何度読み直しても新鮮だ。
江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、それを文章にした「十五歳の残像 」を読むと、そんな感覚をどの頁・どの行からも感じることができる。たとえば、 「すとん、と伝えるひと――――安西水丸さん」ならこうだ。
理屈では説明できないこと、というのがある。とても簡単なことなのに――――とても簡単なことだから、と言うべきかもしれないが――――、説明はできない。
たとえば。
わかります、と、私は思わず声を大きくしてしまう。一体何がわかったのか、どうわかったのか、はよくわからないままに。
なんの理屈も説明もなく、ただすとんと胸におちてくる。江國香織の文章には、とてもわかりやすく納得させられてしまう。そして、不思議に心地よい。
江國香織の文章の恐ろしいところは、彼女の書いたものをよむと、その江国香織の「文の調子」「文体」を無意識のうちに真似しようとしてしまうことだと思う。もちろん、そんなことは誰にもできない、のだけれど。
■十五の頃、いちばん恥ずかしいと思っていたこと
江國香織 「十五歳の残像 」から。
十五の頃、いちばん恥ずかしいと思っていたことは何ですか、と訊いてみた。安西さんのこたえは「人をおしのけたり自己主張したりすること」
じゃあいまいちばん恥ずかしいことは、と訊くと…
「すとん、と伝えるひと――――安西水丸さん」
2009-04-13[n年前へ]
■「表現」と「矛盾」
江國香織 「十五歳の残像 」から。
そりゃあどんどん矛盾していくよね、と、甲斐さんは言った。…
でも、と言って、甲斐さんは私の顔を見た。「でも、表現するということはそういうことでしょう?イメージをある程度限りある形で強く打ち出していく、というのが表現ななんだから」
あまりにも正しかったので、私はちょっと黙ってしまう。
「アンビヴァレンスのひと――――甲斐よしひろさん」
2009-04-14[n年前へ]
■「時に、無神経でいられること」
江國香織 「十五歳の残像 」から。
十五のころといまとで、いちばん変わったことはなんですか、と、最後に訊いた。宮本さんは少しだけ考えて、
「無神経でいようと思ったら、いられるようになったことかな」
とこたえた。丁寧な口調で。
「やわらかく強靭なひと――――宮本文昭さん」
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