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2005-10-11[n年前へ]

「エネルギー消費量と寿命との相関関係」 

 「エネルギー消費量と寿命との相関関係

エネルギーを消費し続けるとどうなるか。人の寿命の延びとは裏腹に社会的寿命は、加速度的に短くなる。

2005-12-28[n年前へ]

「自分の居場所とは、どこなのか」 

 電車に乗る前にはいつも本を買う。電車の中で景色を眺めつつ本を読んで、気に入った一節があればそのページを破りとってポケットに入れて、電車から降りると同時にその本をゴミ箱に捨てる。そして、ポケットに入れたページは後で何度も読み直す。
 目が回るほど、けれど首は全然回らないくらいに忙しかったここ数週間の間に、破りとったページが何枚も溜まっていた。その何枚かのページを少し書き写してみることにしよう。まずは、「インターネットではリンクされない方が悲しい、と書くような人たち」をふと思い浮かべた中村うさぎの「オヤジどもよ!」から。

隣にオヤジの二人連れが座り、片方のオヤジがもう一方に説教こいてるのが聞こえてきた。「これからの時代はさー、英語とコンピュータだよ。…できないと、置いてかれちゃうよ〜」
「置いてかれる?誰に?そして、どこに?」とこのオヤジたちにツッコミを入れる中村うさぎはさらに書く。
人々は「嫌われる」コトよりも「無視される」コトのほうを恐れるようになった。…(ネガティブな形で存在を認められる「嫌われること」よりも)恐ろしいのは、他人から「そこにいない者」として扱われるコト。時代に取り残され、人々に取り残され、どこにも居場所がなく、誰の目にも映らない。それこそが現代人のもっとも恐れる「自分像」なのである。
こういう人たちはきっと「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだりするのだろう、と笑いながら「アホや。アホやがな。時代や社会に取り残されたからって、それが何やねん」と中村うさぎはさらにツッコミを入れる。そして、こう書く。
人を支えるのは、人間関係だ。人間関係の不得手な者は、たとえ英語ができてもコンピュータができても、自分の居場所のない殺伐とした人生を送るハメになる。ところが、我々は「時代や社会におけるポジション」を「自分の居場所」と勘違いして、技能や知識や情報ばかりを追い求めて奔走し……そろそろ、「社会でのポジション」と「自分の居場所」は違うのだ、というコトを、きちんと子どもたちに教えられる大人が現れてもいいはずだ。

2005-12-30[n年前へ]

「個人主義」の前提 

まだまだ続く「破り取ってポケットに入れたページ」の一枚が、「名将ファイル 秋山好古・真之

「個人主義」の前提は、「人間は強く賢明かつ無欲で勇敢」と考えることである。しかし、日本軍は「人間は弱く、はかなく、欲張りで怖がり」との認識のもとに日清・日露戦争の間に戦友システムや将校の原隊制度を定着させた。この考え方は、日本社会に「仲間主義」を植えつけ、国力発展に大きく寄与することになったのだ。

2006-01-06[n年前へ]

「社会の(それぞれの人にとっての)公平性」 

 以前、「経済学とはどういう学問ですか?」で

 この世は不公平なものだが、それぞれが努力すれば、それに見合ったものをみんなが得られるようになる社会をどうすれば実現できるだろう?ということを愚直なまでに考えるのが経済学だ。
という、経済学者の石川経夫の言葉を引用しました。その時、こんな言葉をある方から頂きました。
 「不公平な世の中で、それぞれの努力に見合ったものを、みんなが得られるようにすること」を考えるのは、経済学も、他の多くの社会科学も同じだ、と私は思っています。「それに見合ったもの」が、  ○ 「お金」なら、経済学  ○ 「権利」 「権力」なら、政治学  ○ 「知識」 「知恵」なら、教育学という感じです。
 この言葉を読んで、「なるほど」と素直に納得して、「政治学や教育学といった社会科学」に興味を感じるようになりました。世の中には、偏りや凸凹があって「公平」では元来ないものに対してどう折り合いをつけていくか、ということを考えさせるこの言葉が昨年一番のお気に入りです。

 この言葉と、色川武大の「うらおもて人生録」と、小島寛之の
「合理的な選択」とは何だろうか。「正しい選択」とは何だろうか。 …勤勉で実直な労働者たちの姿を見ながら、しかし、彼らの社会における立場を、どうしても伝統的な経済学が主張するような「合理性を持った最適行動」によってもたらされたものだとみなすことができなかった。
という言葉を繋いだことを、Tech総研ブログで書き始めたのですが、全然まとめられなかったので、忘れないようにここで書きつけておきます。

2006-02-13[n年前へ]

「希望学」 

『希望学』:東京大学社会科学研究所 希望学プロジェクト 「希望を社会科学する」という東京大学社会科学研究所の「希望学」 「希望は、それが実現困難であればあるほど、失望に終わる可能性が高くなる。希望は求めれば求めるほど逃げていく。個人の内的な充実にとどまる希望もあれば、個人が希望を持って行動した結果として、それが何らかの社会的な影響を及ぼすものまである。人はどのようにして希望を持ち、そして失うのか。希望は社会とどのような関わりを持つのか?」という言葉を眺める。

希望学は、社会のなかでの希望の意味とありかについて、一人ひとりが探求するための科学的プロジェクトです。私たちは社会科学者として、事実の積み重ねを通じて、希望について考えていきます。



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