hirax.net::Keywords::「脚本家」のブログ



2008-03-08[n年前へ]

「藤本有紀」と「藤本義一」と「徒然草」 

 NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の脚本家「藤本有紀」が「(放送作家・作家・司会などで有名だっの)藤本義一」の長女だろうかという話が、あった。「ちりとてちん」が上方落語を実に旨く濃縮した味になっているのだから、その作り手はきっと”あの”藤本義一の娘に違いない、という話があった。上方落語家の半生を描いた「鬼の詩」で1974年に直木賞を受賞し、上方文学の研究を続けている藤本義一の娘ではないか、という話がされていた。

 「落語いうのはな、人から人へ伝わってきたもんや。これからも、伝えて行かな、あかんもんや」

    藤本有紀 「ちりとてちん」

 「藤本有紀」は「藤本義一」の血を受け継いだ娘ではないようだけれども、藤本有紀は確かに藤本義一が伝えたいと願ったもの・そういったものの流れの中に、いる。

 何百もの時空を生きて現代に伝わる古典には、それだけの深い理由があるのだと伝えてやらなくてはいけない

    藤本義一 「徒然草が教える人生の意味」

 「ちりとてちん」の主人公が好きなのが「徒然草」で、弟子入りした先の落語師匠は徒然亭の徒然若だ。「徒然」の語源は「連れ連れ(つれづれ)」で、「繋がっていく・続いていく」ということだ。時間や人や社会の流れの中で、同じようなものが、ほとんど変わらずにずっと続いていくことを意味している。

 文化はバトンタッチで引き継がれていくものだと知り、自分もナニかのバトンを手にしようと考えるだろう。それは、なにも文学だけではなく、音楽であり、絵画であり、科学への志向に繋がっていくように思う。

    藤本義一 「徒然草が教える人生の意味」

 そんな「連れ連れ」を、退屈に感じ、あるいは、ひとり寂しくやりきれなくも感じ、時に鬱屈しつつひとり物思いに沈んでしまったりもする。「徒然」という言葉はそんな印象の言葉でもある。けれど、こういう言葉もある。

落語はひとりでやるもんと違う

    藤本有紀 「ちりとてちん」
 それが、つまりは、「連れ連れ(つれづれ)」だ。私には、まだ、よくわからないけれど、そういうものがもしかしたら歴史や人や社会といったものなのだろうか。
 「お前も、その流れの中に、おる」

    藤本有紀 「ちりとてちん」

2008-04-03[n年前へ]

「NHK連続テレビ小説」 と「11PM(EXテレビ)」 

 NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」が終わった。こんなにNHK連続テレビ小説を楽しみに・待ち遠しく観たのは、「ふたりっ子」以来だ。

 NHK連続テレビ小説と言えば、東京制作と大阪制作が交互に行われているのが特徴の一つである。「ちりとてちん」は大阪制作の女性脚本家だったが、そういえば、「ふたりっ子」もやはり、大阪制作の女性脚本家という組み合わせだった。脚本が大石静だった「ふたりっ子」では、気の強い主人公と将棋の世界が魅力的だったし、脚本が藤本有紀の「ちりとてちん」は、いつでも弱気になりがちな主人公と、主人公を取り巻く人たち、そして落語の世界がとても魅力的だった。

 そういえば、交互に「東京制作と大阪制作が交互に行われる」というと、「11PM(EXテレビ)」を思い出す。11PMは大橋巨泉(東京制作)と藤本義一(大阪制作)が交互に司会をする(もちろん内容の傾向もかなり違う)番組で、その後継番組だったEXテレビは、三宅雄二(東京制作)と上岡龍太郎(大阪制作)が交互に司会をする番組だった。どちらも、比べようもないくらいに大阪制作の方に、私はとても惹かれた。番組に詰まっている荒削りなアイデア・勢い、一見テキトーにも見える、けれど見るからに「その背景」へのこだわりと情熱を感じる(見せる)真摯な雰囲気がとても面白かった。

 ひとつ、思うことがある。「ちりとてちん」にしろ、「ふたりっ子」でも、その結末をどこに置き、結末の先がどこに向かっているように見せるかは、脚本家自身が一番考えていることなのではないだろうか。

2010-04-12[n年前へ]

進歩した科学がろくなことをしていない側面がある 

 久世光彦 主催による「久世塾 」から、山元清多の言葉。「久世塾」は、「21世紀の向田邦子を作ろう」と開かれた、シナリオライター養成講座。

 僕はあまり楽観的に今の世界というものを考えていない。歴史というものが直線的に進歩して、よりよくなっていくんだというようには思っていまいところがあるのです。ときにどんどん悪くなることもある。
 皆さんは、ケータイができたり、メールができたり、ネットができたりして、「世の中、便利になったな」とか「科学は進歩するんだな」と思うけれど、進歩した科学がろくなことをしていない側面があるわけです。

2010-04-13[n年前へ]

でも、普通の女の話に私は絶対にこだわろうと思っています。 

 久世光彦 主催による「久世塾 」から、内館牧子の言葉。

 「内館の書くものは、いつも普通の女の話ばかりだ」と言われます。でも、普通の女の話に私は絶対にこだわろうと思っています。
 私の話の中には外科医の女も出てきませんし、スチュワーデスも出てこない。弁護士の女も出てきません。(中略)
 何者にもなれず、なりたいと思っても能力にも自信がなく、年齢ばかりがいって、どうしようかと悩んでいる女たちが一番ドラマチックで切実だし、一番生きるうえで大変だと思います。

2010-04-17[n年前へ]

楽天的で、生きる勇気を与えてくれて、胸が弾むような「人生のレッスンのようなもの」 

 Glee から(Glee | FOX)。

 でも俺はこれまでの作品と何か違うことがしたかった。楽天的で、生きる勇気を与えてくれて、俺の少年時代を反映するような何かを作りたかった。番組の終わりに胸が弾むようなものを作りたかった。全てのエピソードをテーマづけることで、人生のレッスンのようなものを教えたかったんだ。

製作総指揮 ライアン・マーフィー(脚本家・プロデューサー)



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