hirax.net::Keywords::「青春」のブログ



2005-04-23[n年前へ]

青空の"青" 

 幸田露伴の「音幻論」で言及されているという「"青"は、本来、黒と白との中間の不鮮明な色を広く表した。青、緑、藍だけでなく、灰色までも表したらしい」という一節をGRAPHICATIONの中で読む。
 「青春」とか「ブルーな気持ち」とか、色んな「青」に「黒と白との中間の不鮮明な色」を重ねてみるのも、一興か。黒から白までの幅広い色の何処かに、青という言葉を置いてみると、ふと腑に落ちることもあるかも。BGMはもちろん、ザ・ブルー・ハーツの「青空」で。

青空の






2006-01-17[n年前へ]

ヒューザー小嶋社長の教典は梶原一騎の「巨人の星」 

 小嶋進 ヒューザー社長がテレビで「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」と言うシーンをテレビで放映していた。あぁ、梶原一騎は偉大なんだな、とつくづく思う。梶原一騎の世界にはまっている人がここにもいるんだな、と思う。
WARNER HOME VIDEO 「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」という言葉は、「…死ぬときは、たとえどぶの中でも、前のめりに死んでいたい」という「巨人の星」の中のセリフに違いない。「巨人の星」の中で星一徹が飛馬に言う。「坂本竜馬はこういった。いつ死ぬかわからないが、いつも目的のため、坂道を登っていく。死ぬときは。たとえどぶの中でも前のめりに死んでいきたい…と」「つまり、かぎりなき目的への前進だ!たとえ、どぶの中で死んでも、なお、前向きで死んでいたいっ。…それが男だ!」…そして、星飛馬が大リーグボール3号を投げて左腕を壊すとき、やはりこのセリフを言う。「おれの青春を支配したこの坂本竜馬のことばにかけて、後退しての死よりも、前進しての死を選んだのだ」 しかし、この「坂本竜馬はこういった」というこの言葉の出典は、梶原一騎の「巨人の星」以前には遡れなかったという(堀井憲一郎『「巨人の星」に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。』)。「汗血千里駒」にも「竜馬がゆく」にも、…坂本竜馬を描いたどの本でもこの言葉は載っていないという。
『「巨人の星」に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。』 ということは、梶原一騎がこの言葉をどこから引用した(作った)かはさておき、ヒューザー小嶋社長にとっての、「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」の原典は梶原一騎が描いた「巨人の星」なのだろう。もしかしたら、本人は「坂本竜馬」に影響を受けたと思っているかもしれないが、それは実は梶原一騎が描く「巨人の星」の中の星親子が語る「坂本竜馬」なのである。「巨人の星」の中で描かれた「坂本竜馬の言葉」がヒューザー小嶋社長の教典であるわけだ…。梶原一騎に影響を受けた「日本の男」はとても多いに違いない。

2006-07-03[n年前へ]

「青春18切符」 

 from n年前へ.

答が(自分の知識の範疇で想像できる)一つだけなんていうのは「青春18きっぷ」には似合わない。もっと、色んな期待とともに線路の先を眺めた方が、きっともっと面白いことを見つけられるに違いない。
今日も私たちは一言に一喜一憂しながら一日を過ごす。 もし言葉に何らかの力があるとすれば、こうしたマイナス表現を少し効果的な一言に工夫できれば、また違った明日が訪れるかもしれない。
荒木経惟が撮影していた頃の青春18切符のポスターやチラシ が好きだった。「誰も私を知らない」「この町とヒミツをつくる」「この街で育ったら、どんな私になっていただろう」なんていうコトバと共に、 そこに写る景色を眺めていた。

2006-09-15[n年前へ]

「ルートを外して、色んなものを眺めてみたい」 

 「ルートを外して、色んなものを眺めてみたい」 from n年前へ.

青春18切符のポスターに書かれた小さな式は、「旅は人を18歳の頃の気分にさせる。そして、それこそが - 人の根底- にあるものなのだ」という力強い言葉だと勝手に想像してみたのです。

2007-09-15[n年前へ]

「線路」と「人生の方程式」 

 朝早くは晴れていたけれど、10時を過ぎる頃には雨と霧で包まれる。高原特有の、白い霧が風に早く運ばれていく。

√a = 18 旅路(ルート)の中では、人はいつも18(age)である。
 青春18切符をポケットに入れて、京都と東京の間を11時間かけてよく移動した。
河から海へ船が出て行く。後ろの港には船が帰っていく。風の流れがそのまま波を動かして、その波の上に立っている人たちがいる。風が吹くともっと潮の匂いが強くなる。
 安いPCでグリッド・システムを組むと、どうしても巨大なハードディスク領域ができあがる。そんな領域を有効活用しようと思うと、Gmailみたいなものになるのだろうか、と昔考えた。
 この方程式で使われている"="は、いわゆる等号"=="ではなく、代入の"="かもしれません。
 "=="が"="に変化した途端に、「人生の方程式」が「人生の定義式」に変わる。自らは決め得ない未知数を条件に応じて解くという行為が、能動的に何かを決めていくということに変わる。
 素直に言い換えれば、「旅路(Route)の中では、人は誰でも18(Age)になる」というコピー文そのままに変身します。さらに言い換えるなら、「すべての人を18歳の頃に戻す」ものが「旅路(Route)」なんだと、声高らかに宣言する力強い定義式なのかもしれません。
 荒木経惟が撮る青春18切符が好きだった。あるビルの回転ドアを出るとき、その回転ドアの対角線上には、ビルへ入っていく荒木経惟がいた。
 自分や他人のつまらない考えに沿った「道(Route)」の上を走り続けるのも、なんだかつまらなく感じられることがあります。そんな時には、そんなルートを外して色んなものを眺めてみるのも、少しだけは、良いのかもしれません。 
 "=="が"="に変化した時、 if 文で使われる「こんな場合には」という等号が、定義という意志と行動に変わる。
「決められたレール」は無いほうがいい。  1995年 「青春18切符」冬



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